神戸周遊№11 さんちか・東遊園地

 

今回は、明治維新後の神戸開港で発展した「旧居留地」を二回にわたってアップします。

三ノ宮駅をスタートし、フラワーロードを南下して、花時計・市役所前を通り、東遊園地から旧居留地を一通り巡って元町駅に至るコースです。

 

JR三ノ宮駅西口から「さんちか」へエスカレーターで下ります。

 

 

「さんちか」というのは、昭和40年(1965)に開業した「三宮地下街」の愛称で、出来てから20年近く「さんちかタウン」と呼ばれていました。

1番街から4番街と9番街を除いて10番街までつづき、そごう百貨店東側の「味ののれん街」の9つに分けられています。

 

 

 

 

南の突き当りを左に入ると「神戸国際会館」に至るエスカレーターの前に出ます。

 

 

ここから地上に上がる階段には 買い物客か観光客か分からないが、いつも何人かの人が座っています。

 

階段の左右から下に下りると「神戸市営地下鉄海岸線」の「三宮・花時計前駅」に出ます。

 

三宮・花時計前駅

 

駅前から右折し、すぐ左折すると「神戸市役所」へ通じる地下道が続きます。

 

ここから地上に上がると、神戸市役所が正面に現れます。

 

振り返ると「神戸国際会館」がデーンと構えています。

 

市役所の手前にあるはずの「花時計」がありません。

 

花時計は市役所本庁舎2号館再整備のために休止されています。

一旦東遊園地に移転し、最終的な場所は未定だそうです。

 

神戸市役所2号館は、元々は8階建だったが、震災で6階部分が押しつぶされたので、6階も含め7・8階を取り除いたうえで、耐震補強をして使われていました。

震災当日の朝、浪花町の会社へ向かう途中で、押しつぶされた2号館を見て目を疑いました。

その後、会社のビル前まで来ると、自分の会社も同じように4階が押しつぶされていました。

あまりの地震の凄さに身体が震えたのを覚えています。

 

震災で被害を受けた市役所2号館

 

この高いビルは市役所の1号館で、ルミナリエの時には24階の展望ロビーからルミナリエを見下ろすことが出来ます。

 

 

1号館の南側に「マリーナ像」が建っています。

その前に震災で倒れた時の姿が「阪神大震災の記憶」として残されています。

 

 

震災で倒れた時の様子です。(朝日新聞社の報道写真より)

 

フラワーロードのプロムナードには人口の川が流れています。

昔の生田川がここを流れていたというイメージを表現しているそうです。

 

川の途中には「ふれあいの滝」が落ちています。

 

 

この公園には遊園地がないのになぜ「東遊園地」と言うのでしょうか。

慶応3年(1868)神戸開港の後すぐに外国人居留遊園の名称で開園した日本最初の西洋式運動公園とされています。

 

子供の乗り物がある遊園地とはイメージが違いますが、日本最初のボウリング場もあったそうで、

一般的な「公園」と同じ意味に使われています。

大正11年(1922)になって、旧居留地の東に位置することから「東遊園地」と呼ばれるようになりました。

 

中が空洞になっているアクリルの彫刻は「スペースアイ」と名付けられています。

 

 

フラワーロードをさらに進むと「加納宗七」の像があります。

 

加納宗七は、紀州藩の御用商人でしたが、陸奥宗光らとともに坂本龍馬の仇を討つべく、京都にいた紀州藩士の三浦休太郎を襲撃したが失敗し、神戸に逃れて商売を始めました。

明治4年(1871)に、明治政府が計画した生田川の付け替え工事を請負い、3か月で工事を完了させ、埋め立てた川の後に道路を造りました。

土地の一部には宗七の名にちなんで「加納町」という地名がつけられ現在に至っています。

 

 

 

さらに進むと「モーツアルト」の像が立っています。

台座には、『この像は、偉大な音楽家W.Aモーツアルトを追憶し、没後200年を記念して、全国有志の協力にがより建設されたものです。1991年11月2日』と書かれています。

そういえば、私の勤めていた大丸前の会社の後に「モーツアルト」というケーキ屋さんがありました。

結構おいしくて人気が高かったのですが、今は閉店となり、兵庫区石井町で予約販売をしているようです。

 

神戸の復興を願って詠んだ「美智子皇后陛下」の歌碑が建っています。

 

 

東遊園地の南奥に「ボウリング発祥の地」書かれたボウリングの玉が置かれています。

神戸は、横浜と並んで日本最初のものがたくさんあります。

 

 

スコットランド人のアレキサンダーキャメロンシムを称える碑が建っています。

化学者であり薬剤師として、薬品の輸入や販売に力を注ぎ、日本初のラムネを開発した人でも知られています。

 

ポルトガル人「モラエス翁」の像があります。

モラエスは、神戸のポルトガル領事館に勤めていた外交官で、明治~大正の日本を海外に紹介した作家です。

 

東遊園地の一角に「阪神淡路大震災」の「慰霊と復興のモニュメント」があります。

 

流れ落ちる水の下に「瞑想空間」があり、震災で亡くなられた方のお名前を刻んだ銘板が掲示されていいます。

 

 

 

 

 

 

通路には建設募金に寄付された方々のお名前も掲示されています。

 

外には「1.17希望の灯り」が灯されています。

 

 

あれから四半世紀になろうとしていますが、いつまでたっても昨日のことのように記憶が蘇って来ます。

 

 

毎年1月17日の午前5時46分には、ご遺族やボランティアのみなさんと神戸市によって、「阪神淡路大震災1.17のつどい」が開催されています。

その時の様子をご覧ください。

 

関西電力のビルの窓に「1.17」の明りが灯ります。

 

 

東遊園地では、1.17を模ったメッセージの書かれた「竹灯籠」に灯が入ります。

 

3年前まで東遊園地の近くに住んでいましたので、毎年参加していました。

 

 

東遊園地では毎年12月に「ルミナリエ」が行われますが、昨年の12月12日にその様子はアップしましたので、ここでは省略します。

  ☟12月12日のリンク

https://ameblo.jp/tekutekukapichan/entry-12424645338.html

 

東遊園地の南端にある噴水前にやって来ました。

 

 

 

 「仔馬の像」が建っています。

この像は小学校の「神戸ノート」の内の一つ「れんらくちょう」の表紙にもなっていたので、神戸っ子にはお馴染みの像です。

 

台座には「愛」とあります。

 

柳原義達氏の作品で、仔馬の上にカラスが乗っています。

 

 

 

公園南側には、外国人社交クラブとスポーツクラブの建物を模した建物として「ヴィラブランシュ」というレストランがあります。

一度ここを借りて役員会議をしたことがありますが、ウエディングの出来るなかなか洒落たレストランです。

 

締めくくりは、兵庫池田文化会館前にある神戸ロータリー寄贈の「裸婦像」です。

 

フラワーロードには他にもたくさんの彫刻がありますが、キリがないのでこの辺でお終いとします。

 

次回は次の水曜日 「オクトーバーフェスト」へつづく