こんにちは。
今日久しぶりにラジオを聞いていました。
とある番組の中に「ロハストーク」というコーナーがあります。
しばらくぶりに聞いたのですが、
「こんなコーナーあったなぁ」と懐かしい反面、
「まだやっていたのかぁ」とも思いました。
私は以前から「eco」という言葉が嫌いです。
もっと嫌いなのは「地球にやさしく」。
地球はそんなにやわじゃない。
核兵器の一発や二発、地中に打ち込んでもびくともしないし、
(核っていうと物々しく、特に最近では腫れもの的ですね)
たとえ、平均気温が10℃上がろうが下がろうが、
地球がなくなるわけではない。
ただし、どちらの事態が起こった場合でも、
人間が現在と同じように生きていくのは難しいのでしょうね。
ってことは、それは
「人間にやさしく」ということ
過去の長い歴史上では、
恐竜が闊歩していた温暖な時期も、氷河に閉ざされた時代もあった(そうです)。
人間の営みに関係なく、そういう気候変動が起こることは分かっているのに、
自然災害 ⇒ しょうがない(やや肯定的)
人の営み(人災) ⇒ 許せない(完全に否定的)
というのは何かがおかしい気がします。
大局的に見れば、人間も自然の一部であるため、
その生き物が引き起こしたことも自然現象なのではないか。
(かなり大きな視点です。そして、人災を容認しているわけではないです)
(「人類滅亡」とか、
とてつもなく大きな出来事はそんな視点もありうるということです)
自分としては、「eco」っていうのは感覚的に馴染まないのですが、
それでだけではなく、
「eco」「ロハス」という言葉が
経済活動のプロパガンダでしかないことに疑問を持ちます。
①新しいものを買うというeco
とりあえず、CO2ということになるのかもしれないが、
水準としては30年前位にしようということ。
それだと、単純にものの生産を減らせばいいんじゃないの?
使えるものは長く使って、
新しいものは極力増やさない方法もあるんじゃないの?
②eco・ロハスという多量消費
有名人で「ロハス」唱える人がいて、
ちょっと不便なところに別荘とか持っている。
ロハスな家は建材も古木とか。
その古木、建材と使えるようにするのに、
どれくらいエネルギーが必要なんですか?
そんな、誰も住まない様な場所に建材を運び、建築するのに
どれくらいのエネルギーが必要なんですか?
そして、有名人の生活、移動には
どれくらいエネルギーを消費しているんですか?
極論ですが、声高にecoとかロハスとかを叫ぶ有名人は
それを訴えながら、自分の腹を掻っ切るべきだと思う。
大量消費を行っている人間がお亡くなりになることで、どれだけ消費が減るかを
訴えている当人は自覚しているのだろうか。
(このことをしばらく前に友人に話したら、
「そんなことはみんな分かっているけど、言わないのが『大人』なんだよ」
とたしなめられました…)
昔読んだ、「欲望と資本主義」(佐伯啓思 講談社新書)に
「資本主義において、欲望自体が作られ、そして消費が生まれる」
というようなことが言葉があった(と思う)。
eco・ロハスも現在の社会の中での新たな『欲望』にしか思えない。
③「CO2」は商品
今となっては、CO2でさえ先物取引の商品なんですね。
僕は前々から温暖化は問題だと思ってませんが、
増加によって、温暖化が引き起こされるとされるCO2。
もし、その科学的根拠が否定されたとしたら、
世界的なCO2経済活動だけが残ってしまいますね。
(9割以上の研究者が、CO2の増加が温暖化を引き起こすわけではない
という話もある。
関連動画 (勝手にリンク張ってすみません…) )
以上、考えて生きていきたいですね。
では