昨日、ブログをあげていなかったので、ツケを払う様に今日は立て続けに書いてますが、ブログタイトルが何とも厨二病感満載で申し訳ないですが。僕が経験した事を書こうと思う。
本業のレコード会社で宣伝業務を日々行う人間なのだが、2年前に「俺って向いてないかも?。。」と感じる瞬間があった。それは、誰もが知るS級アーティストを担当させて貰い、日々そのアーティストの為に何が有効かを考えていた「つもり」だったのかもしれない。
結果としては、チームの人間とうまく行かなくなり、半ばチームを出ていかなければなら無い程人間関係が悪化した事で止む無く担当を外れる事となったのだが、当時は自分自身も自分の仕事のやり方に沿ってやっていたつもりだった。先人たちはとにかく「郷に従え」というアドバイスで、「この村にはこの村のやり方がある、だからまずそれに慣れろ」という様な感じだった。元来、僕の性格上言われると萎えるタイプでやる気もなくなるタイプ。こんな僕が「郷に従える」訳もないし、自分自身も自己を見つめた時に「決められた事をちゃんとやる」、「人に言われた事を守りそのルールに沿ってやる」という事が窮屈に感じ、楽しく仕事ができなくなってしまう、本当にダメ人間なのだ。
当時、チームメイトに良く言われていた言葉が「考えて」という言葉。
僕はその村に馴染め無い度にこの「考えて」という言葉に苦しむ様になり、言われる度に自問自答し、「考える」、「考える」とどんどん負のスパイラルへ陥ってしまっていた。そして、追い出されて、すっかり自身もやる気も喪失する様になり、挙句の果てには会社を辞めるとまで言い出す始末だったのだ。
今となれば、その当時を振り返ると自分自身が2000%悪かったし、自分の良くない部分が露呈され今の自分が当時の自分をみると何とも哀れだなと思ってしまうと思うのだ。
前置きが長くなったが「考える」という事はどういう事か。
それは、自分で考えて「やろう」と思った事を途中で中途半端に終わらせずに最後まで自信をもって見届ける事なのだと今では思える様になったのだ。別にその「考える」事が不正解に近い事なんて、自分意外の誰もがそう思ってるし、ほとんどの人は鼻で笑っちゃう様な事が多いとは思うのだが、それを途中で「あの人がなんか乗って無いからやめた」とか「誰も味方がいないから失敗するんだろうな」とか途中で余計な事を考えると、結果中途半端に終わる事の方が多いんだなと経験して実感したのだ。
よく、成功者はこう言う「天才と馬鹿は紙一重」正にその通りだと。
「天才」はもしかしたら考えた事の結果まで見えているから行動するのかもしれない。「馬鹿」は結果なんて見えて無いけど、「まぁなんとかなるでしょ」と余計な事を考えずに突き進む。ものすごくシンプルだけど、物事それでいいのだ。周りの目を気にして、その場で取り繕う暇があるのなら、「決めた事だし、なんかうまく行きそうにないけど。最後までやってみるか!」という気持ちが本当に大事なのだ。
別に偉そうに語るつもりもないのだが、経験を通して本当にそう思う。余計な事を考えて守りに入った所でそれが自分に取って良いはずがないのだ。
「失敗は成功の元」という言葉がある。
この言葉の意味が今ではよくわかる。
例え100回失敗したとしても、101回目には成功があるかも知れないのだ。同じ失敗は繰り返さず、失敗した時に学んで、次に活かせば同じ失敗をしなくなる=成功へと近づくのだと。
最後に>>
色々と生きにくい世の中なのは僕も感じる。会社に居ると会社は「実績」で社員の能力を測る。それ故に、なんだか失敗すると自分へのペナルティになるんじゃないかと思って、大きな事に踏み出せ無い状況に陥るというのは、普通の人間であれば普通にそう考えるのだ。でも、そこで踏み出さ無いと未来の自分はその会社で存在しないのだ。それは、その会社で何もしてい無い事に等しいからだ。自分で仮に「この部署ならやる気が出る」そう思うなら、明日にでも部署異動を志願するべきだし、「これをやるとあの人の顔が立たなくなる」なんて考えているのであれば、「知らんがな」と自分に言い聞かせて行動する事をおすすめする。僕も、その失敗以降、そうする様にしていった。
僕も失敗したから、会社に対して自分のやりたい事を述べるなんておこがましいと考える事もあったが、取締役に言われたのは「やりたい事を提示してきたのはお前含めて2人だけだな」と。結果、みんなそんな事を言わないから、目立つ事に繋がるんだなと、またそこでも学べた。本当に僕は思う「みんなやりたい事やればいいじゃん!」って。