前回「クラフトフェアまつもと 2011(1)
」の続き
「クラフトフェアまつもと 2011」の2日目は朝から土砂降りの雨である。それでもこの日8,000人の来客があったようだ(主催者発表)。
足元をみると、いたるところで川ができている。長靴を履いていなかったので、靴が水浸しの状態になり、中にまで雨がしみこんできた。カメラやレンズを入れていたリュックサックはいつのまにかずぶ濡れだ。
各ブースにいる工芸家は、商品が雨に濡れないように常に注意を払い、大変そう。商品をよく見るためにブース内に入るお客も傘から雨の雫が落ちないように気をつかっていた。
クラフトフェアでは、陶器やガラスでできたコップや皿、椅子や机などの木製品、鑿・鉋などの刃物、ショール・鞄などの布製品等、さまざまな生活用具が販売されている。しかしその中には美術品といっていいような置物も売られている。美術品はクラフトとはいえないはずであるから、この場にはなじまないような気はするが。
そもそもクラフト=工芸とは何であろうか?
柳宗悦
(やなぎむねよし)の著作とかを読むと、「造形藝術」には「美術」と「工藝」の2種類があると説明されている。(『民藝とは何か』『工藝文化』等)。そして美術は美のために鑑賞するもので、工藝は実用のための作品であると明確に述べている。つまり工藝とは使うことによってその真価が問われるもので、飾っておくようなものではない。そのことを「用の美」という言葉で表現している。
柳宗悦は工藝の中でも、主に手工業によってつくられる日用品に美を見出し、そのようなものを特に「民藝」と呼び評価しなければならないと主張する。
松本は城下町ということもあって元々染色・木工・石工等多くの職人がいた場所で、戦後には柳の考えに共感した多くの人々が工房をもち、柳の提唱する「民藝運動」に積極的に参加していく。松本市街地にある中町を中心に工房や工芸品のギャラリーがあるのはそのためだ。「松本民芸家具
」という会社があるが、そこが松本の民藝運動の中心的な役割を果たしていく。
アメリカで開催されていたクラフトフェアの影響を受けて、松本でのそれは昭和60年(1985)にはじまったと前回述べたが、城下町であったことの伝統にあわせて柳宗悦の民藝運動に触発された多くの工芸家が松本にいたということを忘れてはならない。
柳宗悦の民藝について補足すると、豪華な素材を使うものは貴族的だからだめで、素朴な素材を使わなければならない。また作家個人の作為を、モノ自体の本来の美・機能を損なうものとして否定し、作家同士が協業して作品をつくる必要があるとしている。
工芸品は民衆のためにあり、その民衆に尽くすのが工芸家の役割である。そして作家性を否定しお互い協力することで工芸品を通した新たな日本文化の創造がはじまる。このような柳の強烈な思想が民藝という言葉にはこめられている。
柳がこのようなことを主張したのは、時代に対する抵抗からである。
工場の機械化が進み、画一的な工業製品が出回り、「美しい」伝統的な工芸品が失われていくことの嘆き。琉球や朝鮮の文化財が壊されていくことの怒り。戦争がはじまり日本人が本来持っていた美を見失ってしまったことへの悲しみ。
民藝運動は大正15年(1926)にはじまるが、関東大震災の3年後であり、この運動によって本来あるべき日本を目指して復興させようという柳の思いが伝わってくる。戦争中この運動は下火になるが第二次大戦が終わってからの復興期にまた再び、柳の民藝に対する考え方に共感する者達が日本各地で活動をする。松本に民藝運動はこのような中ではじまる。興味がある方は「松本民芸館
」を訪ねてみるといい。
戦後、民藝という言葉は「民芸品コーナー」とか「民芸調の椅子」といったように普通に使われるようになるが、1980年代に松本でクラフトフェアをはじめた若者にとっては古臭い言葉に感じただろう。彼らにとって民藝という言葉より、クラフトという言葉の方が新しさがあったと思う。だから「クラフトフェア」であって「民藝祭り」ではないのだ。
彼らがクラフトフェアをはじめるきっかけをつくったアメリカのそれは、既成の価値観を否定する60年代、70年代のカウンターカルチャー世代の若者がつくったものである。自然や人とのつながりを大切にし、社会に異議をつきつけ、そしてボブ・デュランやジョン・レノンを聞き、自己表現することに喜びを感じるといった人たちである(分かりやすくいうと、LOVE&PEACEっていう感じです)。
80年代に自己の発表の場を求める松本の若手工芸家が、作家性を否定する民藝の考え方になじまないのは当然であるし、民藝という言葉にある伝統的というイメージも自己の表現を制限するようで抵抗感はあったろう。またアメリカンカルチャーに対するあこがれもあったと思う。
松本のクラフトフェアは、ミュージシャンによる野外コンサートがあり、その前で弁当を開き食べてるようなピクニック気分の人もいる。出展者も観客もその場を楽しむという雰囲気があり、自由という空気感に包まれている感じだ。もし「民藝祭り」であったらどうであったろうか?大分違った雰囲気になったろう。(それはそれでデパートの物産展みたいで楽しい感じはするが)
出展されているもの中に、クラフトといいながら美術的な作品があったりするのは、クラフトフェアが自己表現の場であり、自由な場であることの表れであろう。
また美術品は生活に潤いを与える実用品という言い方もでき、そういう意味で工芸品であるという考え方も成り立つ。実際クラフトフェアという空間においても、人々に潤いを与えている。
とはいうものの、美術品といっても絵画などはクラフトフェアにはなく、石や木やガラスといった素朴な素材を使った置物の出展が認められているだけである。出展するのに何らかの基準はあると思われる。
クラフトフェアで出展されている大多数は、生活用具といえるモノである。それを販売している工芸家であっても、モノの機能を損なわないようにするという前提はあるが、装飾や形態といったところで自分の個性をどこかで出そうとしている。もちろんそれを極力抑えている人もいるし、伝統的製法にこだわり漆器や竹細工といったものを出展している人もいる。
作品に対して自己をどのように表現するのかというのは、その人がもつ作家性であり、人間性である。モノが持つ意味と格闘しながらも、作品にそれが表れてくるところにおもしろさを感じる。そして気になった作品があったらついついそれをつくった作家と話しをしたくなる。話をするとその人を知ると同時に作品もよりよく知ることができる。
そうするとついつい高くてもその作品を買いたくなる・・・・。しかし自分のことも多少話し作家と親しくなるので、値切りやすくなり、大抵おまけしてくれる。ひょっとして、長話しをする私を早く追い出したいだけだったりして。そうであったらごめんなさい。
写真を撮ったり、話し込んだり、値切ったりして、ご迷惑をおかけした人たちとその作品を紹介したい。
■「久遠染 武内菊水さん」
武内菊水さんは三重県鈴鹿で工房を構えている染屋さん。年齢は60をこえている。
京都出身で、菊水さんで4代目。日本画の家系であったが、3代目は京都のスタジオで映画美術をするようになり、4代目は染色をするようになる。また5代目にあたる菊水さんの息子のアイディアで、デニム地を使った柿渋染めの帽子やジャケット、鞄などもつくるようになる。菊水さんは「私の父や息子もそうですが、新しいことをするのが好きなんですよ」と述べている。
菊水さんは鈴鹿の工房で主に柿渋を使用した染色をおこなっているが、柿渋染めは手間がかかる作業のようだ。
染料である柿渋は、渋柿を圧搾してしぼった液を何年間もかけて発酵させたもので、そこに素材である繊維を浸し柿渋染めをおこなう。ただ浸すのではなく、途中乾かし、また浸すという繰り返しで、色むらがなくなり思ったような染め具合になるまでそれを続ける。だいたいその作業で5年以上かけている。
菊水さんの横にいた奥さんはこう語る。
「柿渋を使って染めるにしても、素材によって染め具合が違いますし、柿渋そのもののつくり方や柿渋に素材を浸す時間や乾かし方といったことでも風合いが変わってきます。その日々の変化を楽しみながら仕事をしています」
デニム地を使った帽子。同じ柿渋染めでもそれぞれ色が異なり風合いが違う。
デニム地のハギレを縫い合わせてつくっている鞄。それぞれ縫い方や色が異なり同じモノは存在しない。
裏地にも補強するために、デニム地が縫い込んであり、かなりしっかりとした頑丈のつくりだ。
伝統的な柿渋染めと、デニム地やこの鞄のデザインがもつポップな感じが自然に融合しているところに惹かれる。
武内菊水夫妻。二人とも陽気な方で、楽しかった。これは一日目の写真であるが、朝から雨が降っていた二日目の午後に再びたずねてみると、奥さんだけいて、商品はすべてプラスチック容器に入れられ、外に出していなかった。その理由を聞くと「湿気がついて変色するのが嫌ですので」と述べた。色にこだわって製品をつくっていることが分かるコメントだ。
それでは商売になりませんねとたずねると、
「売れるにこしたことはないけど、そんなに多くつくることができるモノではありませんので、別にすぐに売る必要はないんですよ。私達の商品を気に入ってくれて方がいて、デパートで店を持たないかという誘いもあったが、そういう話しも断っています。商品が売れるということより、苦労してつくったモノが雨でダメになってしまうことの方が嫌です」
ところで旦那さんは?
「他の工芸家さんのところに遊びにいってるんですよ。私も主人と交互に店番をしながらいろいろ見て歩いてるんですよ。そろそろ帰ってきていいはずなんですけどね」
ご夫婦二人でクラフトフェアを楽しんでいるご様子だ。
■「qan:savi 稲井浩志さん」http://www.qansavi.com/
カメラが好きであるので、昔の機械式カメラがあったので、思わず足をとめたところが、稲井さんのブース。
稲井さんは別にカメラを売っていたわけではなく、カメラのストラップ等の皮製品を販売していた。
愛媛県松山市に工房をかまえ、各種ストラップとともに、小銭入れや財布、ベルト、バックといったものまで製作している。
昭和45年(1970)生まれで、大学卒業後、大手家電メーカーやインテリア雑貨店に勤め、その後自分でもアパレルショップを経営するかたわら、独学で革製品のつくり方を勉強し、平成21年(2009)に自宅で工房をかまえる。
工房の名前「qan:savi(カンサビ)」の意味に彼のモノに対する考え方が込められている。
古神道における価値観に「神さび」という言葉がある。古い年月を経ることでしみでてくる神聖であり、神々しい雰囲気のことを、その言葉は表している。
「昔はモノに対して、特に長い年月使いこまれたようなモノに対して、魂がこもっていると考えて、大切にしようという気持ちが自然に皆が持っていたと思います。そのような気持ちは大事だと思いますし、また使っていくうちにツヤや色が変わったり、傷がついたり、形がくずれたりしますけど、そういうモノの変化は楽しいものです。このようなことを思い店名をつけました。私がつくっているモノなんて、使い込むほどいい感じになりますよ。そういう性質に惹かれて、皮製品を30過ぎてから真剣につくるようになりました」
カメラにストラップは最初はつくっていなかったという。小銭入れとか財布といったものを元々つくっていたが、各地の展示会に商品を出展すると、カメラ好きの人たちがお客に多く、ストラップをつくってほしいという要望がたくさんあったことから、つくりだしたと稲井さんは語る。
現在、カメラストラップは3種類つくっている。ハンドストラップ、ネックストラップ、ショルダーストラップ。牛ナメ皮を使用しており、洗ったり、磨きをかけたりしてユーズド感を出している。そして叩き痕があって鈍い光を発する真鍮環がいいアクセントになっている。
一針一針全て手製で、丁寧な仕上がり。皮の色は使い込むほど色が濃くなり、ツヤがでて味わい深くなるようだ。
稲井さんはカメラケースもつくっている。オーダーメイドにも応じてくれるようなので、自分のお気に入りのカメラのサイズに合わせたものが欲しくなる。
稲井浩志さん。物腰が柔らかい感じがする人で、丁寧に質問に答えてくれた。ありがとうございます。
■「HOPE METAL CRAFT 柴田望さん」http://hp.did.ne.jp/hope-craft/
愛知県常滑市といえば、知多半島にある陶器のマチとして有名であるが、柴田望さんは銅や錫といった金属版を金槌で叩いて成形するという「鍛金」という技法で、ペーパーナイフ・鍋・椀・コップといったモノ、そして独創的なオブジェをつくっている。
柴田さんは昭和57年(1982)生まれで、地元高校のデザイン科を卒業後、ノルウェーの学校で造船技術を習いにいく。そこで金属加工を勉強したのかというと違い、木造船の制作技術を習っている。金属加工技術は帰国後、独学で習得したという。
「モノづくりをしっかり勉強したのはノルウェーに行ってからです。全体を設計する能力、道具の使い方、素材のもつ性質を読み解き、それを適切に使う力。モノづくりの基礎をすべてここで学んだと思います。帰国後金属という素材に魅力を感じて、鍛金をはじめましたが、ノルウェーでの経験がいきていると思います」
錫でできたぐい飲みや片口(上写真)。ビアカップやお椀といった錫製品も販売されていた。
錫製品はどれも槌で叩いたあとがきれいに文様になっている。このぐい飲みには表面に鏨で細かく葉っぱの飾りが施されていた。細かい仕事だ(左写真)。
「海底2万里」と題された銅製のオブジェ。
海底2万里の世界に住む生物をイメージしたものか? ジュール・ヴェルヌの同名小説にでてくる潜水艦ノーチラス号をイメージしたものか?
このような不思議なオブジェは他にもあり、トカゲみたいなものとかも展示されていた。他の人には想像できない「のぞむワールド」という感じだ。詳しくは彼のホームページを見てほしい。多数作品あり。
ちなみにこれは非売品であると思っていたが、42万円という値札が貼ってあった。一家に一台(一匹)どうですか?
柴田望さん。知的で冷静な感じがする人であった。でもあんな不思議なオブジェをつくるだけに、親しくなればまた違ったおもしろい一面を見せてくれる人であると思う。
■寿窯 水野智路さん
伝統的な感じがするのが、パターンで描かれている文様にかわいらしさがあり、あか抜けた感じがする器だなと思った。まるでルイ・ヴィトンの文様のようだ。その陶器を手にとった。そうすると、パターンで描かれている文様は、表面と全く同じように裏面にも描かれていることに気付いた。
実はこれは、絵の具で書かれたものではなく、着色された粘土が練りこまれたものであると、この器を製作した水野さんが説明してくれた。この陶器制作の技法を「練り込み」といい、代々陶芸家である水野家に伝わっているものであるという。
伝統的な文様である「うずら手文様」がほどこされた皿。オモテ面
上の皿の裏面。
「練り込み」技法を分かりやすく説明してくれた。
まず着色した粘土をいくつか使い、たくさんの金太郎飴状のモノをつくる。それからそれを積み重ねていき、その断面を切ると、いくつものパターン文様があらわれてくる。そしてそれを素材として器をつくっていくのが「練り込み陶器」と呼ばれるものである(左写真参照)。
水野さんは昭和60年(1985)生まれの、25歳。愛知県瀬戸市に工房がある。
水野さんは6代続く陶芸家の家庭で育っている。練り込みは元々中国にあった技法で、水野家では、水野さんの祖父が試行錯誤して習得した技術が伝承されている。
名古屋造形芸術大学卒業後、水野さんは実家の工房で父親とともに陶器をつくる道を選択している。
「モノをつくることは小さい頃から好きでしたので、家業を継ぐことに対して抵抗はありませんでした。ただ父親は名人と呼ばれるような人なので、意識してやりづらい点はありましたけど、今は師匠であるのは変わりませんけど、ライバルだと思って日々器をつくっています」
水野さんの後ろには、父親の教雄さんがいた。水野教雄さんは瀬戸市の無形文化財に指定されているような名人であり、瀬戸陶芸協会長をつとめる、瀬戸を代表する陶芸家である。「今日は息子の手伝いですから」と教雄さんは言い、ニコニコ笑いながら、水野さんのフォロー役に徹していた。
水野さんは、父親の作品は自分のつくる陶器の10倍の値段で取引されていると述べ、「自分らしい作品をつくり続けることで、いつかは父のように評価される作家になりたい」と力強く語っていた。
工房の中の様子を尋ねると、教雄さんがこう言う。
「もう教えることはありませんので、お互い背中を向けて黙々と自分の段取りで、集中して仕事をするという感じです。私も息子のことをライバルと思っていますから」
ライバルといっても二人のやり取りを見ていると、根底でお互い信用しあっており、優しさがあるライバル関係を築いている感じがする。芸術家同士でよくありがちなギスギス感はない。こんな親子関係って素敵だなと思った。
水野さんオリジナルの文様が施されたいる陶器。
パステル調の色彩でかわいい感じに仕上がっている。
水野智路さん。
素直でさわやかな感じがする好青年という印象。
名前がいい。智路と書いて「ともみち」ではなく「ともろう」と読む。漢字にも意味があるとい思うが、この読み方をするということは英語の「tomorrow」にかけている名前であろう(特にこれについては聞かなかったので違う可能性もある)。
若い水野智路さんの明日が楽しみだ。
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今年のクラフトフェアで購入したもの(下写真)
写真下より
・稲井浩志さんの「カメラ用ハンドストラップ」
・柴田望さんの「ぐい飲み」
・水野智路さんの「コーヒーカップ」
・武内菊水さんの「バック」大・小
オマケはしてくれたが、かなりの出費。
しかしどれも長く使用でき、飽きがこないようなモノであると思うし、夢をいだく工芸家を応援したと思えば安いものだ。またいつかどこかで、クラフトフェアで出会った工芸家と再会できればうれしい。時間があったら、彼らの工房にたずねてみるのも楽しいだろう。
