パソコン依存体質の衝撃 | 考える道具を考える

考える道具を考える

The instrument which I think

そんなに大げさなことではないのですが、自分のパソコンがクラッシュして、ここ数日仕事も何も進まなくなってしまった。

自分では、パソコンはひとつの道具として捉えており、このような作業中断の予測はほとんどしないでいた。

しかし、どうだろう。

いざパソコンが使えないとなると、なんとも不便この上ない。

まずは、ハードメーカーの修理センターの対応は、ほとんど役に立たず、最後は買い換えたらどうかという始末。クラッシュの原因がわかれば、まあ回復はできると踏んでいた私は、気分が悪いといったらなかった。

ウィンドウズが立ち上がらないのだから、アプリケーションの問題だとかで、こんどは専門の会社に電話を換えなおせといわれ、渋々かければ、見てみなければわからい、修理に大金がかかるなど、うんざり。

しかも、いざパソコンが動かなくなると、仕事もコミュニケーションも何もかも、ほとんどストップしてしまう。これはいったい何なんだ?

結局知らないうちに、パソコンが極めて多くの自分の時間を占めていたことが理解できた。これを依存症と言わずに何と言えばいいのだろうか?

デジタルとアナログの融合したワークスタイルを模索しなければ‥。