てくてく歩いていくと・・・・。


カエルの歌が聞こえてくるよ~ ゲロ・ゲロ・ゲロ・ゲロ・グヮ・グヮ・グヮ♪  かえるの歌が~♪


という小さい頃によくうたっていた歌がリフレインして、そして輪唱となって、松本ナワテ通りに響きわたっていた。


かえる君たち(正式な名前は不明、2匹いる)の音頭で、歌っているのは、背中に「仕事人」の文字がある黄緑のお揃いのTシャツを着た50人をこえる地元の大学生(信州大学・松本大学)。ナワテ通りの商店主ともに、このイベントの企画運営に関わっているかえるまつり実行委員に参加している若者達だ。


今年で10回目で、6月25日(土)、26日(日)両日におこなわれた。10回目に因んで今年のテーマは「ありがとう。」


てくてく歩いていくと・・・・。 祭りの来場者からは、"ありがとう"コメントを紙に書いてもらい、それを、カエルのかたちになるようにボードに貼っていた。


それを見ると、両親や友人に、そしてこのナワテ通りやかえるまつりに感謝を述べるコメントなどがあった。











■カエル神事
カエルの合唱がすみ、開幕セレモニーが終わってから、ナワテ通り中央にひっそりと鎮座する「カエル大明神の神事が始まった。てくてく歩いていくと・・・・。



てくてく歩いていくと・・・・。

祠にはしっかりと鯛、果物のお供えものが。









ここで神主(本物です)による神事がおこなわれるのは、1月2日とこのかえる祭りの初日。カエル大明神ができたのは昭和47年(1972)であるので、今年で建立39年のなる。そろそろご利益があっても・・・。


神主が、五穀豊穣、地域の発展、子孫繁栄等の祝詞をカエル大明神にささげ、参拝者の方を向き、お祓いをする。


その後、ナワテ通り商業共同組合、縄手商業会、仕事人(信州大学・松本大学有志)の代表が、お祓いを受け、順に玉串をささげて、参拝をおこなっていった。その後の続いて一般のお客さんの参拝がはじまる。



ご利益があるのを信じてか、ただ参拝者に配られるかえるまつりストラップ(限定200)欲しさか分からないが、多くの人がこの祠の前に列をなしていた。

てくてく歩いていくと・・・・。


神官によるかえる神事がはじまってしばらくすると、晴れ上がっていた空が急に曇りだした。そして雷が鳴ると同時に大つぶの雨が降り出した。神事が終わり、参拝がはじまっても、ますます雨は強くなるばかりだったが、しかしそれから間もなくして止み、もとの青空が戻ってきた。雨が降っていたのは30分くらいだけであったろう。


かえるまつりは2日間の期間でおこなわれるが、雨が降ったのはその時だけであった。


朝からピーカン状態で路面の石畳を熱し、午前中というのに気温が上昇していたので、雨がそれを冷まし、また風もどこからか流れてきたので、多少なりとも涼やかになり、雨を気にしなければ、参拝の行列を並ぶのがそれほど苦に感じなかった。


また気温がひんやりし、また時折響く雷鳴が、空気感を一気に変えたことで、祭りとしてのおごそかさが多少なりとも?感じられた。雨が好きであろうカエル大明神がおこなった粋な演出のようであった。



てくてく歩いていくと・・・・。 愛嬌を振る舞きながら歩いていたかえる君は、雨が降るとはしゃぐのでなく、雨宿りし、一休み。

雨には弱いようだ。・・・着ぐるみであるから当然ですが。















■カエル市場

かえるまつりでは、毎年カエルグッズを販売する工芸作家や雑貨屋が集まるカエル市場が開かれている。今年は27軒の出店があった。


かえるまつりは、カエラー(カエル好き)達が日本各地から来るイベントであり、このカエル市場でカエルグッズを買うことを目的にしている人も多いようだ。いくつかのブースを紹介する。


てくてく歩いていくと・・・・。

てくてく歩いていくと・・・・。 「風来モッケ旅団」のブースの前には、かえるまつりがはじまる前から行列ができ30人ほどが並んでいたが、その後ぞくぞくと人が並び、50人程度の大行列。カエル市場で一番人気があったブースである。


“カエルブローカー”末吉晴男さんは、並んでいる一人一人に丁寧に作品の紹介をしていた。

古風な感じな鞄につめられたカエル達が次々と売れていく。初日

の午前中に作品がなくなりそう。

てくてく歩いていくと・・・・。



てくてく歩いていくと・・・・。 「月蛙工房」

ご主人の石野善浩さんが、デザインしたカエルが描かれたTシャツや、ポストカードやマッチなどが売られていた。


左写真のものは「ヨミガエルTシャツ」として売られていた藍染のTシャツ。東日本大震災からの復興を祈って制作。売り上げの一部(1000円)を義援金として寄付するとのことだ。








てくてく歩いていくと・・・・。


「KENGTARO」

ガラス工芸作家の高山健太郎さんのブース。


カエルを題材にしてペンダントをはじめとする小物を販売。

てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。 小ガエルをモチーフしており、かわいらしいが写実的な感じを受ける作品が多い。

左写真のものは、木工作家とのコラボ。カエルが木の中に入っており、おそるおそる外の様子を見回しているようだ。










てくてく歩いていくと・・・・。
高山健太郎さん。制作するカエルのようにかわいらしい笑顔。















「りんむう」

エスニック文化と旅が好きで、もちろんカエルも大好きで、静岡県で雑貨屋を営む女店主のお店。


かえるまつりには、アジアンチックのカエルを多数出品。

てくてく歩いていくと・・・・。

“パラシュートカエル”

パラシュート使う前に、どうやって空に?














てくてく歩いていくと・・・・。

ブリキでできた楽器を演奏するカエル達。手前のカエルは読書中。



「空工房」

細かい研磨剤を吹きつけガラスなどに模様を描くサンドブラストの作品を販売。

てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。

オリジナルキャラ、空くんが描かれた作品多数。


いろいろのところから幸せを持って帰るカエル君であるとのこと。














「ひなさく堂」

けろ焼き(かえる大判焼き)の販売。カエルの“ゲコタン”の焼印がついている。種類はアンコ・クリームといった定番から、チョコ、味噌あん、抹茶あんといった変わりものもあり、その種類によってゲコタンの表情が異なりおもしろい。

てくてく歩いていくと・・・・。




「まめプロ」

粘土で ハンドメイドフィギャアや、キャラクターグッズのオリジナルデザイン制作をおこなっている工芸作家のブース。


かえるまつりに出店したいがために、カエルグッズをつくるようになったという。今では制作するカエル君は進化し、関節が動くものも販売されている。
てくてく歩いていくと・・・・。



「ゴジの革屋」

カエルバックやカエルコインケースなどの革製品を販売している。これらのものを制作するのは店主のゴジさん。ゴジラが好きだということでその名前にしたという。


ゴジさんがつくるカエルバックは、工芸の世界で評価されており、日本革工芸展で「東京都産業労働局長賞」を受賞している。

てくてく歩いていくと・・・・。
カエル市場の各ブースを回って、その店主の何人かと話しをしたが、販売しているカエルグッズについてたずねると、楽しそうに答えてくれ、いずれの人もカエルのことが好きであると述べていた。


お客もそうだが出店者もカエラー。そう、かえるまつりはカエラー達の祭典なのである。だからお客も出店者も毎年このイベントに来るというリピーターが多いようだ。先に紹介したガラス工芸作家の高山健太郎さんは「顔なじみの人と毎年再会するのが楽しい」と言っていた。



■かえるまつりのカエラー達

カエラー達は、かえるまつりにおいて、カエルが描かれたTシャツを着たり、カエル帽をかぶったりして、カエルコスプレをして楽しんでいる。


てくてく歩いていくと・・・・。 カエル帽とカエルTシャツを着た子供。


お母さんがカエルルックでないのが残念。
















てくてく歩いていくと・・・・。

カエルマスクのお姉さん?


顔がむれそう。気合が入っています。


















てくてく歩いていくと・・・・。 カエルぬいぐるみを抱えたお父さん。


お母さんも楽しそう。


















てくてく歩いていくと・・・・。 カエルカッパを着た少年。


雨が降ることを予想してこのカッパを用意していたご両親のカエラー度は相当高い。

















てくてく歩いていくと・・・・。 カエルTシャツの文句がいい。


「天は自らを助くる者を助く」



















てくてく歩いていくと・・・・。 犬の首にまいているのはカエルバンダナ




















カエル市場のブースで、カエル帽をかぶり商品を売る女性。出店者もお客と同じくカエラーです。

てくてく歩いていくと・・・・。


ナワテ通りは150メートルくらいの長さなので、普通に歩いて5分とかからないが、その道をカエラー達は行ったり来たりして、各ブースをのぞいたり、ナワテ通りの各商店に入ったりして、楽しんでいる。


また過去のかえるまつりや他のカエルイベントで知り合いになった人同士で「ゲロゲロ」と挨拶はしないまでも、カエル情報を交換している。


この空間にいると、特にカエル好きでない人も、カエルがかわいく感じてきて、思わずカエルグッズを買ってしまいたくなるから不思議。そうなったらもう立派なカエラーである。常にカエルのことが気になり、カエルグッズがいつのまにか部屋にあふれるようになるのは間違いなし!?


これをきっかけにカエラーになった人は、また来年もかえるまつりに来るのだろう。


実際このイベントにおとずれる人は毎年増え、またカエルコスプレイヤーも増えている。

前回のブログ からのつづき


てくてく歩いていくと・・・・。

福島県の喜多方といえば、蔵作りの建物。喜多方市内で約4100棟ある。蔵といっても倉庫として使われているものももちろんあるが、酒や味噌の貯蔵庫、職人の作業場、店舗、住居、トイレや塀などさまざまな用途に使われている。


写真は「松本屋」。 昭和初期に建てられたもの。現在本・文房具を扱うお店だ。屋根には、赤瓦が使われているが、赤瓦で葺かれた蔵は喜多方には多い。



てくてく歩いていくと・・・・。

またこのようなレンガつくりの蔵が多いのも特徴。写真は「金田洋品店」。 明治45年の建立。 現在化粧品やアクセサリー類などを扱っている。




てくてく歩いていくと・・・・。 JR喜多方駅。近年外装をつくり直し、煉瓦・白壁・ナマコ壁といった喜多方に多くある蔵作りの建物と調和するようなデザインになった。



てくてく歩いていくと・・・・。

ラーメンもまた喜多方の顔といっていい。喜多方駅周辺に数多くのラーメン店がある。醤油味ベースのスープ、平打ちの太麺、2枚以上は当たり前の数多く入っているチャーシューといったところが喜多方ラーメンの特徴だ。写真は、駅すぐそばにある「丸見食堂」。人気店で昼・夜の食事時になると、店前に行列ができていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

蔵とラーメンのマチとして全国的に有名である喜多方に私が行ったのは5月3日である。朝8時頃、松本から車で北上して新潟方面をまず目指す。


ゴールデンウィークの最中ということもあり、予想した通り、上越・長野間の片側2斜線から1斜線になる場所で渋滞する。日本海側に出て北陸道に入ると渋滞はなくなるが、新潟から喜多方に向かう磐越道に入ると、片側1斜線のところが所々にあり、また渋滞。地震や原発の被災地に向かうのであろう自衛隊のトラックやジープ、民間の大型車両が目立つ。


松本から喜多方まで400km程度。渋滞がなければ、高速を使って4時間で着く場所であるが、この日、私が喜多方についたのは2時30分。松本から6時間半かかった。


さて喜多方についた私は、駅前の駐車場に車を置き、蔵やラーメン店めぐりをするのではなく。まず向かったのは「100年カエル館」。


「100年カエル館」は2004年に、高山ケロリ・ビッキ姉妹(もちろん本名ではない)が実家の一部を利用してつくった私設博物館である。高山姉妹の祖父の代からカエルに関するモノ(絵・置物・道具・キャラクター商品等)を3代続けて集めており、このコレクションを中心に展示し、カエルグッズの販売もしている。コレクションの数は8000点をこえている。



てくてく歩いていくと・・・・。 100年カエル館の位置は駅に置いてあった観光案内図にも載っていて、場所はすぐに分かった。


駅の北西、1kmぐらいの距離である。途中、1984年に廃線となった日中線のあとを歩く。喜多方から北の熱塩まで全長約11kmの区間をつないだ路線である。廃線後、サイクリングロードとして整備されており、両側にシダレサクラが植えられている。


葉が少し顔を出すようになってはいたが、桜の花びらはまだまだ多く、延々と続く並木道は歩いていて気持ちいい。


なぜカエル好きでもない私がカエルコレクターの家に向かっているのだろうか?


ナワテ通りにあるたいやき屋の女主人の笑顔にだまされるように思わず「行きます」と答えたためであるが・・・。(この過程は前回のブログ をみて下さい)


このような義務感をともなうようなことは、先にすませた方がいい。後の旅が気分が楽になる。


しかし、桜並木の下を歩いていると、100年カエル館にいくことに、しだいに、必然性や運命めいたことを感じてくるから不思議だ。


桜がもつ雰囲気がどこか浮世ばなれしているからであろう。別世界にいざなっているようであり、こちらの意志とは違ったところで足が勝手に動いているようだ。



■100年カエル館

てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。 100年カエル館もうすぐというところで、たくさんの誘惑が。


地場産業である桐材や木工クラフトの展示がされている「桐の博物館」や見学ができる製麺工場「喜多方ラーメン工場」、また酒蔵である「大和川酒造飯豊蔵」。


それらを無視して、100年カエル館に着く。


敷地は大きく木々に囲まれ、庭園もある。その一角に民家があり、入り口にカエルの石像とともに、100年カエル館という表札がでている。しかし建物の入り口に白い紙が貼ってあり、大きく「休館」という文字が・・・・。


さてどうしようと思っていると、縁側におばあちゃんが現れ、窓を開け、「どういたしました」と問いかけてきた。


「松本から見学にきたのですが、休館なんですね」と答えると、

そのおばあちゃんは少し困ったような表情をし「本当はダメなんだけど、玄関だけだったらいいわよ」と言い、入り口の引き戸を開け、中に入れてくれた。



てくてく歩いていくと・・・・。 入り口から長い廊下が伸びているが、カエルグッズであふれている。スリッパ、傘、くつべら、絵、棚やケースにぎっしりと入ったカエルの小物。













おばあちゃんの名前は高山エミコさんという。昭和4年生まれの82歳で、100年カエル館をつくった高山ケロリさん、ビッキさんの母親である。


エミコさんは「まあ座って下さい」といい、私を玄関からの上り口に座らせて、高山家でカエルに関するさまざまなモノを集めるようになった経緯を語ってくれた。


「もともと高山家は建築業をしていて、戦前大きな仕事をたくさんして財産がある家でした。戦争中多額の寄付をして表彰もされています。


カエルを集めたのは、私の舅である父の弥一です。昭和のはじめ頃に伊勢に旅行した時に「二見興玉神社 (ふたみおきたまじんじゃ)」にいき、そこに祀られている神様の猿田彦の使いがカエルであり、この神社に参拝する人はカエルを神様のように思い、信仰していることを知ります。二見興玉神社の境内にはカエルの置物がたくさんあり、「無事にカエル」とか「若ガエル」といった願をかけたり、またご利益があった人がそれを奉納しています。それでカエルは縁起はいいということで、カエルに関するものを集めるようになったんです。


元々建設業を営んでおり、方位やら日取りとか縁起をかつぐことが多かったですから、縁起がいいものには敏感でした。建設の仕事自体、高いところにのぼったり、危険な仕事ですから、従業員が「無事にカエル」ことは大切ですし、戦争になってからは戦地から「無事にカエル」という願をかけて、カエルの置物などを熱心に集めていたようです」


家業を継いだ息子の連天もカエルグッズを集めるようになり、その妻のエミコさんもそれに協力していた。


「私の実家は材木商で豊かな家で、兄弟も4人と少なく、わりとノビノビ自由に育てられまして、戦争中そんなに苦労はしていないんです。戦後見合いして嫁いだ先は主人の兄弟が11人いて、下の弟や妹がまだ結婚していませんでしたので、食事や掃除といった家の仕事が多く、気をつかうことも多く、正直大変でした。


しかしカエル集めはお金をつかって自由に購入しても怒られませんでしたので、いい息抜きになって楽しいことでした。いつのまにか、父や主人よりも私が一番熱心にカエルを集めるようになりました。


主人とも何回もカエル集めの旅行にいきました。どこにも立ち寄ることができるように、列車をつかわず、車をつかってよく遠出をし、おもしろいカエルを探し求めていました。その主人も2年前に亡くなりましたので、このような旅も夫とのいい思い出です」


エミコさんの娘がケロリさんとビッキさんで、この姉妹もカエルグッズをいつしか集めるようになり、姉妹が実家を離れてからも、家族が揃うと必ずどんなカエルを集めたかといったカエル談義になったようだ。高山家にとってカエルは家族共通の話題で、その絆を強くする役割を現在でも果たしている。


先に述べたように100年カエ館は、高山家3代が集めたカエルコレクションを公開するために、住居の一部を開放してつくられたものであるが、他の場所でするよりこのようなかたちで展示するということが、ごく自然のなりゆきであったろう。このコレクションは、高山家の歴史であり、家族一人一人の姿が透けて見えてくるものであり、そして何よりもエミコさんはじめ家族の思い出の品々であるからだ。



エミコさんの夫が亡くなってから、100年カエル館は休館にしている。


「夫がいなくなって、私の歳も歳で、一人でお客の対応するのは大変ですから、今休館にしています。子どもたちも皆、普段東京ですし。ゴールデンウィーク中、たくさん電話での問い合わせがあったり、中には直接ここに来る人もいますけど、心苦しいですけど、全て断っているんです。


でもお兄さんみたいな、カエル好きな方がきてくれるのは本当はうれしいのですよ。皆いい人ばかりであればいいですが・・・」


明るい表情で話していたエミコさんが少し悲しいそうな表情をした。しかしすぐにもとの明るい表情に戻り、「お兄さん、信用できそうな人だから、せっかくだから、少し中でコレクションを見ていって」と言う。


カエル好きであると勘違いをエミコさんがしていたことに、少々罪悪感を感じながらも、家の中をおじゃますることにした。


てくてく歩いていくと・・・・。

通されたのは、“カエル部屋”といってよい場所。置物やぬいぐるみやおもちゃといったものが所狭しと置かれており、壁を見ると、カエルを描いた絵やポスターが飾られている。



てくてく歩いていくと・・・・。

カエルのぬいぐるみ。けろけろけろっぴ(by サンリオ)の姿も。壁には由緒ありそうな水墨画の絵。



てくてく歩いていくと・・・・。

郷土玩具によくある張子の置物。モチーフがカエルだからおもしろい。手前左から3番目にあるものは、会津地方の郷土玩具「赤ベコ 」のように頭を触ると、首が上下にゆっくり動く。


てくてく歩いていくと・・・・。

陶器でできた工芸品。仲睦ましいようで・・・。



てくてく歩いていくと・・・・。

木の切り絵。細かくカエル、背景の草花が描かれている。


てくてく歩いていくと・・・・。

押し絵雛と並んで、押し絵カエル雛が。何かの物語に因んだものだろうか?



てくてく歩いていくと・・・・。

天井から、インドネシアのバリ島でつくられた“フライングフロッグ”が吊るされている。



てくてく歩いていくと・・・・。

「買ってカエルコーナー」では、カエルグッズが売られていた。カエルになる前はオタマジャクシですよね。



てくてく歩いていくと・・・・。

カエラー(カエル好きの人)たちのバイブル?「ど根性ガエル」のマンガも、高山姉妹のカエルに関する著作とともに販売中。


てくてく歩いていくと・・・・。

高山姉妹が刊行している「カエルタイムズ」のバックナンバー。全16面のカエルのことだけを扱った世界で唯一の新聞。創刊が平成17年(2005)で、昨年でた12号が最新号で、不定期に出版されている。


書かれている内容は、カエルグッズの解説から、カエルスポットの紹介、そしてカエル文学や俳句の名作を考察するコーナーなど。そしてカエルの生態を説明し、その取り巻く環境を問うといった社会派的な記事もあり、読み応えは充分である。


創刊から10号まで105円、11号と12号は315円で販売されているが、情報量が多く、執筆者、編集者の労力を考えると、とても採算にあう料金設定ではない。全国100万人いるというカエラー達が全員購入すれば利益はでると思うが。高山姉妹のカエルへの強いこだわりが新聞から伝わってくる。


「他の部屋にも、カエルに関するものはあるのよ。この家中カエルだらけっていっていいほどだもの」とにこやかにエミコさんは言う。


彼女のカエルグッズの説明は、家族の思い出話しと一緒になされることが多い。舅である父弥一が大切にして、いつも磨いていた信楽焼きのカエルだとか、夫の連天と旅した時に手に入れた水墨画とか、そして娘姉妹が集めてきたものとか。


てくてく歩いていくと・・・・。 玄関から上がってすぐのところに、かわいらしいカエルの絵が額に入れて貼ってあった(左写真)。


この絵は、娘のビッキさんが9歳の時に描いた絵で、絵画コンクールで入賞して、上野の美術館で展示されたものである。


ただ展示されたもとの絵は、カエル以外にもさまざまな動物の絵が描かれたものであったのだが、エミコさんがこのカエルの部分だけ気に入り、その部分だけ切り取って、飾られたものである。


さまざまな高価そうなカエルグッズが多々あったが、エミコさんにとっては、この絵もそれらと同じように大切であるようだ。いや、それ以上の価値を感じているかもしれない。


エミコさんは、カエルのコレクションや家族のことにつづき、自分の娘時代のことについて語り出した。


「若松で空襲でとくに被害を受けたというわけではなく、戦前も戦後も父の材木の仕事は調子がよく、喜多方では自分で蔵を建てて、気前よく芸者遊びなんかしてお金を使うのが一人前の旦那であるという風習がありますが、父もそういう人でした。だから私も戦時中にそんなに苦労した憶えがありません。


戦後は若松で洋裁学校に行きながら、親に黙ってダンススクールにも通っていたんですよ。私はパーマをかけて、おしゃれして、とにかく毎日が楽しいという感じでした。このダンススクールには素敵な東北帝大の学生もいて・・・」


何やらロマンスめいた話しになりそうで、そしてその当時の喜多方や会津若松の様子が分かり、おもしろく、まだまだ話しをうかがいたかったが、3時にここに来て、もう6時になろうとしている。少し長居をしたようだ。



てくてく歩いていくと・・・・。

高山エミコさん。休館中のところご親切に対応していただき、大変ありがとうございました。明るくはきはきしていたのが印象的。




カエルが特に好きということはなく、カエルグッズを集めたことがないけれど、帰路、エミコさんが楽しそうにカエルのコレクションを説明していた姿を思い出すと、カエルってかわいいものだなと、だんだん感じられてきた。


そういえば、小さい頃「ど根性カエル」や「けろっこデメタン」のアニメを毎週欠かさず観ていたし、また薬局に置いてあった「ケロヨン」人形と一緒に撮影した写真も実家にある。最近だって「ケロロ軍曹」を何気に観ることもある。特に意識していなかったけれど、もともとカエルが好きだったのかなとは思う。親しみとともに、子供の頃を思い出すどこか懐かしい存在だ。


アニメやマンガだけではなく、小さい頃本物のカエルも身近にいて、よくアマガエルやヒキガエルを捕まえて遊んでいた。ヒキガエルに小便をかけられたことを昨日のように思い出す。その頃実家は田んぼに囲まれており、田んぼに水がはられる頃になると、その鳴き声が辺りに響き渡っていた。カエルと遊ばなくなったのはいつのことだろうか?遊ばないところかいつのまにか目にする機会がなくなってしまっているし、田んぼが自宅のそばにないため、長い間、あまり鳴き声も聞いていない気がする。



てくてく歩いていくと・・・・。 喜多方、会津地方からの旅から松本に帰ると、ナワテ通りに「かえるまつり」を告知する看板が(左写真)。


このかえるまつりで、エミコさんの娘姉妹、高山ケロリさん、ビッキさんの二人と出会うこととなる。


次回につづく。




※100年カエル館は、高山姉妹が展示の仕方や、運営の方法などを今模索中で、当分の間休館状態が続きそうである。


しかしWEB上では100年カエル館は常時開館中。カエルコレクションや高山姉妹の著作の紹介等がなされている。また日々の活動は高山ビッキさんのブログをみると分かる。


100年カエル館ホームページ

http://kaeru-kan.com/

高山ビッキさんのブログ

http://kaeru-kan.cocolog-nifty.com/vikki/

 


てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。 松本城の南、女鳥羽川沿いに「ナワテ通り」というマチがある。


通りに石が敷かれ、白壁の武家長屋風の建物が建ち並び、たい焼き、たこやき、焼きソバ、せんべい、骨董品、おもちゃ、花等々を売っている。


一見古そうに見えるが、このような建物ができたのは今から10年少し前の平成13年(2001)のことである。


祭りの縁日の屋台を思い起こさせる風情があり、どこか懐かしい空間をつくりだしている。それは後で述べるが、この通りの露天商としての歴史・文化が今なお、いきづいているからであろう。


それに惹かれているためか、ここに特に用事があるということもないのに、気付くとここを歩き、「ナワブラ」をしているという日が私にはよくある。



いつもののゴールデンウィークならどこかに遠出するのだが、地震があったためかテンションがあがらず、日がな一日、松本周辺をブラブラしてばかりいた。


5月2日は午後映画を観てから、4時過ぎくらいから松本のマチ中をブラブラした。そうするとなぜかナワテ通りに引き寄せられる。


ナワテ通りを歩くと観光客が目に付く。たい焼きやアイスをここで買い、食べながら散歩し、この通りにある四柱神社に参拝するという定番の楽しみ方をしている。しかし中には、ところどころにあるカエルを熱心に写真に収めるといった人もいる。


そう、このナワテ通りにはたくさんのカエル達が生息する場所で、そのカエルを見るのを目的で、松本にわざわざ来る人もいるくらいだ。


西側入り口にある発砲スチロールのもの、陶器製のもの、石でできたもの等々あり、皆それぞれ形や表情が違い、見るだけでも楽しいし、またどこにあるのか発見する楽しみもある。

■ナワテ通りのかえる達

てくてく歩いていくと・・・・。

小さい池の中にある陶器製のカエルの写真を撮る女性2人組。このような観光客が多い。


てくてく歩いていくと・・・・。

女性が撮影していた陶器製(ひょっとしたら石)のカエル


てくてく歩いていくと・・・・。

ナワテ通りの西入り口に置いてある発砲スチロールでできた2匹のカエル、通称「ガマ侍」。平成17年(2005)に芸大生が学園祭で使用したものを譲り受けたもの。高さ4mで重さが400kg。その存在感はピカ一。他のカエルがかすんでしまう。神輿としてつくられたものなので、時には担がれることもあるみたいだが、近年はここに鎮座するのみ。また担いでほしいと個人的には期待をしている。しかしその前に補修かな。折れた刀を直してくれ。。。


てくてく歩いていくと・・・・。

ナワテ通り西入り口にある石像「メトバちゃん」 1メートルくらいの大きさ



てくてく歩いていくと・・・・。

東入り口にある石像「ごう太くん」 これも1メートルくらいの大きさ。


ごう太くんとメトバちゃんはナワテ通りのマスコットキャラクターとして平成3年(1991)につくられた。この2匹のカエルの性格とか気になってしまうが、特にそのようなキャラ設定はないようだ。


ごう太くんは、二宮金次郎スタイルで薪を背負って仕事をしながらも、本を読み勉強をするという勤勉カエル。彼は何を勉強しているのだろうか?二宮金次郎みたいにどうしたら世のため人のためにつくせるのだろか常に考え、ナワテ通りの将来、松本の将来について思案をねっているのだろうか。


メトバちゃんは、葉っぱを手にして、それを肩にのせてきめている。メトバちゃんは女の子という設定のはず(多分)であるが、リボンをつけるとか、長いまつげがあるといったところがなく、女の子らしくがない。なぜメトバちゃんは女を捨ててしまったのか、気になる。自由奔放な感じがするから、ごう太くんを遊びに誘って、勉強の邪魔をしそう。


また「カエル大明神」(後で説明)があるところに、この石像より小さい「ミニごう太くん」がある。ミニごう太くんの位置づけは? ごう太くんとメトバちゃんの子供かな?




てくてく歩いていくと・・・・。

ごう太くん、メトバちゃんがのせてあった台座の下には、小さいカエルが4匹ほど。それぞれ表情が違う。




てくてく歩いていくと・・・・。


「一筋縄ではいかない店主ばかりの通り」だから、ナワテ通りと呼ぶようになった。なんていうことはありません。


ここでナワテ通りの歴史を簡単に述べる。


■ナワテ通りの歴史(参照『ノスタルジーの時空に~縄手の今と昔』『松本縄手繁盛記』)

ナワテ通りの名前の由来は、もともとここが松本城の周りを囲む総堀と女鳥羽川に挟まれた縄のように細い土手状の地域だったことからくる。


総堀が埋め立てがはじまったのは明治のなってからで、それから通りの北側部分に四柱神社ができ、そしてそば屋といった店舗が並ぶようになる。そして川に面している南側には、戸板を敷いたり、屋台をひいたりして、近郊の農家が野菜を売ったり、露天商が饅頭などを売るようになる。それがナワテ通りのはじまりだ。


大正時代になると、木の柱にブリキ屋根をつけ同じ場所で商売するものが現れ、そして昭和のはじめには鉄筋を女鳥羽川に張り出して、床を張った店も増えだす。しかし第二次世界大戦中防火対策のためこれらの店は全て撤去される。


戦後には、昔からここで商売をしていた者に加え、戦争引揚者が露店をはじめる。当初は戸板を並べたり、天幕をはったものが多かったようだが、しだいに鉄パイプの柱に屋根にシートを掛けて、壁には防水ベニアを使った露店が増えていった。


これらの露店の中には、香具師と呼ばれる人たちがいた。その人たちは祭りやイベントの時だけに店を出すために、ここで常に商売をしている露天商との間に、場所に関するトラブルが絶えなかったようだ。時には香具師の人たちに場所の移動を強要されたり、商売そのものができない露天商もいた。


昭和47年に商業地区の近代化事業の一環でシート掛け露店の景観が問題となる。その際行政の力を借りて香具師の力を排除し、露天商自らで「ナワテ通り商業協同組合」を設立し、共同で融資を受け、プレハブづくりの仮設ながらも常設の店舗を構えるようになる。これにより、移動する必要がなく一定の場所に安心して店を構えるという長年思いつづけていた夢を多くの露天商達がかなえたのである。


ナワテ通りのちょうど真ん中にある「かえる大明神」ができたのはちょうどその時だ。



■カエル大明神


てくてく歩いていくと・・・・。

「ナワテ通り商業組合」の人たちが新しくマチをつくっていくのに、何かシンボル的なものをと話し合って考えたのが、カエルであった。


昔は女鳥羽川がきれいで、清流にしかいないカジカカエルがいたというが、いつのまにかいなくなってしまった。またカジカカエルが鳴いていた頃のナワテ通りは大変賑やかだった。それで昔のような水清く、活気があるナワテに“かえる”ということでカエルを祀ることにしたようだ。





てくてく歩いていくと・・・・。

私のナワテ通りの定番コースは、西入り口そばにある「信州ふるさと便 」でまずビールを購入。ここは信州産のさまざまな食品を扱う店で、ここで決まって購入するビールは軽井沢の醸造所でつくられる「よなよなエール」。ホップが多く入っており、その香りと甘みがある苦さがたまらない。


その後、カエル大明神のすぐ横にある「たい焼き ふるさと 」に行く。そこでアンコたい焼きを買う。ひげを生やしたダンデイの店主が手を掛けてつくっているアンコは、ほどよい甘さで、少し入った塩がアクセントになって味が引き立ち、私の口に合う。パリっとする薄皮になかにたっぷりとそれが入っているので、これ一つ食べてもお腹一杯だ。


そしてビールとたい焼きを持っていく先は、ナワテ通りから石でできた階段を下りた先にある女鳥羽川の川辺である。そこは「親水公園」と呼ばれ、いくつか自然石が配置され、新たに滝がつくりだされた場所だ。 ただそこは日差しが強いので、そのそばにある「幸橋」の下でくつろぐことが多い。


武家長屋風の建物をつくるといったナワテ通りの再開発は、もともと河川景観を整備する目的でおこなわれた女鳥羽川の改修工事の一環であった。親水公園もまたそうである。この河川整備の結果、土手がお城の石垣風になり、かっては川を横断するようにあった電線がなくなった。


親水公園は、名の通り水に親しむためにつくられた場所であるが、観光客が多い日であっても意外と川の下に降りてくる人が少なく、穴場的なスポットだ。せっかく整備した公園に魅力がないのかもしれないが、こちらはのんびりできてうれしい。


幸橋の下でたい焼きをつまみにしてよなよなエールを飲む、そして鞄の中から本を取り出し読書をする。5月のさわやかな風が気持ちいい、またこの時期、虫がほとんどいないのでくつろげる。


それからウトウトして少し間眠ってしまった。目が覚めると周りは薄暗くなっている。時計を見るともう7時だ。少し飲み足らない気がしたので、また階段をのぼり、ナワテ通りにある「CAFE&BAR UO CAFE」にいくことにする。


先に紹介した「たい焼き ふるさと」と「CAFE&BAR UO CAFE」は同一の店である。夜6時になると営業形態が変わり、店の主人も、ダンディのひげのおじさんから、その奥さんさんであるケイコさんに代わる。




■「UO CAFE」にて、再びカエル

UO CAFEにていつもの通り、アンコをつまみにスコッチウィスキーを飲む。狭い店内なので、他にお客さんがいると話しをすることが多いが、この日は先客で二人組が楽しそうに話しをしていたので、それには加わらず、静かにグラスを傾ける。


一人で飲んでいると、店の中を観察するくせが私にはある。前から思ってはいたが、店内にあるカエルグッズの多さにこの日は気になった。


てくてく歩いていくと・・・・。

手前にあるのはカエルのボーリングセット。その奥にあるのが、ボケていて分かりにくいが、たい焼きを持ち上げているかえるという無茶なシチュエーションの置物。一番奥に並んでいるのはこの店の人気商品である「かえるビール」


てくてく歩いていくと・・・・。

左からカエルの栓抜き、カエルのグラス、かえるビール


ナワテ通りにはカエルグッズをおもちゃ屋さんで売っていたり、また最近ではカエルグッズの専門店までできている。それを売っていないまでも、UO CAFEみたいにカエルグッズが何気なく置いてある店は多い。置物もあるが、はさみ、文鎮、ノートとか。ナワテでは猫の手ではなく、カエルの手を借りて商売をしているといった感じだ。


祠をつくりカエルを祀るようになってから、ナワテではカエルをシンボルとして活用してきた。ナワテ通りのいたるところでカエルの石造などが見られるのはそのためだ。各店でカエルグッズが置かれるようになったのは、「かえるまつり」がはじまってから以降のことのように思われる。再開発後の平成14年(2002)からナワテ通りで毎年おこなわれている。


かえるまつりには、日本各地から工芸作家が来てカエルグッズを販売する「かえる市場」が開かれる。そこでカエルグッズを購入したり、プレゼントされたりする店主が多い。


UO CAFEはこれで商売している店を除けば、店内に置いてあるカエルグッズは多い。上の写真のもの以外のも置いてあるし、店の奥や自宅にしまってあるものもあるという。


たくさんのカエルグッズがUO CAFEにあるのは、ここの主人のケイコさんがかえる祭りを立ち上げた中心メンバーであり、今でもこのイベントを企画運営しているということと関係あるだろう。


UO CAFEに、「カエルタイムズ」という全16面、カエルの話題のみを扱った新聞があった。そこに「カエラー」という用語がよく使われている。カエラーとはカエルに関するあらゆるもの(生き物・グッズ・マンガ・アニメ・アート等)が好きな人をさす。


そこで、たくさんのカエルグッズを集めたり、かえるまつりを企画したケイコさんはカエラーだなと思い、「カエルのことが好きなんですね」とたずねると、


「よく言われるですが、見るだけでしたら生き物のアマガエルはかわいいと思うけど、グッズはそれほど好きというほどでもないんですよ」


という冷めた返事。


先に写真で紹介したカエルボーリングをわざわざネットで購入して、少しはしゃぎながら見せてくれるような人が、カエルグッズが嫌いなわけはなく、むしろ人よりずっと愛着を持っていると思うのだが。



てくてく歩いていくと・・・・。 後日のことだが、カエルタイムズをつくっている高山ケロリさんと高山ビッキさんが編集した「カエラー達のつぶやき 」という本を購入した。そこにはカエラー達の習性がまとめてあるが、ケイコさんにあてはまることが結構書いてある。


「家にいつのまにかカエルグッズが増えていた」(事実)「カエルグッズを10個以上持っている」(事実)「雨の日も楽しい」(広言している)「梅雨時のカエルの鳴き声が気になる」(これについてははっきりと確認していないが、女鳥羽川のカエルの鳴き声について解説してくれたので、多分そう)


その中に、「カエラーには水くさいといわれる人がけっこういる」という文章があった。


カエルは水辺の生物なので、水くさくてもいいが、人間に使う場合、よそよそしく冷たい印象という意味で使われる。本の中では変人と思われることが恐れて、防衛本能が働いているために水くさくなると結論つけている。多くのカエルグッズ持っているのに、特に好きと思っていないと答える矛盾に、ケイコさんの水くささを感じる。普段は水くさいというより、みずみずしい人なのに。ことカエルのこととなると、カエラーの本性を見せるのだろうか。



てくてく歩いていくと・・・・。

カエルタイムズ12号(最新号)。創刊が平成17年(2005)。現在、不定期で刊行。





スコッチを5杯くらい飲んだであろうか、大分酔いがまわってきた。そんな時ケイコさんが「ゴールデンウィークどこにも行かないのですか?」と訊いてきた。


酔っている時には、やっぱりラーメンが欲しいなと質問内容とは全く関係ないこと考えており、喜多方ラーメンがいいなとその時ふと思い、「喜多方にいくつもりです」とつい口にでた。


そうすると、ケイコさんが喜多方ラーメンのおいしいところの解説がはじまり、そしてカエルタイムズを発行している高山姉妹の実家が喜多方にあり、その実家の一室が「100年カエル館」という名で私設博物館をしていると教えてくれた。


「前に一度行ったことがあるんですけど、高山さんの家では家族でカエルグッズを集めていて、日本だけではなく、世界中のカエルグッズが何千という数があって、本当におもしろいところなんですよ」


そして続けさまに「で、ゴールデンウィークもう終わっちゃいますけど、いつ行くのですか?」と訊いてきた。


「明日行きます」と反射的にケイコさんの笑顔にだまされるかのように思わず答えてしまった。えっ本当に行かなきゃだめと内心思いながら・・・。


UO CAFEを後にして、カエル大明神を横切ると、ケロッケロッとカエルの声が女鳥羽川から聞こえた。その鳴き声が喜多方で待ってるよと言っているようだった。


それを聞く事で決心がついた。どうせ暇だし喜多方に行くかと。喜多方まで400kmくらいで、朝何時に家を出て、何泊しようかなとか旅の日程を考えながら家路につく。

てくてく歩いていくと・・・・。


※告知 今年もカエラー達の祭典「松本カエルまつり」が6月25日(土)、26日(日)の両日ナワテ通りとその周辺で開催される。カエルをテーマに、地域が主体となって大々的におこなわれるイベントは他にはない(多分)。


10周年を迎えて、今年のキャッチフレーズは『ありがとう。』


10周年記念企画として「カエルタイムズ」の編集長をつとめる高山ビッキさんの講演会がおこなわれる。かえるまつりをはじめた時にいろいろと主催者に助言をしている。いわば、かえるまつりの恩人である。「かえるを考えることは人と地球について考えることである」という思いを持ち続けてカエルグッズを何十年も集めている筋金入りのカエラーである。


もちろん例年通り、工芸作家達のカエルグッズが購入できる「かえる市場」や子どもたちのカエル仮装行列「ケロウィン」等、そして歌あり踊りありの飽きさせない構成である。と仕事人(学生等のかえるまつり実行委員)は語る。


詳しいイベント情報はこちらを参照してください。http://pinokionosato.but.jp/frog/


カエラーが集まり、誰でもここに来るとカエラーになってしまうイベント!! 


COMING SOON


てくてく歩いていくと・・・・。


ペタしてね