団塊の世代がテレビで語られる理由 宮台真司先生の役割演技 | 考える道具を考える

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 昨夜のNHKの特集で、団塊の世代の特集が組まれていましたね。何度目になるのでしょうか‥。

 2007年問題というその問題の年に入って、尚、2007年問題とは何かをやっているのもオカシイ話ではありますが、今年から、約300万人といわれるこの世代の人々が、企業社会の帰属から抜け出して、さて、どこに行くのか問題といえば問題なのでしょう。

 それにしても、番組では、私が比較的好意的に思っている社会学者 宮台真司先生が、わざわざ団塊世代批判の先鋒にたって、役割演技していたのには、少しがっかりしましたね。そこまでしなくても、普通に議論したら、というか、宮台理論で団塊の世代論を聞かせていただいたほうが良かったと感じました。

 とはいえ、宮台先生も、団塊の世代から遅れること一回り12年後輩となるわけです。この年代から見て、団塊の世代が、そんなに遠い世代であるとは思えないわけですね。

 にも関わらず、団塊とそれ以外の世代の対峙の形式は見事に失敗した番組だったとしかいいようのない番組でした。残念。

 ‥‥

 それにしても、番組を見ていて感じたのは、団塊の世代が時代的に残した言葉は、「主体性」であったということでした。

 自分の自由な生き方を標榜した初めての世代だったのかもしれないと思うと、自らが自らの責任において自らの生き方を選択するという価値観は、それ自体が斬新なものではありましたが、その陰の部分として、自由という名の放任を許し、人と人との熱い関係性の放棄を促進させてしまったともいえるのでしょう。

 主体と言っておきながら、いつも醒めている世代なのです。

 従って、現代の若者達の課題は、そのほとんどが、団塊の世代が巻き起こした「主体性」という幻想から放たれているといえなくもないなーと思っています。

 だから、団塊の世代が、企業社会から脱出した後は、正しく地域社会のために生きるべきだと、確かに思うのですが‥。

 でもな‥。