既に流行語から一般語に定着した感のある
「KY」という単語ですが、
僕は僕に関わりのある人達から
「KY」だと思われているようです。

あまりにも悔しいので、そう言われた時は
「僕は空気が読めないんじゃない、読まないんだ」とうそぶくのですが
そうすると
たいていさらに激しい集中砲火を浴びることとなります(>_<)

最近は、草食系男子のように
傷つくことが苦手な若い人が増えているようですが
その結果
“空気の読み合い合戦”のような状況が繰り広げられることには
僕は違和感を感じます。

「相手のことを思いやる」ということと
「相手の意に合わせる」ということは別物だと思うから。

仕事においてもそう。
あらゆるステークホルダーに対し
「相手のことを思いやる」ことは必要不可欠だけど、
「相手の意向にただ合わせる訳にはいかない」ケースが多い。
たいてい、意志決定の段階になると
二律背反のジレンマに苦しめられる。

結果行った意志決定、
そう決めた理由はたいていケースバイケース。
だからこそ、その決定に至った理由や色んな背景を
関係者に伝えることがとても重要。


僕の場合は、先に触れた通り
「空気が読めない」時もあるけどそれより
「空気を敢えて読まない」時の方が多い。

だからその分コミュニケーションが重要になってくるのだが
実際は、空気を敢えて読まずに何かをやったはいいが
そのことに関する説明をなおざりにしてしまいがち。

だからよく後で「失敗したな」と反省します。
まだまだです。。

---------------------------------------------------
なお、僕のKYはたぶん親父譲り。

20代の頃、
人生の一大決心を親父に相談しようと
実家の書店の事務所にいた親父のところへ行った時のこと。

僕から親父を誘うなんて
この時が生まれて初めて。
僕は神妙な面持ちで
「ちょっとお茶飲みに行こう」
と親父に声をかけました。

すると親父は、
「お茶ならここ(事務所)にある」。

・・・・真顔だった。

うーん・・・・。

それなら、と僕は
「じゃあコーヒーでも飲みに行こう」
と言ったが、
次に親父から返ってきた言葉は
「コーヒーなら家で飲める」。

僕「・・・・・・」。
親父「・・・・・・」。

・・・・これってどうなん、親父(;^_^A
いじめや自殺に関するニュースを聞くにつけ
最近は自尊感情の低い人が増えたように感じています。

「自尊感情」とは。
僕の理解は「自分は存在していてもいいんだ」「自分は自分だ」という
「根拠のない自信」。

「自尊感情」が低いと
いじめの対象となるだけでなく
いじめる側の人間になってしまう傾向もある気がする。

自分の価値観ができあがっていない上に
そのままの自分を主張することもできず、
周りに流されいじめる側に回ってしまうのではないでしょうか。
(教育現場にいる訳ではないので的外れかも知れませんが)

----------------------------------------------------------
ちなみに前々回のブログテーマが「誇り」でしたが、
過去ブログ「誇り」
「誇り」も「自尊感情」と関係があるように思います。

自分が確立できていれば、
自尊感情が高く自分に誇りを持っている。

自尊感情が低い人が自分に誇りを持とうとすると、
自分が確立できていないため
他との比較・周りの評価の中で
自分への誇りを持とうとする。
結果、ただの見栄っ張りとなってしまうことも・・・。


では、どうやったら自尊感情が育つのか?
最近読んだ子育ての本からヒントを得ました。

その本によると、子供には
「かわいいね」等の「その子そのままを認める言葉」を
日常的にかけることが重要だそう。
すると、そのうちに本人に
「自分という存在に対する根拠のない自信」が出てきて
何かあった時に自分自身を支えてくれるそうです。

この「根拠のない自信」がまさに「自尊感情」ですね。

----------------------------------------------------------
この内容に非常に納得感を得たと共に
「会社において自尊感情の強い仲間を増やすには
どうすればいいか?」と考えました。

・・・・1つは、メンバー1人1人が
「このことなら他の人には負けない」というものを何か持つことかな。

そういうテーマを一つ持っていれば
周りから頼られる。一目置かれる。
すると、会社の中で自分の存在場所が確立され
周りの評価を気にすることなく
色々動けるようになると思うのです。

もう一つは、挨拶。
「おはよう」とか「お疲れ」とか「ありがとう」とか、
単純なことのようだけど
声をかけられることで「自分の存在が認められている感」
を感じることができるから。


・・・子を育てることと会社を育てること、
ちょっとこじつけですかね?!

いづれにせよ
「皆が力みなく・イキイキと仕事ができる会社」は
すごく健全。
僕の中には、
世の中を変えるほどのイノベーティブな動きを取る会社は
こういうところだというイメージがあります。
その理想へ一歩でも近づいていきたいものです。

----------------------------------------------------------
ちなみに僕はというと、
小さい頃の思い出は怒られた記憶しかないのに
なぜか「自分大好き」、自尊感情がとても高いのです。

一体なんで?!

一応褒められてたのに
そのことをボンクラな僕は覚えてないのかな?

そこのところどうなん・・・・・おふくろー(;^_^A
僕は、プライベートな対人関係において
相手の過失により自分が迷惑や損害を被った場合でも
かなりのレベルまで怒らない。
というより「怒れない」と言った方がいいかな。

例えば、「相手の遅刻でかなり待たされた」とか
「僕の何かを壊された」とか。
当然相手は謝ってくるが、
それに対し僕が怒ることはまずない。

そして僕は、その謝罪に対し
意識して「許すよ」「いいよ」などの
相手を許すような言葉を使わないようにしている。
「許した」「許された」という関係になりたくないから。

その代わりに、
「大変だったね」とか「ごくろうさん」とかの
ねぎらいの言葉をかけるようにしている。

起こってしまった失敗を責めても何も生まれないから。
「だいたい君はいつも・・・」「そうなったのはそもそも・・・」
なんてその時言っても
ほとんど効果を生むことはないのだから。

あと、「相手を許す言葉」でなく「ねぎらいの言葉」を使えば
大抵前向きな会話になることもその理由の一つかな。

-----------------------------------------------------

でも、このやり取りは
夫婦間や友人間などのプライベートなやり取りであれば機能するけど
仕事上では難しいもの。

起きた失敗を「大変だったね」とねぎらうだけでは
組織が甘くなってしまう。
中途半端にそれをやってしまうと
その周りのスタッフの基準が一気に下がりかねない。

『なぜその失敗が起きたのか?』
原因を追究しその原因をつぶし、
次に同じミスを起こさないための仕組みづくりまでやりきるスタンスが絶対必要。
失敗は許すが
責任は追及していかねばならない。


・・・と言いつつ
僕がプライベートでいつも相手を許すような立場かというと
そんなことはなく、
実際は僕の方が悪かったり迷惑をかけたりしていることが多く、
それを許してもらっていることがほとんどです。たぶん・・・。

いつもごめんね、かーちゃん(^_^;)
僕達の会社の企業理念に

「私たちは、誇りの持てる仕事を通して、働く喜びを実現します」

という一文があります。

主語を「テレコムスクエア」でなく「私たち」としたのは、
テレコムスクエアという会社を構成しているのが
紛れもなくスタッフ1人1人だから。
そんな1人1人に
より主体的に会社の行動に関わってもらいたいから。

主語を「私」ではなく「私たち」としたのは、
会社は1人で成り立っているものではないから。
個人が集まった生命体としての会社、
その価値観を全体で共有したいから。
皆で感じられるものにしたいから。

-------------------------------------------------------
「誇りの持てる仕事」の「誇り」、
これは定義の難しい言葉の一つだと思う。
なぜなら、「誇りを持てるかどうか」は
本人にしかわからないから。
本人しか納得できないから。

ただ周りから「誇りを持て!」と言われても
押し付けや“べき”論では
すんなり持てるものではない。

例えば、自分が色々と取り組んでいく中ではぐくまれる
仲間への愛や使命感。
これらが相互的に信頼を生むことにつながり、
さらにその信頼が仲間に対する強いロイヤリティを生み出す。
そのロイヤリティが自分達の基本姿勢として
「誇り」に反映されていくように思う。

-------------------------------------------------------
一般的に
ビジネスマンやOLさんの取り組む仕事は
「やらされ感」が強いケースが多い。

でも、使命感を持って仕事にあたっている人達は
そうは思わないはず。
例えば教師や看護士、プロスポーツ選手など。

何が違うのか?
・・・「賃金や休暇などの“物理的なもの”以外に
どんな対価を得られたか」
ではないか?

例えば教師の場合。

40年の教師生活を終えた時、
他人からの評価や損得とは関係なく
それまで感じた様々な苦労や喜びを
心底誇りに思えるのではないだろうか?

仕事人としての生き様とも密接につながっている話だと思う。

-------------------------------------------------------
好むと好まざるとに関わらず、
僕達は長い人生のうちの多くの時間を仕事に費やしている。
だったら、必死になることがあってもいいのではないか?
それが
「働く喜び」につながると僕は信じている。

そして、
そういう仲間を集め
そのための場所と商材を提供して
チャレンジするためのフィールドを用意するのが
僕の使命だと思っている。

つまり主役は一人一人のスタッフそのもの。

・・・こういう思いを
僕は我が社の企業理念に込めているのです。
先週に続き
お盆で帰省した時の話です。

僕の実家は、今は本屋を営んでいるのですが
もともと江戸時代からずーっと続く
代々商家の家系。

座敷わらしが出そうな古―い家の一室のかもいにあるのが
これ。
~ いちがやベンチャー日記 ~-実家の額

久しぶりに見上げ、何となく写真を撮ってみたもので
ちょっと見えにくいのですが

『大福在天 小福在勤』

と書かれています。  
「大きな福は天からの回りもので、
小さな福は勤めの中から生まれてくる」という意味。

まずは目の前にある小さな福を手に入れるために
着実にやるべきことに勤しむ(いそしむ)態度こそ重要である、
と僕は解釈しています。


小さい頃に、この言葉を父の好きな言葉だとして教わりました。
あまり意識してきたつもりはないけど
こういう昔ながらの実直な物の考え方で父に育てられ
その父の背中を見て育った結果
今の僕があるみたい。

うちの会社がこれまで
単に「これが儲かるゾ」とその時々のブームに乗ろうとするのではなく、
お客様相手に仕組みを作りながら
コツコツ実績を積み上げていくスタイルを取ってきたのも
このあたりからきているのかも知れない。



ネットバブルやリーマンショックなど
世の中では色んなことが起き、その度に大きく変化する。
価値観も時代と共に変わり
新しい基準が生まれる。

そんな中で自分が、会社がどう進んでいくのか。
自分の・我が社の根っこに通じるものが
この『大福在天 小福在勤』という言葉にあることに
深く気づかされました。


たまの帰省もいいものですね。
自分の原点を発見し
新鮮な気持ちになりました。