クラフトフェアで食べた「カンボジアカレー」がおいしかったので、紹介しておきたい。


てくてく歩いていくと・・・・。

「クラフトフェアまつもと」では食の工芸ということで、飲食店のブースもある。「あがたの森食堂」というゾーンにその多くがあった。


上の写真は2日目の様子。雨がひどく、人もそれほど多くない。設営されたテントやゲルの限られた場所で食事をするしかない状態であるが、その中も人で満杯というわけではない。


コーヒーやケーキ、焼きビーフン、ビーフシチュー、サンドウィッチといったものを売っているブースがあったが、その中でも時折行列ができて人気であったがカンボジアカレーやバナナちまきを売っていた「こーさんのうち」というブース。




てくてく歩いていくと・・・・。 カレー好きであるが、カンボジアカレーなんて食べてみたことがないので、その時5人ほど並んでいたが、雨の中10分ほど待ち、購入。


東南アジア系のカレーといえば、タイカレーを思い浮かべる人が多いと思うが、タイカレーのようなピリッとした辛さはなく、もっとまろやかな辛さだ。そしてどこか温かい素朴な風味が感じられた。


店の人に聞くと、レモングラス等の各種ハーブを木のうすで叩きつぶして、唐辛子と混ぜた自家製“カレーのもと”をまずつくるという。そしてそれをココナッツミルクの中に入れて野菜と鳥肉を煮込み、最後にトウックトレイ(カンボジアの魚醤)で味つけをしている。



てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。 お店を切り盛りするのはカンボジア人のこーさんと、その奥さんの平野曜子さん。


曜子さんはカレーなどの盛り付けや販売をしており(左写真)、こーさんはその裏に置いてある車のなかで、カレー等の調理をしていた。


お客に対応するのに忙しいようであったので、少しの間であったが、曜子さんと話しをした。


特に常設の店舗をかまえているということはなく、イベント等で移動販売というかたちでカレーなどの販売をしている。イベントがない時は他の仕事をしているようだ。


信州安曇野にある松川村に在住していることもあり、カレーの販売する場所は長野県中心である。


そしてこの二人はカンボジアにあるこーさんの実家で地元の子ども達に日本語や英語の教育を無償でおこなうという活動をしている。イベント等で募金をつのったり、日本で得た収入を、その活動のためカンボジアに送金しているという。


「カンボジアは日本みたいに教育を受けることが当たり前といった社会ではないんです。家が貧しかったり、学校が遠かったりして、通学が困難な子がまだまだたくさんいます。こーさんも学校に通うのに苦労したんですよ。そんなこともあり、二人で話しあって、こーさんの実家で寺子屋的なことをしているのです」


伝統的なカンボジア住居は高床式のものであるが、その長い軒下部分を改造し、学校としている。教材費や椅子や机の購入費、教師への謝礼といった経費がかかり、カンボジアでそれを捻出することが困難であるので、日本で働くことにしたようだ。


ブースの脇にカンボジアでの活動を伝えるボードがあり、その中に次のような言葉が書いてあった。

「カンボジアの子どもの目は、とてもきらきらしています。みんな、貧しくても、勉強できなくても、はねっかえす元気をもって、生き生きと、ものすごい笑顔を持って、生活しています。


勉強してもいい、しなくてもいい。

でも、カンボジアの子供にも選べるチャンス、夢を叶えるチャンスがあっていいと思います」


二人のカンボジアの活動の模様や、カレー店の出店場所の告知についてホームページに詳しく掲載されている。


また曜子さんはブログを書いており、二人のほのぼのした日常がつづられている。さまざまなエピソードとともにこーさんのことについて述べられており、彼ののんびりしているところ、優しいところ、無邪気なところ、時には困惑させられるところもあるようだが、その全てを愛しているのが分かる。そしてこのブログには、愚痴めいたことは書かれておらず、前向きに二人で生きている姿が伝わってくる。


ホームページやブログを見ると、二人のことや、二人の活動を応援したくなってくる。


ホームページ「こうさんのうち」

ブログ「こうさんのうち」



今回、曜子さんとは少しだけ話しをしただけだし、こーさんとは話しができなかったので、次いつ会えるのかなと思い、彼らのホームページを見ると、意外と早く、近所で出店予定があることが分かった。


6月26日(日) 「こいこいまつもと2011」  場所 松本市中央1丁目 Mウィング  全館


昨年につづき2回目となるイベント。松本周辺に住む外国人と日本人との交流を、世界各国の音楽・踊り・食・文化を楽しみながらはかるというものである。


イベント詳細はこちらhttp://koikoi2011.jimdo.com/


ここで、こうさんや曜子さんに出会ったら、「ニャム バーイ ハウイ?」と笑顔で語りかけてみようと思う。


言葉の意味は「ご飯食べた?」という意味だが、日本での“こんにちは”といった挨拶同様の言葉のようだ。カンボジアでは電話でもメールでも一番使う挨拶の言葉らしい(曜子さんのブログ参照)。  


ペタしてね


前回「クラフトフェアまつもと 2011(1) 」の続き



てくてく歩いていくと・・・・。

「クラフトフェアまつもと 2011」の2日目は朝から土砂降りの雨である。それでもこの日8,000人の来客があったようだ(主催者発表)。


足元をみると、いたるところで川ができている。長靴を履いていなかったので、靴が水浸しの状態になり、中にまで雨がしみこんできた。カメラやレンズを入れていたリュックサックはいつのまにかずぶ濡れだ。


各ブースにいる工芸家は、商品が雨に濡れないように常に注意を払い、大変そう。商品をよく見るためにブース内に入るお客も傘から雨の雫が落ちないように気をつかっていた。


クラフトフェアでは、陶器やガラスでできたコップや皿、椅子や机などの木製品、鑿・鉋などの刃物、ショール・鞄などの布製品等、さまざまな生活用具が販売されている。しかしその中には美術品といっていいような置物も売られている。美術品はクラフトとはいえないはずであるから、この場にはなじまないような気はするが。


そもそもクラフト=工芸とは何であろうか?


柳宗悦 (やなぎむねよし)の著作とかを読むと、「造形藝術」には「美術」と「工藝」の2種類があると説明されている。(『民藝とは何か』『工藝文化』等)。そして美術は美のために鑑賞するもので、工藝は実用のための作品であると明確に述べている。つまり工藝とは使うことによってその真価が問われるもので、飾っておくようなものではない。そのことを「用の美」という言葉で表現している。


柳宗悦は工藝の中でも、主に手工業によってつくられる日用品に美を見出し、そのようなものを特に「民藝」と呼び評価しなければならないと主張する。


松本は城下町ということもあって元々染色・木工・石工等多くの職人がいた場所で、戦後には柳の考えに共感した多くの人々が工房をもち、柳の提唱する「民藝運動」に積極的に参加していく。松本市街地にある中町を中心に工房や工芸品のギャラリーがあるのはそのためだ。「松本民芸家具 」という会社があるが、そこが松本の民藝運動の中心的な役割を果たしていく。


アメリカで開催されていたクラフトフェアの影響を受けて、松本でのそれは昭和60年(1985)にはじまったと前回述べたが、城下町であったことの伝統にあわせて柳宗悦の民藝運動に触発された多くの工芸家が松本にいたということを忘れてはならない。


柳宗悦の民藝について補足すると、豪華な素材を使うものは貴族的だからだめで、素朴な素材を使わなければならない。また作家個人の作為を、モノ自体の本来の美・機能を損なうものとして否定し、作家同士が協業して作品をつくる必要があるとしている。


工芸品は民衆のためにあり、その民衆に尽くすのが工芸家の役割である。そして作家性を否定しお互い協力することで工芸品を通した新たな日本文化の創造がはじまる。このような柳の強烈な思想が民藝という言葉にはこめられている。


柳がこのようなことを主張したのは、時代に対する抵抗からである。


工場の機械化が進み、画一的な工業製品が出回り、「美しい」伝統的な工芸品が失われていくことの嘆き。琉球や朝鮮の文化財が壊されていくことの怒り。戦争がはじまり日本人が本来持っていた美を見失ってしまったことへの悲しみ。


民藝運動は大正15年(1926)にはじまるが、関東大震災の3年後であり、この運動によって本来あるべき日本を目指して復興させようという柳の思いが伝わってくる。戦争中この運動は下火になるが第二次大戦が終わってからの復興期にまた再び、柳の民藝に対する考え方に共感する者達が日本各地で活動をする。松本に民藝運動はこのような中ではじまる。興味がある方は「松本民芸館 」を訪ねてみるといい。


戦後、民藝という言葉は「民芸品コーナー」とか「民芸調の椅子」といったように普通に使われるようになるが、1980年代に松本でクラフトフェアをはじめた若者にとっては古臭い言葉に感じただろう。彼らにとって民藝という言葉より、クラフトという言葉の方が新しさがあったと思う。だから「クラフトフェア」であって「民藝祭り」ではないのだ。


彼らがクラフトフェアをはじめるきっかけをつくったアメリカのそれは、既成の価値観を否定する60年代、70年代のカウンターカルチャー世代の若者がつくったものである。自然や人とのつながりを大切にし、社会に異議をつきつけ、そしてボブ・デュランやジョン・レノンを聞き、自己表現することに喜びを感じるといった人たちである(分かりやすくいうと、LOVE&PEACEっていう感じです)。


80年代に自己の発表の場を求める松本の若手工芸家が、作家性を否定する民藝の考え方になじまないのは当然であるし、民藝という言葉にある伝統的というイメージも自己の表現を制限するようで抵抗感はあったろう。またアメリカンカルチャーに対するあこがれもあったと思う。


松本のクラフトフェアは、ミュージシャンによる野外コンサートがあり、その前で弁当を開き食べてるようなピクニック気分の人もいる。出展者も観客もその場を楽しむという雰囲気があり、自由という空気感に包まれている感じだ。もし「民藝祭り」であったらどうであったろうか?大分違った雰囲気になったろう。(それはそれでデパートの物産展みたいで楽しい感じはするが)


出展されているもの中に、クラフトといいながら美術的な作品があったりするのは、クラフトフェアが自己表現の場であり、自由な場であることの表れであろう。


また美術品は生活に潤いを与える実用品という言い方もでき、そういう意味で工芸品であるという考え方も成り立つ。実際クラフトフェアという空間においても、人々に潤いを与えている。


とはいうものの、美術品といっても絵画などはクラフトフェアにはなく、石や木やガラスといった素朴な素材を使った置物の出展が認められているだけである。出展するのに何らかの基準はあると思われる。


クラフトフェアで出展されている大多数は、生活用具といえるモノである。それを販売している工芸家であっても、モノの機能を損なわないようにするという前提はあるが、装飾や形態といったところで自分の個性をどこかで出そうとしている。もちろんそれを極力抑えている人もいるし、伝統的製法にこだわり漆器や竹細工といったものを出展している人もいる。


作品に対して自己をどのように表現するのかというのは、その人がもつ作家性であり、人間性である。モノが持つ意味と格闘しながらも、作品にそれが表れてくるところにおもしろさを感じる。そして気になった作品があったらついついそれをつくった作家と話しをしたくなる。話をするとその人を知ると同時に作品もよりよく知ることができる。


そうするとついつい高くてもその作品を買いたくなる・・・・。しかし自分のことも多少話し作家と親しくなるので、値切りやすくなり、大抵おまけしてくれる。ひょっとして、長話しをする私を早く追い出したいだけだったりして。そうであったらごめんなさい。



写真を撮ったり、話し込んだり、値切ったりして、ご迷惑をおかけした人たちとその作品を紹介したい。


■「久遠染  武内菊水さん」

武内菊水さんは三重県鈴鹿で工房を構えている染屋さん。年齢は60をこえている。


京都出身で、菊水さんで4代目。日本画の家系であったが、3代目は京都のスタジオで映画美術をするようになり、4代目は染色をするようになる。また5代目にあたる菊水さんの息子のアイディアで、デニム地を使った柿渋染めの帽子やジャケット、鞄などもつくるようになる。菊水さんは「私の父や息子もそうですが、新しいことをするのが好きなんですよ」と述べている。


菊水さんは鈴鹿の工房で主に柿渋を使用した染色をおこなっているが、柿渋染めは手間がかかる作業のようだ。


染料である柿渋は、渋柿を圧搾してしぼった液を何年間もかけて発酵させたもので、そこに素材である繊維を浸し柿渋染めをおこなう。ただ浸すのではなく、途中乾かし、また浸すという繰り返しで、色むらがなくなり思ったような染め具合になるまでそれを続ける。だいたいその作業で5年以上かけている。


菊水さんの横にいた奥さんはこう語る。


「柿渋を使って染めるにしても、素材によって染め具合が違いますし、柿渋そのもののつくり方や柿渋に素材を浸す時間や乾かし方といったことでも風合いが変わってきます。その日々の変化を楽しみながら仕事をしています」 てくてく歩いていくと・・・・。

デニム地を使った帽子。同じ柿渋染めでもそれぞれ色が異なり風合いが違う。


てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。 デニム地のハギレを縫い合わせてつくっている鞄。それぞれ縫い方や色が異なり同じモノは存在しない。


裏地にも補強するために、デニム地が縫い込んであり、かなりしっかりとした頑丈のつくりだ。


伝統的な柿渋染めと、デニム地やこの鞄のデザインがもつポップな感じが自然に融合しているところに惹かれる。







てくてく歩いていくと・・・・。

武内菊水夫妻。二人とも陽気な方で、楽しかった。これは一日目の写真であるが、朝から雨が降っていた二日目の午後に再びたずねてみると、奥さんだけいて、商品はすべてプラスチック容器に入れられ、外に出していなかった。その理由を聞くと「湿気がついて変色するのが嫌ですので」と述べた。色にこだわって製品をつくっていることが分かるコメントだ。


それでは商売になりませんねとたずねると、

「売れるにこしたことはないけど、そんなに多くつくることができるモノではありませんので、別にすぐに売る必要はないんですよ。私達の商品を気に入ってくれて方がいて、デパートで店を持たないかという誘いもあったが、そういう話しも断っています。商品が売れるということより、苦労してつくったモノが雨でダメになってしまうことの方が嫌です」


ところで旦那さんは?

「他の工芸家さんのところに遊びにいってるんですよ。私も主人と交互に店番をしながらいろいろ見て歩いてるんですよ。そろそろ帰ってきていいはずなんですけどね」


ご夫婦二人でクラフトフェアを楽しんでいるご様子だ。




■「qan:savi 稲井浩志さん」http://www.qansavi.com/

カメラが好きであるので、昔の機械式カメラがあったので、思わず足をとめたところが、稲井さんのブース。


稲井さんは別にカメラを売っていたわけではなく、カメラのストラップ等の皮製品を販売していた。


愛媛県松山市に工房をかまえ、各種ストラップとともに、小銭入れや財布、ベルト、バックといったものまで製作している。


昭和45年(1970)生まれで、大学卒業後、大手家電メーカーやインテリア雑貨店に勤め、その後自分でもアパレルショップを経営するかたわら、独学で革製品のつくり方を勉強し、平成21年(2009)に自宅で工房をかまえる。


工房の名前「qan:savi(カンサビ)」の意味に彼のモノに対する考え方が込められている。


古神道における価値観に「神さび」という言葉がある。古い年月を経ることでしみでてくる神聖であり、神々しい雰囲気のことを、その言葉は表している。


「昔はモノに対して、特に長い年月使いこまれたようなモノに対して、魂がこもっていると考えて、大切にしようという気持ちが自然に皆が持っていたと思います。そのような気持ちは大事だと思いますし、また使っていくうちにツヤや色が変わったり、傷がついたり、形がくずれたりしますけど、そういうモノの変化は楽しいものです。このようなことを思い店名をつけました。私がつくっているモノなんて、使い込むほどいい感じになりますよ。そういう性質に惹かれて、皮製品を30過ぎてから真剣につくるようになりました」


てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。 カメラにストラップは最初はつくっていなかったという。小銭入れとか財布といったものを元々つくっていたが、各地の展示会に商品を出展すると、カメラ好きの人たちがお客に多く、ストラップをつくってほしいという要望がたくさんあったことから、つくりだしたと稲井さんは語る。


現在、カメラストラップは3種類つくっている。ハンドストラップ、ネックストラップ、ショルダーストラップ。牛ナメ皮を使用しており、洗ったり、磨きをかけたりしてユーズド感を出している。そして叩き痕があって鈍い光を発する真鍮環がいいアクセントになっている。


一針一針全て手製で、丁寧な仕上がり。皮の色は使い込むほど色が濃くなり、ツヤがでて味わい深くなるようだ。


稲井さんはカメラケースもつくっている。オーダーメイドにも応じてくれるようなので、自分のお気に入りのカメラのサイズに合わせたものが欲しくなる。



てくてく歩いていくと・・・・。 稲井浩志さん。物腰が柔らかい感じがする人で、丁寧に質問に答えてくれた。ありがとうございます。















■「HOPE METAL CRAFT  柴田望さん」http://hp.did.ne.jp/hope-craft/

愛知県常滑市といえば、知多半島にある陶器のマチとして有名であるが、柴田望さんは銅や錫といった金属版を金槌で叩いて成形するという「鍛金」という技法で、ペーパーナイフ・鍋・椀・コップといったモノ、そして独創的なオブジェをつくっている。

柴田さんは昭和57年(1982)生まれで、地元高校のデザイン科を卒業後、ノルウェーの学校で造船技術を習いにいく。そこで金属加工を勉強したのかというと違い、木造船の制作技術を習っている。金属加工技術は帰国後、独学で習得したという。

「モノづくりをしっかり勉強したのはノルウェーに行ってからです。全体を設計する能力、道具の使い方、素材のもつ性質を読み解き、それを適切に使う力。モノづくりの基礎をすべてここで学んだと思います。帰国後金属という素材に魅力を感じて、鍛金をはじめましたが、ノルウェーでの経験がいきていると思います」


てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。 錫でできたぐい飲みや片口(上写真)。ビアカップやお椀といった錫製品も販売されていた。


錫製品はどれも槌で叩いたあとがきれいに文様になっている。このぐい飲みには表面に鏨で細かく葉っぱの飾りが施されていた。細かい仕事だ(左写真)。










てくてく歩いていくと・・・・。

「海底2万里」と題された銅製のオブジェ。


海底2万里の世界に住む生物をイメージしたものか? ジュール・ヴェルヌの同名小説にでてくる潜水艦ノーチラス号をイメージしたものか? 


このような不思議なオブジェは他にもあり、トカゲみたいなものとかも展示されていた。他の人には想像できない「のぞむワールド」という感じだ。詳しくは彼のホームページを見てほしい。多数作品あり。


ちなみにこれは非売品であると思っていたが、42万円という値札が貼ってあった。一家に一台(一匹)どうですか?


てくてく歩いていくと・・・・。

柴田望さん。知的で冷静な感じがする人であった。でもあんな不思議なオブジェをつくるだけに、親しくなればまた違ったおもしろい一面を見せてくれる人であると思う。




■寿窯 水野智路さん


てくてく歩いていくと・・・・。


伝統的な感じがするのが、パターンで描かれている文様にかわいらしさがあり、あか抜けた感じがする器だなと思った。まるでルイ・ヴィトンの文様のようだ。その陶器を手にとった。そうすると、パターンで描かれている文様は、表面と全く同じように裏面にも描かれていることに気付いた。


実はこれは、絵の具で書かれたものではなく、着色された粘土が練りこまれたものであると、この器を製作した水野さんが説明してくれた。この陶器制作の技法を「練り込み」といい、代々陶芸家である水野家に伝わっているものであるという。


てくてく歩いていくと・・・・。

伝統的な文様である「うずら手文様」がほどこされた皿。オモテ面


てくてく歩いていくと・・・・。

上の皿の裏面。



てくてく歩いていくと・・・・。 「練り込み」技法を分かりやすく説明してくれた。


まず着色した粘土をいくつか使い、たくさんの金太郎飴状のモノをつくる。それからそれを積み重ねていき、その断面を切ると、いくつものパターン文様があらわれてくる。そしてそれを素材として器をつくっていくのが「練り込み陶器」と呼ばれるものである(左写真参照)。









水野さんは昭和60年(1985)生まれの、25歳。愛知県瀬戸市に工房がある。


水野さんは6代続く陶芸家の家庭で育っている。練り込みは元々中国にあった技法で、水野家では、水野さんの祖父が試行錯誤して習得した技術が伝承されている。


名古屋造形芸術大学卒業後、水野さんは実家の工房で父親とともに陶器をつくる道を選択している。


「モノをつくることは小さい頃から好きでしたので、家業を継ぐことに対して抵抗はありませんでした。ただ父親は名人と呼ばれるような人なので、意識してやりづらい点はありましたけど、今は師匠であるのは変わりませんけど、ライバルだと思って日々器をつくっています」


水野さんの後ろには、父親の教雄さんがいた。水野教雄さんは瀬戸市の無形文化財に指定されているような名人であり、瀬戸陶芸協会長をつとめる、瀬戸を代表する陶芸家である。「今日は息子の手伝いですから」と教雄さんは言い、ニコニコ笑いながら、水野さんのフォロー役に徹していた。


水野さんは、父親の作品は自分のつくる陶器の10倍の値段で取引されていると述べ、「自分らしい作品をつくり続けることで、いつかは父のように評価される作家になりたい」と力強く語っていた。


工房の中の様子を尋ねると、教雄さんがこう言う。


「もう教えることはありませんので、お互い背中を向けて黙々と自分の段取りで、集中して仕事をするという感じです。私も息子のことをライバルと思っていますから」


ライバルといっても二人のやり取りを見ていると、根底でお互い信用しあっており、優しさがあるライバル関係を築いている感じがする。芸術家同士でよくありがちなギスギス感はない。こんな親子関係って素敵だなと思った。



てくてく歩いていくと・・・・。 水野さんオリジナルの文様が施されたいる陶器。

パステル調の色彩でかわいい感じに仕上がっている。















てくてく歩いていくと・・・・。 水野智路さん。


素直でさわやかな感じがする好青年という印象。


名前がいい。智路と書いて「ともみち」ではなく「ともろう」と読む。漢字にも意味があるとい思うが、この読み方をするということは英語の「tomorrow」にかけている名前であろう(特にこれについては聞かなかったので違う可能性もある)。


若い水野智路さんの明日が楽しみだ。



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今年のクラフトフェアで購入したもの(下写真)


写真下より

・稲井浩志さんの「カメラ用ハンドストラップ」

・柴田望さんの「ぐい飲み」

・水野智路さんの「コーヒーカップ」

・武内菊水さんの「バック」大・小


オマケはしてくれたが、かなりの出費。


しかしどれも長く使用でき、飽きがこないようなモノであると思うし、夢をいだく工芸家を応援したと思えば安いものだ。またいつかどこかで、クラフトフェアで出会った工芸家と再会できればうれしい。時間があったら、彼らの工房にたずねてみるのも楽しいだろう。


てくてく歩いていくと・・・・。

ペタしてね

5月の最終土・日曜日の28日・29日の両日、あがたの森にて「クラフトフェアまつもと 2011 」がおこなわれた。


陶磁・木・漆・ガラス・染色・皮革・金属・竹等さまざまなモノを素材にして制作された工芸品が、それを実際につくた工芸家によって販売される。近年では280程度のブースが並ぶ。例年より若干増え今年は298組の参加である(主催者発表)。


これほど多くの、また制作する素材が異なる工芸家が日本全国から集まる機会は少ないこともあり、工芸家達のお祭りという側面もあるイベントだ。


昭和60年(1985)に、初めておこなわれて、今年で27回目になる。アメリカのクラフトフェアをたずねた地元の木工家が、その開放的な雰囲気に感動して、普段自主的な作品の発表の場がない若手の工芸家と一緒になって全国に先駆けてはじめたのが、松本のクラフトフェアである。最初は地元の工芸家を中心に45組の出店であった。その当時からあがたの森で開催されていた。この過程は木工デザイナー三谷龍二さんの本『遠くの町と手と仕事』に詳しい。三谷さんは、昭和60年当時若手木工家の一人で、クラフトフェアに第一回目から企画の段階から参加し、現在に至るまでその開催に尽力している。


この三谷さんの本におもしろいことが書いてあった。松本クラフトフェアのイメージカラーはブルーであるが、「ブルーシートでフェアをしていたころを忘れないように」という気持ちが込めれているようだ。


手探りではじめた第一回目のクラフトフェアに、参加した若手工芸家がどのようなことを思っただろうか。利益というよりも、自らの作品を発表することの喜び。作品を媒介して工芸家同士そしてお客との関係を築いていくことの感動。そして自分の仕事に対する誇りや不満といった刺激etc。


このような新鮮な思いを参加者各自が持ち続けているから来年も出店を希望し、そしてその思いを聞いて、おもしろそうだと感じた工芸家が翌年新たに加わっていくこととなる。その繰り返しの中で27回現在まで、このイベント維持されてきたのだろう。今年参加した多くの工芸家は、どのような思いを抱いてこのクラフトフェアに参加して、そして去っていくのだろうか。




てくてく歩いていくと・・・・。 クラフトフェアがメインイベントとなる「工芸の五月」のロゴマーク。


青はブルーシートを表すとすると、白のラインはテントの骨組みか?




てくてく歩いていくと・・・・。

会場のあがたの森公園の入り口。右側に見えるのは大正期に建てられた旧制松本高等学校。



てくてく歩いていくと・・・・。 私は松本に来てから毎年、クラフトフェアに行っているが、ここ近年、初日は全体を眺めるようにして見て、家に帰って一晩考えて、2日目に工芸品を購入することにしている。


いいと思えるものがたくさんあり、また作家さんと話しをしてみると、魅力的な人が多いので人柄に惹かれてあれもこれもといった感じで購入したくなる。


しかしそれほど予算がないので、衝動買いしてしまうと、後でもっと欲しくなるようなモノに出会っても、お金の問題で断念せざるをえなくなる。


初日は昼2時頃に、会場にいく。台風が接近していて、雨が心配されたが、私が会場にいった時は、まだ雨が降っていなかった。




今年もさまざまな出店があり見ているだけで楽しい。

てくてく歩いていくと・・・・。

陶芸のブースが多い。全体の1/3はそうでないか。それ以外の素材のものはわりとお客が集まっていたが、陶芸は集まっているところと、そうではないところの差が激しい。


場所やディスプレイの方法の差もあると思うが、声を積極的にかける工芸家のところにはお客が集まっているような感じがする。しっかりしたものをつくっても人間力やまた営業力が問われるからシビア。



てくてく歩いていくと・・・・。 木工品のブース「工房イサド」さん。お店ホームページ



無垢材や古材をつかった素朴の風合いの作品が多い。あえて素材らしさを出すために、表面を滑らかにせず凹凸面やのこぎり目を残したりしているモノもあった。



外国人のおばちゃんがおもしろそうに見ていたのは印象的。その見つめる先の羽子板みたいなモノは、小型のカッティングボード。




てくてく歩いていくと・・・・。 デニム地を使った小物入れを販売していた「一針(ひとはり)」さん。お店ホームページ


すそあげのハギレで制作。すぐにゴミにせず、素材を無駄なく再利用しながら、大切に使うのも工芸家として重要なところ。このようにしてつくられたモノは購入者によって大切に使われることにつながる。


これを制作した福田昌彦さんは札幌からの参加。遠いところから大変だ。しかし前日から松本入りをして、ソバを食べたり、工芸店を回ったりしてこの土地を満喫している様子である。








てくてく歩いていくと・・・・。 クッキー等のお菓子を売っていたブース。


このブースがあった周辺は「あがたの森喫茶室」というスペースでパンやケーキなどが売っていた。


また違う場所には「あがたの森食堂」というスペースがあり、カレーやビーフンやフォーといったもの販売されていた。


食の工芸ということで、このような食品が取り扱われるようになったのは近年のことであり、毎年30ほどの出店がある。スペースの問題があると思うが、個人的にはもっと充実してほしい。食べることってそれだけで気持ちがはずみ、それでお祭りになると意味なく多くのものを食べてしまう。食はクラフトフェアのようなお祭りごとには彩りを加える大切な要素ではないかと思う。





てくてく歩いていくと・・・・。

昔ながらの絹糸制作の実演をしていた「宮坂製糸所」


お姉さんが座繰り作業で繭玉から絹糸を取り出している。ここにいる子どもは繭玉を桶の中から取り出し、絹糸を取り出す口を探していた。



てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。 アルミのキーホルダーを制作しようというワークショップを開いていた信州大学のブース。


発泡スチロールで型を自由につくり、その周りに砂を入れ(上写真)、発砲スチロールの上から熱して解けたアルミ流しこみ(右写真)、原形をつくる。そしてやすりをつかって成形すれば完成。











てくてく歩いていくと・・・・。


芝生が一面にはられて大きなスペースでは、ジャズの演奏をしていた。トロンボーン2本が入った珍しい構成のコンボ。


てくてく歩いていくと・・・・。 この野外ステージでのコンサートは地元バーテンダー協会がお酒を販売する「五月亭」とのコラボ企画。








ここでビールを買い、芝生の上で座っていると、雨が小雨ながら降ってきた。そうすると色とりどりの傘が一斉に開く。


てくてく歩いていくと・・・・。

しだいにステージの前の観客がまばらになってきたが、それでも子どもたちは芝生に上ではしゃいでおり、音楽に合わせて踊っている女の子もいた。


私は雨に濡れながらも、ビールを片手に音楽を聴き、クラフトフェア全体に感じるスローな雰囲気を楽しんだ。

てくてく歩いていくと・・・・。


しだいに雨が激しくなってきた。

工芸品の素材には、水に弱いモノが多くある。先に紹介した木や布といったモノはそうであろう。またその他皮や紙や鉄(錆びるから)といったモノも。


翌日は朝から土砂降りといっていい雨であったので、参加者の苦労がしのばれる。


本来ならば、テントの外にも多くの工芸品を並べるはずだが、事前の天気予報で雨が降る確率が高いことを今年は雨を警戒してそのような展示があまり見られなかった。


しかし陶器やガラス工芸のブースではあえて雨ざらしにして、その器にたまる雨水や、表面につく水滴を演出効果に入れたかのような展示をしているところもあった。雨が降ったら降ったで、そのことを楽しんでいるような感じだ。

てくてく歩いていくと・・・・。




てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。

今年のクラフトフェアは、初日は午後から2日目は朝から終日雨であった影響で、来客数が例年より少なかった。初日は27000人、2日目は8,000人であったと主催者から発表されている。1日あたり50,000人の来客があるイベントであるので半分以下の来客数だ。


野外のイベントなので、晴れた方が芝生でのんびり昼寝なんかもでき楽しいと思うが、雨の日だったら雨の日なりの楽しみ方があり、また人が少なくていいなと思ってしまうが、遠くからきた工芸家のことを考えるとかわいそうになる。商品が雨に濡れないように注意しなければいけないし(一部上記のような例外も)、また来客が少なければ、売り上げも少なくなる。


松本のクラフトフェアは出展者を制限している。会場のあがたの森公園の広さに限りがあり、あまり出展者が多くなると、出展者もお客もこの空間に心地良さを感じなくなってしまうのではないかという配慮からの措置である。


出展者を絞る主催者の審査の過程で若い工芸家を選ぶという傾向があるようだ。このクラフトフェアで若手を育成をしようという意識の表れであろう。実際出展者には20代、30代の工芸家が多い。このような若手の工芸家に話しを聞くと、金銭的に苦労している人は多く、松本に来るにも大変であったようだ。先ほど紹介した「一針」の福田さんは札幌から日本海フェリーを使用して松本まで来ている。本人は旅を楽しみ、長旅は苦にしていない様子であったが。


そんな若手をバックアップするためにもお客が多い方がよく、出展経費くらいはこの場で稼いでもらいたい。そう考えると、来年は晴れればいいなと思う。