企業に対する帰属意識はどんどん薄れているという。養老猛司さんが指摘していたように、村社会で生成された日本人の原意識は、特に戦後の高度成長時代に「企業という公的空間」に対する帰属意識を持つことによって、アイデンティティが支えられてきたらしい。
「どちらにお勤めですか?」と聞かれて、「○○商事です。丸の内で働いています。」ということ自体がその人の価値さえ決めていた時代は確かにあったのですね。
現在では、「六本木」であり、「汐留」であり、「品川」であり、これからは新しい「丸の内」なのかもしれませんね。企業の組織という幻想に身を置くことで、自分の存在を確かめられることができた。
しかし、雇用する側の企業の事情も変化した。能力のないものは、どんどん裁かれていき、将来的に自分の地位やポジションが保証される時代は去っている。雇う側も、雇われる側も、企業という共同幻想の夢から醒めて、企業への帰属意識は薄らいでいくのは自然だろう。
自分ブランドは、名刺に印刷された企業の名称ではなく、ましてや部長だとかなんだとかの役職でもない。自分が自分に帰属する意識をもたないと、誰も保証などしてくれないのだ、ということに気がついたときから、日本の本当の情報社会が始まるのかもしれない、などと思っているのです。長野や福島や宮崎や‥そういう場所でITを駆使しながらナチュラルに暮らす人も急激に増えているのです。
脳に対するブームも、ある意味、この帰属意識の変換を迫られている、わが日本人の、心の焦りが生み出している現象かとも思っているのです。