僕の特徴は色々あると思いますが
とりあえず「小さい」ということがわかりやすいイメージなのでは?

当然、これは別に最近のことではなく
物心ついた頃からそうでした(;^_^A

幼稚園の時に白雪姫の劇をやった時は
七人の小人の役だったし、
全体で整列する時はいつも一番前で
ポーズはいつもこれでした。。

「前へならえ」はこう。
$~ いちがやベンチャー日記 ~-前にならえ

で、「小さく前へならえ」はこう。
$~ いちがやベンチャー日記 ~-小さく前にならえ

あと、「体操隊形にーひらけっ!」というのもありましたね。
$~ いちがやベンチャー日記 ~-体操隊形に開け

前回「実家がコンプレックスだった」と書きましたが、
この背の低さをコンプレックスだと思ったことは
なぜか意外に少なかったように思います。

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体の小さかった子供時代を思い返すと
まず思い出されるのが、ぜんそく持ちだったこと。

かなりひどい症状だったので
「声変わりの時期までに治らなければ
ぜんそくが一生モノになってしまう」
という話を聞いて心配になった両親の意向で
小6から中1にかけての約1年半
ぜんそく専門の療養所に入っていました。

そこは
1学年一クラスか2学年で一クラスの
こじんまりとした環境でしたが、
普通の学校同様の授業が行われていました。

が、とにかくスパルタ式!
鍛錬と称して
真冬でも半ズボンで
その上水風呂20分!
かなり心身を鍛えられました。

それまで甘やかされて自分に甘かった
次男坊の僕は
とにかくよく怒られていたけれど、
ここで容赦なく鍛えられたおかげで
少しは強くなったのかなと思っています。

そして、「病は気から」的考え方からか
「甘やかされてるから発作が出るんだ」と考えていたのか、
この療養所の出所条件は
「新聞配達を行うこと」。

僕も出所後、確か1年くらい新聞配達をしました。

雨が降ろうが雪が降ろうが、
例えちょっとくらい風邪を引いても
毎日行わねばならない新聞配達。

それは、実家の本屋を手伝うのとは全く違う
とてもいい経験でした。
中1の頃からお金を稼ぐ経験は
なかなかできませんよね。

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そんな、恵まれていたのか恵まれてないのか、
よくわからない子供時代から
コンプレックスに話を戻します。

ぜんそくだった僕は体力がなくて
運動ができた覚えもあまりないのですが
これも特には気にならなかったな。

ただ、歌が下手で
音楽の時間に歌わされるのは
とても苦痛だったことを憶えています(>_<)


・・・と、色々とコンプレックスについて考えていて
思い至ったこと。

そういえば僕は、
自分が皆に比べて劣っていることを
割とそのまま受け入れていた気がします。

病気や背が低いという現実は
他人と比べてもしょうがない、という
「生きる術」を身につけていくことにつながったのかな。

その後年を重ねた今、何か他と比べてではなく
自分の基準の中の確固たるものを成し遂げたいという思いが強いのは
もしかしたらこのあたりに
源流があるのかもしれません。

ホント相対的にモノを見ないクセがあるからなー。
(ヘリクツかも知れませんが^^;)
本物の「私の履歴書」は
最初に自分の出自に触れるパターンが多いので、
僕もそれにならい
自分のルーツをさかのぼってみようと思います。

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菜の花の種から採取・精製する菜種油。
今菜種油と聞くと
食用のイメージが強いですが、
戦前はあんどんの明かりを点すための燃料として使われた
とても貴重なものだったそうです。

前にも触れましたが
僕が生まれた吉竹家は、約300年位前から
この地(佐賀県)で菜種油を取り扱ってきた商家でした。

しかし、第二次世界大戦の際に
工場の工具の多くを軍に供出したことで
菜種油屋を続けられなくなってしまって(>_<)

商売替えを余儀なくされた私の父が
そこで始めたのが、本屋。
接客の必要のない本屋を選んだのは
無愛想で多分商売が苦手であろう
父の性格によるところが大きかったのではないか、と想像します(^_^;)

また、油屋の名前を残したかったのでしょう。
「油屋書店」という名前でスタートして
今に至っています。

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田舎町だったため
その家の次男坊だった僕も
「油屋の子供」として知られていましたが、
そんなある日のこと。

確か5~6歳の頃でしたが
幼なじみと2人、迷子になってしまいました。

不安げな顔で泣きそうになる彼女に向かって
僕は満面の笑みで
「大丈夫、こんな時はこうするのさっ」と言い、
目についた家の前までトコトコ歩いていき、
玄関の扉をノック。

出てきた人に大きな声で「僕達迷子なの」と言い、
「どちらの子?」と聞かれたので
一言「あぶらやー」と答えると
その人がお店に連絡してくれて。

しばらく待っていると
店員さんが菓子折りを持って迎えにきてくれて
一件落着。

・・・・本当に能天気な子供だったと思います(;^_^A

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小さい頃にはそんなメリットもあった
「自分が知らない人にも、自分が知られている」状態ですが
中高生くらいになると
そのことをとても窮屈に、居心地悪く感じるようになりました。

いっちょ前の自我が目覚めてくると、
「油屋の次男坊」としてではなく
「僕という個人」を見てほしい、という思いが
湧いてきたのでしょう。

しかし、アイデンティティに対する思いが強く出始めたはよいが
実際は、別に何者でもない、中途半端な自分。

・・・・思い返すと、何となく憂鬱な十代でした。

そして、この「油屋」「吉竹家」という
「家」の存在は
かなり長い間僕の最大のコンプレックスでもありました。

(以下、今の写真です)
$~ いちがやベンチャー日記 ~-吉竹家
$~ いちがやベンチャー日記 ~-吉竹家(庭)
今週の全社朝礼での社員スピーチ。
今回担当だった社員が話してくれたのは、「自分史のススメ」でした。

「20~30代の人達にはまだピンと来ないかも知れないけど」
と前置きの上で
「自分史を、『その時々で自分に影響を与えた人』の観点で
書いていくといいですよ」
「その人達に時間が経って会ってみると色んな発見があるから、
会ってみることをお勧めします」
などと話してくれたのを
「ふむふむ、なるへそ」と聞き入っていました。

というのも私め、
ちょうど今月で生誕50周年という区切りを迎えたところでして・・・(-"-;A

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自分史で有名なのは
日経新聞の朝刊で連載されている
「私の履歴書」。

各界の著名人が自分の半生を振り返る
人気のこのコーナーですが、
僕がこのまま300歳まで生きたとしても
日経さんから声がかかることはまずないでしょう(^_^;)

そこで、恥ずかしながら自分で勝手に
「私の履歴書」を綴ってみたいと思います。
(実のところは、またいつもの通り
ネタに詰まってのことに過ぎないのですが。。)

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では、本物にならって
まずは題字から。
$~ いちがやベンチャー日記 ~-「私の履歴書」(自筆)


僕が生まれたのは、1961年。
昭和でいうと36年、高度成長時代の初期に
九州の片田舎、佐賀県の鳥栖市で生を受けました。

鳥栖市は人口5万人位の典型的な地方都市で
全国区なのはサッカーJリーグのチーム「サガン鳥栖」くらいかな。 
(J2だけど)

ちなみに「1961年生まれの人」を検索してみたら
アメリカのオバマ大統領やイギリスのダイアナ元妃といった
時代を象徴するそうそうたる面々が出てきました。

日本でも、柳葉敏郎から上島竜兵まで
様々な顔ぶれ。

多くの同輩と共に
昭和と平成を生きてきたのだという
感慨がほんの少しだけ湧きました。

あと、ふと気づいたのですが
僕が生きてきた50年間の内訳は
昭和が27年・平成が23年。

なんと、あと5年もすれば
自分の昭和時代よりも平成時代の方が長くなるとは!
そうなれば、昭和生まれの僕も
「平成育ち」と言えるようになるのかな?

でもそれ以前の問題として
「平成」という年号に未だにしっくりきていない自分がいます。
もう23年目というのに・・・ご同輩はいかがですか?

・・・・こんな感じで今後続いていきそうです。
つまんないネタも出てきそうですが
懲りずにお付き合い下さりませ(;^_^A
先日、電車に乗っていたら
以前よくマスメディアで見かけた
とある社長さんを見かけました。

刺激的な題名の、世間を挑発するような著書が
結構売れたこともあり
よくマスコミに取り上げられていましたが、
その当時受けた華々しい印象は全く見る影なし。
オーラを全く感じられませんでした。

その方とはお会いしたことはなかったのですが
以前、会社と取引した事もあり
ちょっと気になって調べてみたら
なんとその会社はこの3月に潰れていました。。

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業績が大きく伸びている時は
その成果が裏づけとなり
どんな言動をしようと
周囲に受け入れられます。
しかし、そうでなくなった状態においては
それが「単なるハッタリだった」と言われても仕方がない。
(結果論ですが)

ベンチャー企業の常として
ハッタリが必要な段階や状況はある。
自分を追い込むために必要なこともある。

でも、ハッタリにハッタリを重ね始め
話の辻褄が合わなくなるようだと、もうアウト。

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「ハッタリ」と「大きなビジョン」は、別物。

ハッタリと言われるような「楽観的な夢想」を語ることと
「大きなビジョン」を語ることは
何が違うのだろう。

「ビジョン」には、ロードマップがあり
実現に向けた確証がある。

それが、第三者の理解と共感も得られるものであれば
「ビジョン」足り得るのではないでしょうか。

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我が社のビジョンは、大丈夫か。
事業計画は、実現可能なものか。
共感は、得られているか。

・・・・自問するきっかけになりました(・・。)ゞ

最近、「ロールキャベツ男子」なる言葉を

耳にしました。


一見野菜(キャベツ)だが中身は肉、

つまり「草食系に見えて実は肉食系」な人のことだそうです。


(「草食系」についてはこちら)

過去ブログ「草食系男子」


この、草食系な人々の増加は
ここ10年来同様に増加傾向にある
「昇進したくない若者」と
関係があるように思います。


「昇進したくない」というよりも
「責任ある立場になりたくない」という感じか。


責任ある立場になることで、
得られる「やりがい」より
生じる「ストレス」を避けたいと思う人達が

増えている気がします。


そんな彼ら・彼女らは
決して無責任なのではなく、
むしろ責任感が強いがゆえに
尻ごみしてしまうのかもしれません(^_^;)


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僕は、ビジネスの世界で

結果に対する責任を負える人は

いないのではないかと思っています。


よくドラマでは
辞表を叩きつけて終わりにするケースがありますが、
現実の世界では
それ程のトラブルになった場合は
人一人が辞めても解決することは全くあり得ない。


「自分が辞めることで責任を取る」なんていうのは
一番無責任極まりない逃げなのでは?
責任の取り方は、周りが決めることかと。


「人事を尽くして天命を待つ」ではありませんが、
とにかくベストを尽くしてさえいれば
「失敗は成功へのプロセス」にしか過ぎない。

・・・そう割り切ればよいのですo(^-^)o


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どんな人にも、
「よりよくなりたい」「成長したい」「上昇したい」という

"肉"的な気持ちはあるはず。


”ロールキャベツ”でも”ハムサラダ”でもいいから

チャンスがあれば

どんどん重要なポジションにトライしてもらって

美味しい仕事を噛みしめてもらえたら、

最高だなと思うのであります(^-^)/