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telecopainの解析ラボ

日々思ったことをテーマ別に解析していきます。
(自分の意見を言いたいだけです。)

こんにちは。

もうすぐ4月ですね。
今年も『哲学科』という隔離病棟に
(世捨て人のレッテルを張られながら)
自らの意思、あるいは、不本意にも
入院(入学)される学生の方々がいらっしゃるのでしょうか。

私自身も大学時代に哲学科という所に所属していましたが、
哲学とは何かということについて書きたいと思います。

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「哲学とは何か」というとき、
『philosophy』⇒ philo:愛する、sophy:知 or 学 (起源はラテン語)
ということが引き合いにだされます。

では、それはいったい何なのか。
文字通り、『知』を愛することが哲学なのか
『知』や『学』を愛した結果、
 学問のジャンル(生物学とか政治学とか)を打ち立てた人が哲学者なのか。

「知を愛する」といっても、全然具体的ではないし、
『哲学』という言葉の現在の使われ方や
そこから連想されるイメージ(ギリシャ哲学、インド哲学、経営哲学(!)など)
からはかけ離れているように思います。

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一方で、日本語で『○○学』というとき、
それは、ある程度体系的にまとまった学問の一つの領域だと考えられます。
経済学 ⇒ お金に関する学問
法学  ⇒ 法律に関する学問
医学  ⇒ 医療に関する学問
しかしながら、現在ではそれらはクロスオーバーし、
経済を考える上では法律や社会学(統計学)など、一つの分野では完結しません。

『○○学』というのは一つの立場(視点)を表す意味になっているように思います。

では、哲学とは『哲』に関する学問なのでしょうか。
確かに、昔の偉人である哲人について学び、その考え方を一つの視点とすることはできそうです。
しかし、いわゆる「哲人」たちの研究分野は多岐に渡り、
また、ある人とある人は反対の意見を述べている場合もあります。

それらを一つの学問領域として捉えるのは難しいように思います。

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現在、一般的に『哲学』と言った時、2つの捉え方があると思います。
①哲人の考えたこと
②単純に一つの考え方(思考様式・思考回路)を表している(○○哲学)

あえて二つに分けましたが、どちらも『思想』と言えるのではないのでしょうか。

『考え方』というものを時間軸で捉えると、
過去のものは思想だと思います。

私たちは過去の思想を学ぶことによって、その知識や思考過程を獲得できます。
先ほど『哲人』と言いましたが、それらの人々は『思想家』と言い換えることもできます。
哲学を学ぶこととは『思想』を学ぶことに他ならいと思います。

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さて、話は変わりますが、『音楽』という言葉があります。
これは学問の一種なのでしょうか。

『音楽』にも歴史があり、様々なジャンルもあります。
しかし、音楽を学ぶことを『音学』とは(なぜか)言いません。

それは音楽が根源的に「音を奏でること」だからだと思います。
音楽(の歴史や奏法)を学ぶことと
音楽を楽しむことは、基本的にはあまり関係がありません。
(もちろん、知識があった方がより楽しめる場合もありますが)

ここで哲学の話に戻すと、
私は、「哲学を学ぶ」ことと「哲学をする」こととはあまり関係がないと考えています。

「哲学をする」こととは何か
それは、簡単に言えば、「思い悩むこと」
もう少し言うと、
「ある問題に対して、その答えを出すために論理的に思考すること」
だと思います。

「なんで生まれたんだろう」
「『自分』って何者だろう」
「人はどうして生きて行くのだろう」
「死んだらどうなるのだろう」

小学生・中学生の頃の素朴な疑問ですが、
あらゆる可能性を検討しながら論理的に考え、
問いに対して答えを導こうと試行錯誤する思考の営み

その営みは知識がなくてできるし、
思考を始めた瞬間から(小学生でも)始まります。

私は、この営みを、哲学ではなく『哲楽』と言いたい。

『哲楽』とは誰にでもできるし、考え始めた瞬間から『哲楽』が始まる。
(音楽が音を出した瞬間に始まるように)

すべての哲学者はかつて『哲楽者』であったと考えられる。
それぞれの悩みの中で、もがき、研究し、ある解答を模索した。
その思考過程や解答が思想であり、もちろん、そこには、
私たちが学ぶに十分なものがある。

思想を学ぶことは大いに必要である。
しかし、それはあくまでも自分の『哲楽』を発展させるためであり、
答えを見つけるためではない。

言い換えれば、
過去の知識・思考過程(汎化されている) ⇒ 思想(いわゆる哲学)
現在の思考(私的)  ⇒  『哲楽』
ともいえます。

たとえ答えが陳腐でも、その過程のダイナミズムが『哲楽』である と思う。

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最後に一言。

しかしながら、『哲楽』を続けらる人は限られています。

①一部が哲学から分離され、他の学問領域になっている。
(「どうして生まれたの?」の解は生物学が答えてくれかもしれない)
②宗教の教えに満足できるかもしれない
③先人の思想を学ぶことで解決が得られる場合がある
④疑問への衝動が薄れていく

哲学科に入院する人の大半は③④の理由から無事に退院(卒業)します。
(退院できない人には特別病棟(大学院)が用意されているので
 文字通り入院(うまい!)してください)

私は退院(卒業)していますが(したから)、

みんな『哲楽』しようよ!楽しいから!!

と言って行きたいと思います。


では