日本の知的レベル | 考える道具を考える

考える道具を考える

The instrument which I think

馬鹿
 実は、私はこの本を読んでいない。

 樋口裕一という人物が、嫌いだからだ。

 コミュニケーションは、まず、自らの無知を基盤として他者と話すことから始まる、といつも思っている。この人物の書くものは、この最も基本的な前提を抜きにして、コミュニケーションテクニックを平然と論じているところに根本的な間違いがあると思っているからだ。

 「バカ」を語源由来辞典で引くと、
 ‥「馬鹿とは、愚かなこと(人)。知能の働きがにぶいこと(人)。莫迦。」‥馬鹿は、サンスクリット語で「無知」や「迷妄」を意味する「baka」「moha」の音写「莫迦(ばくか)」「募何(ぼか)」が転じたとされる。‥‥とある。

 また、日常用語に使われる仏教語では、
 ‥「馬鹿」の語源はサンスクリットの‘モ-ハ‘がその語源であるとする説が有力である。‘モ-ハ‘とは「事理に暗いこと」「愚痴」を意味する。‘モ-ハ‘を「莫訶」と音訳し、それが「莫迦」とも書き、そしてバカといわれるようになったという。バカを何故「馬鹿」と書くのであろうか。大漢和辞典で調べてみても「馬鹿」という語は見当たらない。要するに単なるあて字にすぎないということらしい。

 ‥人間は自らの愚かさを自覚することが必要である。「念仏者は愚者になりて往生す」とは法然上人の言葉であるが、それは自らが「バカ」になりきることであろう。‥とある。

 部下のバカさ加減を定義するのに、愚図であったり、はっきり表現しないことなどをあげているが、それらは、その人の表現方法であり、イコールバカと定義するには無理がある。

 こういう本があること自体に、この出版社のバカさ加減がある、と思う。ここまで来たかという感想である。

 しかし、こうして、批判するために、わざわざ写真つきで取り上げているのは、自らのバカさを証明しているのかもしれない。

 反省。パンチ!