学問をやるのは「好きだからやる」への反論① から


②の理由について

多くの人は知識を身につけたいから何らかの学問をやろうとするわけです。


もしくは、仕事で成功したいからとか。

とにかく、動機があるはずです。


しかし、学問をやる意味は好きだから、そうでないと身に付きませんなんていわれると非常に困るのです。


何故なら、やろうとしている学問を最初から好きになれれば誰も困らないからです。

今まで見てきたように、好き=身につく=習慣化という図式は崩れました。


つまりは、ただ単純に続ければいいのです。

それが難しくて三日坊主でやめてしまうのですが。


僕は思うのですが、三日坊主を何度も繰り返す事はできませんか。

何故やめてしまうかというと、めんどくさいからでしょう。


それは気分の問題です。


とすれば、常に意識しておき気分が乗ったときにやることを続ければ自分にあった習慣が身につくはずです。


皆さんは、毎日やる事が習慣だと思っていませんか。

もしくは、決まった曜日、時間にやることを習慣だと思っていませんか。


そういう固定概念があるから、そうならなかった時、もうだめだと諦めるてしまうのではないでしょうか。

不規則でもいいので気が乗ればやればいいのです。


すると不規則ではありますがリズムができます。

時々は、没頭するというような時期が来ます。


その不規則なリズムが、ある一定のリズムに収束したときそれは真の意味で習慣化され、好きになったといえるのではないでしょうか。


好きにならなくても、習慣化させ、何かを身に着けることが目的なので、好きになる必要はありませんよね。


この話から分かる事は、好きという事は理解力と直結しないという事です。

理解力は知識によります。


つまりは経験です。

サッカーや野球など考えてもらえれば分かると思います。


どんなに好きでも、出来ないものは出来ないのです。

練習をつめばだれだってある程度のことは出来るのです。


つまりは、やはり経験ですね。


反論を終わります。