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東は南アルプス、西は伊那山地に挟まれた山峡地域の遠山郷と呼ばれる地域に「旧木沢小学校」はある。
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現在ある木造校舎は昭和7年(1932)に建てられたものである(上・下写真)。
木沢における小学校の歴史は明治5年(1872)までさかのぼる。今ある木造校舎の正面に位置する木沢八幡神社の社殿で修身学校が発足したのが、そのはじまりである。その時の児童数は14名。
明治に終わり頃には王子製紙によって、周辺地域の木材の大規模伐採がはじまり、それとともにこの地域の人口が増え、子どもの数も増える。それに対応するため、現校舎の位置に小学校が新築される。その時の児童数は69名にのぼる。
その後、昭和5年(1930)に木沢本村全体を焼く大火があり、その時この集落の復興にあわせて、建設され、その2年後に完成したのが、今残る木造校舎である。
戦後、林業の隆盛にあわせて人口が増え、300戸 1600の人が木沢に住むようになる。遠山村と木沢村が合併して南信濃村が発足した昭和35年(1960)の児童数は257名である。
その後、高度成長をむかえると、木沢の産業を支えていた林業が衰退しはじめ、また若者の村外への流出が進み、木沢の人口は徐々に減っていくこととなる。
そして平成3年(1991)には木沢小学校が閉校となる。その時の卒業生は8名、在校生は18名。在校生はここから5kmほど離れた和田小学校へ歩いて1時間ほどかけて通うこととなる。正式に木沢小学校が廃校となると決まったのは平成12年(2000)である。
平成3年(1991)に閉校する時に、児童が制作。トーテムポールに描かれた顔は、霜月祭りの時に使用する面
校舎建造時に植樹されたようであるから、この桜の樹齢80年ほど。小学校の完成を記念してという意味と、集落の火災の後であったので、このムラの発展を祈ってという意味が、この桜には込められている。
この校舎の入り口にいくと、扉が開いており、「ご自由にお入り下さい」と掲示がされてあったので、中に入ってみた。
玄関には、スリッパが用意されていたが、その壁に「はだしで歩くと気持ちいいに!!」という掲示がされていたので、その勧めに従うことにした(左写真)。
廊下も階段も教室も全て床は木でできている。長年使用されていたことの証として、黒光している。はだしで歩くと、表面が滑らかでスベスベするものの、継ぎ目とかに微妙な凹凸を感じられ、また少しひんやりする感じも心地よいものであった。
教室は、子どもたちが使用していた当時のままであった。子どもたちが廊下からパタパタ走って、入り口の引き戸を勢いよく開け、今にも入ってきそうな雰囲気。
木でつくらた机と椅子が並べられている。ランドセルは実際にここに通っていた小学生が使っていたもの。
電気が必要ない足踏みオルガン。「猫踏んじゃった」とかをこれで小学生の時、友人と連弾したのを思い出す。
教室後ろの壁面には、児童が描いた絵が飾られている。地元遠山郷に伝わる「霜月祭り」を題材につくらたカルタの原画74枚で、全児童42名が4年がかりでつくり、昭和55年(1980)度時に完成したものである。
二階にある教室から外を眺めると、すぐ目の前に桜が。授業に集中できず、外ばかり見ていた昔を思い出す。
廊下に何気なく置いてある備品が懐かしい。赤・白の直径1mくらいある紙製の玉は運動会に使われたものであろう。
説明用の大きなそろばん、地球儀、地層や火山の構造が分かる模型、電気の流れを説明するための機器、映写機など。
地元に伝わる霜月祭りを学習する教室。
別棟の体育館。長机が置いてあり、会議に使用できるようになっていた。掲示されているのは遠山郷全体の歴史や文化の説明されている手書きの地図である。
畳敷きの場所があり、足を伸ばして寝転びながら本を読むことができる。これは小学校があった時からあったものではない。この校舎はただ昔のままの状態を保っているだけではなく、現在ここに訪れる人が利用しやすいように工夫しながら変えているようだ。
閉校になってから寄贈された本もあるが、子どもたちが以前読んでいた本が残っている。
黒板には木沢小学校閉校の年に書き残した児童の言葉が残っている。
閉校してから20年たっており、またこの校舎はいつでも外部の人が出入りできるようになっているのに、このチョークで書かれた文字が消されたり、この上から落書きされたりはしなかったようだ。
このような郷愁を誘うような建物には、人々の心を浄化させ、悪意を消し去るようなパワーがあるのだろうか。
今郷愁と述べたが、なぜ通ったこともない木沢小学校に、このような感情を持つことができるのか不思議だ。
ちなみに私が通ったことがあるのは、コンクリートでできた学校だけであるが、自分の母校に行けば、当然懐かしさを感じる。しかし木沢小学校に郷愁を感じるのは、このような個人的な経験とは関係なく、多くの人が共通してもつ感情ではないかと思う。
周辺の自然環境、地域の文化、小学校としての歴史、それを支えてきた人々の思いなど、実際それを知らなくても、それらを瞬間的に、直感的に感じることができる力が木沢小学校にあるとしか、私には説明できない。








































