てくてく歩いていくと・・・・。 雨の日は好きである。


ホコリやチリにまみれた街の汚れとともに、日常の嫌なことや不満に思っていることを洗い流してくれるような気がする。そう感じることで、自分の気持ちがリセットされ気持ちが落ち着く。


写真撮影していても楽しい。背景が沈み、太陽光がほどよくおさえられ、写そうと思うものそれ自体の色が鮮やかに引き立つ。また雨にぬれてるために、つややかである。


そして街行く人がさしている雨傘もいい。沈んだ風景に彩りを加えていき、スポットライトをあびたようにそこだけ浮き立ち、傘をさしている人の後姿を見ているだけで、その人の人生を想像してしまう。「シェルブールの雨傘」というフランス映画を知っているだろうか?雨の日における雨傘の魅力が映画の中で生かされ、物語を暗示する演出として使われている。



だから、私はよく雨の日に散歩する。




4月23日、午後3時過ぎくらいから、松本城の周りを散歩した。まだ桜は咲いていたが、この日の雨・風で大分散っていた。しかし桜の花びらの脇から葉っぱが顔をのぞかし、その初々しい黄緑色がかわいらしく感じられた。


てくてく歩いていくと・・・・。



てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。



てくてく歩いていくと・・・・。



てくてく歩いていくと・・・・。



てくてく歩いていくと・・・・。



てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。



てくてく歩いていくと・・・・。



てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。



てくてく歩いていくと・・・・。

雨の日は人通りが少なく、そして雨音で雑音がかき消されるので、一人の世界に入りやすくなる。それがまた心地よい。


そのためか、歌を自然に口ずさんでしまう。曲はその時の気分によって違う。先に述べた「シェルブールの雨傘」 のテーマ曲ももの悲しくて好きだが、この日は「雨にぬれても(Raindrops Keep Fallin’ 0n My Head)」 を口ずさんだ。原曲が英語であるから、歌詞があやしいハミング調であるが(※お願い:ぶつぶつ歌って変な人っぽいですが、こんな人がいてもあたたかく見守ってね('-^*)/)。


「雨にぬれても」はアメリカ映画「明日に向かって撃て(Butch Cassidy and the Sundance Kid)」の挿入歌。映画を知らなくてもCMでよく使われたりするので知っている人は多いのではないか。


てくてく歩いていくと・・・・。

「明日に向かって撃て」のサントラ(上写真)


映画は昭和44年(1969)に公開。日本での公開はその翌年。実在の銀行強盗ブッチ・キャシディ(ポールニューマン演)とサンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード演)の物語。





「Raindrops Keep Fallin' On My Head (雨にぬれても)」

 

作詞 Hal David(※訳詩は、いろいろ参考にしましたが自己流です。受験生は参考にしないように)


作曲 Burt Bacharach


Raindrops keep fallin’ on my head       

降りしきる雨が僕を濡らす

And just like the guy whose feet are too big for his bed
小さなベットから足がはみでるように

Nothin’ seems to fit

何もかもがうまくいかない

Those raindrops are fallin’ on my head,they keep fallin’

頭から僕を濡らす雨はまだ降り続いている


So I just did me some talkin’ to the sun
だから太陽にひとこと言ってやった

And I said I didn't like the way he got things done

“ちょっと、ひどくないかい
Sleepin’ on the job

眠ってないで仕事しろよ”って
Those raindrops are fallin’ on my head,they keep fallin’
頭から僕を濡らす雨はまだ降り続いている


But there's one thing I know
でもはっきり分かっているのは

The blues they send to meet me won't defeat me
僕は雨のせいで憂鬱になったりはしないし

It won't be long till happiness step up to greet me
そのうち幸せが僕に会いに来るはずっていうことさ


Raindrops keep fallin' on my head

降りしきる雨が僕を濡らす
But doesn't mean my eyes will soon be turnin' red
でもそれで泣いてばかりいて目を真っ赤になんかしない

Cryin's not for me

泣いたってなんにもならないし

Cause I'm never gonna stop the rain by complainin’

ぐちをこぼしたって雨は止まないから

Because I'm free
僕は自由だし

Nothing's worryin’ me
何も心配することなんてないんだ


It won't be long till happiness step up to greet me
そのうち幸せが僕に会いに来るはずさ


Raindrops keep fallin’ on my head

降りしきる雨が僕を濡らす
But doesn't mean my eyes will soon be turnin’ red

でもそれで泣いてばかりいて目を真っ赤になんかしない
Cryin's not for me

泣いたってなんにもならないし
Cause I'm never gonna stop the rain by complainin’

ぐちをこぼしたって雨は止まないから



Because I'm free

僕は自由だし
Nothing's worryin’ me

何も心配することなんてないんだ




この歌詞のように、雨が朝から降り続き、撮影していたら頭から全身濡れたような状態になったので、「雨にぬれても」を口ずさむ心境になったのだろう。桜とは関係ないので、本当は梅雨のほうがこの歌の季節感にあっているが。


雨にぬれても、普段嫌なことがあっても、“Because I'm free(僕は自由だし)” “ Nothing's worryin’ me(何も心配することなんてないんだ)”と思っていれば、It won't be long till happiness step up to greet me(そのうち幸せが僕に会いに来るはずさ


この歌の前向きな明るさがを、私は気に入っている。


映画の中のブッチ・キャシディもサンダンス・キッドもそんな男達だった。最後ボリビアの軍隊に追いつめられ時、二人で笑いながら、もうアメリカにはいられないから今度オーストラリアに行こうぜ、なんていうことを話してから、立てこもった家の中から外に飛び出し映画は終わる。


二人はこの後、死んだのだろうか?


南米パタゴニアには二人はその後も生きていたという伝説がある。それをブルース・チャトインが紀行文「パタゴニア」 の中に書いている。



「明日に向かって撃て」でまたブッチ&サンダンスに会いたくなってきた。


てくてく歩いていくと・・・・。






てくてく歩いていくと・・・・。 ここからの続き

南信州桜紀行 (遠山郷 旧木沢小学校 1)

南信州桜紀行 (遠山郷 旧木沢小学校 2)

南信州桜紀行 (遠山郷 旧木沢小学校 3)




東は南アルプス、西は伊那山地に挟まれた山峡地域の遠山郷と呼ばれる地域に「旧木沢小学校」はある。場所は ここ

この小学校は平成3年(1991)に閉校、平成12年(2000)に廃校になっている。
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てくてく歩いていくと・・・・。

木造校舎の前の桜の下で、花見を楽しんでいるのは、皆木沢で生まれ育った人たちで、木沢小学校の卒業生だ。


そして今、この小学校を保存し、地域づくりの中心として活用しようという運動をおこなっている「木沢地区活性化協議会」の中心メンバーでもある。


この会の代表者である松下規代志さんに、小学校を保存することとなった経緯をたずねた。


「昭和5年にこの周り一帯が焼ける火事があった時、小学校も焼けてしまいました。今ある校舎はその2年後に再建されたものです。再建する時に村人全員で汗をかいたり、お金を集めたりしてこの小学校をつくったのです。火事で自分達の生活も大変な時だから大変苦労したことだと思います。そしてそれ以前にあった小学校も同じようにしてつくったようです。小学校がある敷地だって村人が無償で提供しているんですよ。親や祖父の世代が協力しあって苦労して建てた小学校を簡単につぶすわけにはいけません。また私達皆この小学校に通っていましたので、たくさん思い出もありますし・・・」


実際、廃校になった時に校舎をとりつぶすという計画があったようであるが、木沢の人たちが反対し、それはなくなった。


この校舎が、建築物としての文化財価値があったので保存が決まったということではなく、住民の思い入れがのあったからこそこの小学校が保存されることになったのだ。


このような経緯があるので、この校舎の維持は木沢の住民自らの手でおこなっている。当然そこに金銭面も含まれる。


「自分達のことは自分達でする。保存したいのなら行政に頼らず自分達で責任をとる。当然のことです」と松下さんは力強く語った。


廃校となった小学校が残されているところは他にもあるが、イベントや映画の撮影時などだけに使用するだけで、常に公開しているところは少ない。木沢小学校は毎日公開されており、中には地域の歴史・文化が理解できるような展示がなされている。


毎日公開するためには、人が常にいなければならないし、定期的な掃除も必要だ。また中の展示も住民が自ら調べてまとめたものであり、大変の労力が必要とする。そして電気代や水道代といった光熱費もかかってくる。



てくてく歩いていくと・・・・。 今年になってからは教室に応接セットをつくって、小学校の見学者にコーヒーを無償で提供するいうサービスもはじめた(左写真)。














木沢小学校を利用したイベント活動も盛んだ。ギターコンサートや人形劇、タンゴの公演など積極的におこなっている。小学校という場所をいかした「一日体験入学」というイベントも定期的におこなっている。


大人向けのイベントで、参加者が子どもの頃に戻り、小学校の一日を体験するというものである。国語や算数や、校歌を習う音楽の時間、校庭でドッジボールなどをする体育の時間等。もちろん給食の時間もある。その時、先生役をつとめるのは地元の人々だ。


松下さんが、花見にきていたメンバーを一人一人紹介する時、「この人は社会の先生、この人は体育の先生、そしてあそこにいるのが校長先生」という具合であった。説明を受けるまで、一日体験入学のイベントのことを知らなかったので、最初信じてしまった。


このようなかたちで小学校であった校舎を活用する理由として、保存するだけでは意味がなく、常に活用することがこの建物をいかすことになると、松下さんは述べていた。


「小学校が飾りものではおかしいでしょう。もう子どもたちがいないから小学校ではありませんが、この建物は常にここにいる村人が使っていたからこそ、大切にされてきたし、この地域を象徴するようなものであり続けると思うんですよ」


現在木沢は世帯数135、人口300人弱で、住民の高齢化が進んでいる地域である。ここから小学校に通う子どもは誰もいない。「過疎」「限界集落」という言葉にあてはまる場所である。


しかし言葉からイメージされるような暗さを松下さんやこの地域の人たちと話しをしていても感じなかった。現実は現実として受け止めながらも、前向きにこの地域をどうしようということを皆で考えているからだ。


松下さんが代表をつとめる木沢地区活性化協議会は「話さまいかい」というワークショップを開き、この地域を住みよい場所、魅力的な場所にするためにはどうしたらよいのかを住民皆で考えるという活動をおこなっている。このワークショップに100人以上の住民が参加するというから驚きだ。現在、木沢小学校の活用の仕方も、このような場を通じて話し合われている。


「大切なのは住民皆でこのムラをどうするかを考えること。そのことがよりよいムラにすることにつながると思っています」 と松下さんは言う。


外部の意見も新しい発想があるので、柔軟に受け入れていかなければならないということも話していた。しかし松下さんが強調していたのは外部に頼るのではなく、自分達で地域のことは決めていき、必要ならば労力も金も惜しまないという覚悟が必要であるということだ。


ワークショップなんていう言葉を聞くと、新しいことをやっているような感じがするが、このような考え方はもともと土地に根付いていたものであろう。木沢のような山間地域の集落は農作物が少ないので自給的な生活ができない。だから外部から新しい情報をえながら、物資の交易をする必要があり、また自力ではなく、共同してそのことをおこなってきたという歴史がある。



「にいちゃん、もっと焼肉を食べろや」「酒はいらないの? 車だから? そんなのは気にしなくて大丈夫。俺の家に泊めてやるから」とか、皆が私に話しかけてくる。そして私が松下さんに小学校のこととかを聞いていると、他の人たちは世間話しをしつつ、木沢のことや遠山郷全体に関わることなど、あちこちで話しじめた。酔いが回っているのか、話しが飛び議論という感じではなく、互いの意見を確認しているという感じであった。


「まず林業をどうにかするべきだ。昔植えた杉が大きくなったのに間伐をしないから細くなり商品として価値がなくなっている。またこんな状態だと根がはらず土砂崩れがおこりやすい。遠山なんてもともと道が細くて、少ないのだから土砂崩れがあると、陸の孤島になってしまう。皆でしっかりと伐採する方法を考えなければいけない」


「陸の孤島というと、ドクターヘリの配備がされなかったよね。このような医者が少なく、アクセスが悪い山間地こそ配備されるべきなのに」


「最近は農地の荒れ方がひどい。年をとって維持できないのは分かるけど。荒れ放題だから、そこに鹿や猪がひそむようになり、しっかりと畑を維持しているところにも現われるようになり、作物に対する被害が多くなっている」


「やはり若い人の力が必要だよね。外部の人たちが来ても住みやすいような土地にしなければいけないよね」


「そのためにはまずはこのムラがいかにすばらしいか、情報の発信をしっかりしなければならない」


「森林鉄道を短い距離でも復活させるということは是非やりたいよね。観光客とか喜ぶと思うし、このムラに注目してくれる人が増えると思う」



以下 略


てくてく歩いていくと・・・・。

手作りの看板で、広く仲間を求めている。是非みなさんもこのムラをたずねてみて下さい。





人口が減り、高齢化がすすみ、さまざまなひずみがこの地域でおきていることが、この会話から分かる。しかしあきらめ感からの嘆き節に終わらず、だったら何をすべきかということを皆が前向きに考え、それをどうにか自分達で実行しようとする意思を感じることができる。


だから一つ一つ深刻な問題を述べているわりには、この花見の席は笑顔がたえないもので、楽しい空気感につつまれていた。もちろん途中で話しがつまると、脱線して下ネタ等冗談を言い合っていたことも付け加えておく。


居心地がよく、3時間くらい一緒にいたのだが、いきなり花見の席にいた一人にこのようなことを言われた。

「このムラが気に入ってくれるだったら、ここに住んだらどう? ここに住むことは簡単だよ。家はなんとかなるし、一人だったら10万円も月々あれば、贅沢しなければ暮らしていけるよ。10万円くらいだったらここにいても稼げるじゃないかな。実際何人かアイターンして暮らしている人もいる。このムラを愛してくれるんだったら、皆でできるだけ協力するよ。個人的にはにいちゃんみたいに明るい人だったらいいよね。あと酒をみんなと一緒に飲める人がいいよな。本当はにいちゃん酒は飲めるんだろ?そうであったらなおさら大歓迎ですよ」


また松下さんから

「国の補助金がらみなんだけど、公務員扱いで、この小学校に常駐しながら地域のコーディネートをする人を募集しようと思ってるんだよ。お兄さん独身なら応募してみない。学がありそうだからちょうどいいような感じがするけどね」


今の生活があるから、これについて即答することはできなかった。


日が傾き、しだいに暗くなってきたので、なごり惜しいがこの場を去ることにした。自宅にある松本に車で帰る途中、闇に包まれつつあった南アルプスの聖岳を眺めながら、この花見の席にいたようなオヤジに囲まれながら、

同じような志をもつ若者と一緒に、このムラの未来について考え、一つ一つそれを実現していく人生っていうのもいいかもしれないなと思った。

てくてく歩いていくと・・・・。
遠山川の向こうに夕日が沈んでいく。和田において




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旧木沢小学校は、生涯学習、合宿、映画ロケ、写真・音楽等の発表等の場として活用できます。またこのムラのために働こうというボランティアも随時募集しています。詳細はこちらまで。


〒399-1401 飯田市南信濃木沢1109

「木沢地区活性化協議会」


ここからの続き

南信州桜紀行 (遠山郷 旧木沢小学校 1)

南信州桜紀行 (遠山郷 旧木沢小学校 2)


てくてく歩いていくと・・・・。 東は南アルプス、西は伊那山地に挟まれた山峡地域の遠山郷と呼ばれる地域に「旧木沢小学校」はある。場所はここ

この小学校は平成3年(1991)に閉校、平成12年(2000)に廃校になっている。



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てくてく歩いていくと・・・・。

廊下の両側の壁面には、この土地の四季の写真とか、児童の写真や絵とか貼ってあった。また木沢小学校の歴史や、この周辺にかってあった森林鉄道の歴史が模造紙に何枚も使って手書きで丁寧に説明がなされている。


てくてく歩いていくと・・・・。 昭和56年度(昭和57年3月撮影) 児童・先生の写真


41名の児童と10名の先生が写っている。









てくてく歩いていくと・・・・。 遠山中学の学生が、木沢の歴史や地域づくりの取り組みをまとめたもの
















てくてく歩いていくと・・・・。 木沢小学校の昔と今(昭和50年代?)を比較している。









てくてく歩いていくと・・・・。 児童が書いた習字


優秀の作品を貼りだしたと思うが、学年が上になるほど、書く内容もそれらしくなり、また字も上手になる。













ここの土地に住む人たちが、この小学校に来る人々に伝えたいことをまとめた展示である。自分達で調べたり、考えたりして、試行錯誤しながら展示をしているのが分かる。


博物館とかにいくと、きれいに要領よく土地の説明がなされているが、ここの展示はきれいではないし、要領はよくはないかもしれないが、手作り感にあふれ、この土地に住む人の思いや、暖かさが伝わってくる。


てくてく歩いていくと・・・・。

この展示な中で個人的におもしろく感じたのは、木沢、隣マチの和田で時計・カメラ店を営んでいた秦俊夫さんの写真だ。20をこえる写真が廊下・階段の壁に展示されていた(上・下写真)。


秦さんは昭和13年(1938)生まれの方で、ここで展示されているのは、昭和30年代中心に木沢をはじめとするこの地域の少年・少女を写したものである。


昭和30年代といえばまだ林業がさかんで、この地域に子どもが多かった時代だ。彼が撮った子どもたちは笑顔にあふれており、子ども同士、道や空き地といった場所で元気に遊んでいるものが多い。日常の一瞬を捉えたような写真で、子どもの表情がいきいきしているのがいい。


今、カメラを向けると、よほど仲良くならないと、子ども達は、はにかんだり、すました表情をし、少し大人びたしぐさを見せる。無邪気で屈託のない表情がなかなか捉えることができない。また子ども同士、道端で遊んでいるところを年々見なくなっているような気がする。


秦さんの写真を見ていると、子どもが子どもらしくあり、また子どもとして振舞えた時代が昭和30年代にはあったのだと感じる。私の子ども時代はもっと後年にあたるが、どうであったか・・・・。同じような気もするし、そうでなかったような気もする。


てくてく歩いていくと・・・・。 秦氏の写真1


4人4様の表情がおもしろい








てくてく歩いていくと・・・・。 秦氏の写真2


塀の上を歩く少女。危険な遊びだと思うが、危険があるからこそチャレンジするおもしろさがある。それは女の子だって一緒。














てくてく歩いていくと・・・・。 秦氏の写真3


子守りをする女の子って、いつからいなくなったのだろう。






てくてく歩いていくと・・・・。 秦氏の写真4


サングラス、手ぬぐい姿で「快傑ハリマオ」。貸本や紙芝居のヒーローだ。















てくてく歩いていくと・・・・。 秦氏の写真5


左の男の子はパチンコをかまえ、真ん中と右の男の子は刀をかまえポーズをとる。真ん中の子が籠をかぶっているのは、虚無僧のマネをしているから。





てくてく歩いていくと・・・・。
秦氏の写真6


「馬乗り」?をして遊ぶ女の子。


上の子はシャレたカーディガン、下の子はジャンバーを着ているが、真ん中の子は半纏姿。多分お母さんの手作りだろう。













てくてく歩いていくと・・・・。 秦氏の写真7


ブロック塀の上で西部劇ごっこ。気分はジョン・ウェインか?この時代隣マチの和田に映画館があったので、そこにいけばアメリカの西部劇が観られた。




てくてく歩いていくと・・・・。 秦氏の写真8


笑顔がかわいい少女。小学校のマドンナか?
















写真を撮影した年がはっきり分からないが、昭和30年代の半ばだとすると、ここに写っている子ども達が生まれたのは、戦後まもなくの頃だ。



今この写真に写る子ども達は何をしているのかなと思いつつ、この校舎の外に出た。


そうすると、玄関すぐ横にある桜に下で、花見をしている男達が7人。車座になって焼肉を食べながら酒盛りをしている。ここで堂々と花見をするなんて地元の方しかありえないし、恐らくこの小学校の卒業生であろうと思っていると、この一団から「良かったら酒でも」という声で私にお誘いが。お言葉に甘えてご一緒することにした。


予想通り、皆、木沢小学校の卒業生で、戦前生まれや50代の方もいたが60代の方が多く、秦さんの写真の子ども達が成長し、ちょうど花見をしているようだった。いずれの方も残念ながら写真に写っている本人ではなかったが、過去から急に現在に連れ戻されたような感覚に捉われた。


てくてく歩いていくと・・・・。