てくてく歩いていくと・・・・。 毎年松本では、8月から9月にかけて「サイトウキネンフィステバル」がおこなわる。


平成4年(1992)からおこなわれ、今年で20回目をむかえた日本最大級の音楽祭の一つである。


音楽大学として著名な桐朋学園の創設者の一人である斉藤秀雄(指揮者・チェロ奏者)の没後10年を記念して、その教え子達が昭和59年(1984)に東京と大阪で「斉藤秀雄メモリアルコンサート」を開き、その際に結成された楽団を母体に、世界的指揮者である小澤征爾を中心にできたのが「サイトウキネンオーケストラ」だ。


このオーケストラを中心とした演奏と若手音楽家の育成を目的として、サイトウキネンフェスティバルははじまった。


その目的は現在でも変わらないが、近年では市民に開かれた音楽イベントとしての性格が加わっており、クラシック以外でもジャズ等の演奏もプログラムにある。


またサイトウキネンに出演する音楽家と市民との交流も盛んで、学校や病院といった公共施設での演奏会がおこなわれおり、地元の吹奏楽団への指導等もおこなわれている。またサイトウキネンによるオペラの演奏に、市民合唱団が参加するというこころみもなされている。


フィスティバルの期間中、松本市民芸術館を中心として多数のコンサートがおこなわれるが、その運営を影となって支えているのは市民ボランティアである。会場の設置(椅子並べやステージづくり)や、来場者・出演者のサービスなどを主な活動としている。現在登録スタッフは600人近くいる。
てくてく歩いていくと・・・・。


そして、駅前を歩けば、「SAITOU KINEN FESTIVAL」のロゴが描かれた垂れ幕が、その期間中、多数ある電灯の鉄柱にかけられ(上写真)、またほぼ全ての店舗の入り口にも、ロゴ入りの小さな記念Tシャツ(15cmほど)がかけられており(右写真)、松本の中心市街地全体でサイトウキネンを盛り上げている。毎年実施されることで、今やこの飾りは松本夏の風物詩といった感じだ。





てくてく歩いていくと・・・・。

サイトウキネンフェスティバルのホームページ より(上写真)


しかし・・・・。


このようなことを書くと、松本は夏になると音楽一色のマチとなるといった感じを受けると思うが、そのような感覚は少なくとも私にはない。私の知人でサイトウキネンを話題に語るという人はほぼいないからだ。


ボランティアのことや、チケットを購入するために徹夜して並んだという市民の話しは地元新聞で読んだことはあったが、知人でこのような人がいないため一部のクラッシクファンが熱心に支えながら、楽しんでいるイベントかなという印象であった。駅前に垂れ幕や記念Tシャツが飾ってあるのは、地元市民向けというよりむしろ全国からくるクラッシクファンの観光客に向けてものであろうなと漠然と思っていた。


そんなある日、松本駅前にある「珈琲美学アベ」という喫茶店に行き、いつものブレンド珈琲を飲みながら、窓に複数飾ってあったサイトウキネンのTシャツを何気に見ると、その一つ一つにサインがしてあった(下写真)。


店主の安部さんにこのことを聞くと、


「サイトウキネンがはじまると演奏者が店にきてくれ、その時に話しをして仲良くなった人にサインをもらっているんですよ。サインはTシャツだけではないですよ。毎年発行されるサイトウキネンのプログラムにもありますよ。


もともとクラシックに興味はそれほどなかったのですが、知り合いになったバイオリニストの女性に招待チケットをいただいたので、オケではなく弦楽器によるアンサンブルでしたが、妻と一緒に聴きにいったら、重厚な響きに感動しました。クラシックのコンサートに普段いくということはありませんが、それ以来サイトウキネンのファンになりました。このバイオリニストは毎年演奏仲間をつれて来店してくれるんですよ」


この時期に松本にくるクラシックファンもよく珈琲美学アベに来店するようだ。その時に記念Tシャツに描かれたサインをみて、安部さんとクラシック談義をするという人も多いという。


「サインや私の話しで、観光客が喜んでくれるのは大変楽しい」と安部さんは語る。観光客にとっても好きなクラシックや演奏者の話しができることは楽しいだろし、いい思い出になったことであろう。

てくてく歩いていくと・・・・。

安部さんみたいな店主が特別かというとそうでもないらしい。駅前の商店・飲食店にはサイトウキネンのメンバーがよく利用しており、店主と毎年交流を深めている店が多く、私がいつも利用するトンカツ屋にもメンバーのサインが飾ってあり、そこのおばちゃんは、何回かコンサートにもいったようだ。


サイトウキネンフェスティバルは今年で20回目である。回を重ねるごとにそのメンバーが駅前の商店・飲食店を利用することで、店主との人間関係ができ、元々熱心なクラシックファンではないこのような人達がサイトウキネンを支える層になってきているのはおもしろい。


近年、小澤征璽さんが体調を崩しており、今年のサイトウキネンフェスティバルも予定していた多くの指揮振りをキャンセルした。


そのようなこともあり、小澤さんが指揮を振れなくなり、サイトウキネンフィステバルの運営から完全に離れたら、このイベントは維持できるのだろうかという話しが松本でよくされる。


小澤征璽さんがいなくなれば、観光客が少なくなるということは予想できる。変わりのスター指揮者はといっても簡単には見つからないであろう。


しかし、安部さんのような店主と話しをしていると、20年という長い時間をかけて、クラシックや音楽文化が松本に根付いてとはまだまだいえないが、このイベントを夏の時期だけ楽しみたいといった人や、熱心なクラシックファンではないがサイトウキネンを応援しているといった市民が案外多いのではないかと思えてくる。


そういう人達が多くいれば、予算がかかるオペラを一時的にしなくなるといったことはあるかも知れないが、このフィスティバルが松本からなくなることはないであろう。




またまたある日、とあるバーでジャズ好きの常連と上記したような内容の話しをしていたら、サイトウキネンフィスティバルの期間中にその出演メンバーがたびたび利用していたジャズバーがあったことを教えてくれた。


このバーの名前は「ハーフタイム」。ジャズのBGMが流れ、随時ジャズの生演奏が楽しめるバーである。


元々、サイトウキネンのメンバーが宿泊で利用するブエナビスタホテルの近くにあったが、4年ほど前に塩尻に移転している。

(次回につづく)

前回からのつづき



てくてく歩いていくと・・・・。 ■「なわて通りで遊ぼうよ!プロジェクトチーム」の試みから、「かえるまつり」の誕生へ


「ナワテ通りが再開発されて、通りのはじにあったかえる大明神が、中心に移動し、私が経営するたいやき屋のすぐ隣に祀られるようになったんです。


それで気付いたんですが、かえる大明神を写真撮影する人が多くて、中には持参した小さなカエルのぬいぐるみを祠に置いて撮影する人もいました。そういう人は大抵女の子でした。またかえる大明神に向かって拍手を打って、お祈りをしている人も多くいました。ご利益があるかどうかわかりませんが、男女を問わず若い人も年輩の方も賽銭箱にお金を入れていました。


そういう人達がたくさんいるんだったら、カエルに因んだイベントをしたら、かえる好きな観光客とかが大勢きて、地元の人と一緒になって楽しめるものになるだろうなと思って企画したのがかえるまつりです。思いついたのが9月でしたので、10年前の第一回かえるまつりは、かえるの季節とは全く関係ない11月だったのですよ」


こう語るのは、ナワテ通りでたい焼き屋「ふるさと」を営む山本桂子さん。



ナワテ通りは、平成13年(2001)4月末に3年間に及ぶ、再開発がおわり、今あるような武家屋敷風長屋に店舗がある街並みになった。その時にこれからのナワテ通りをどうするか、商店主や市民有志が話しあい「遊び」をテーマにしてマチづくりをしていこうということになり、それを企画・実行するために「なわて通りで遊ぼうよ!プロジェクトチーム」が結成された。山本桂子さんはその中心メンバーである。


「商店主は、もう年輩の方が多かったので、再開発後、ナワテ通りを元気がある場にしていくためには、商店街の外の人にもマチづくり参加してもらって、そこからのいろいろアイディアを生かしていくことが大切だと思いました。それでプロジェクトチームをつくったのです」


プロジェクトチームは、夏祭りや路上ライブ、囲碁や将棋のフリースペースといったものを、ナワテ通りで実施していく。またその中で「かえるの学校」という企画もあった。


かえるの学校は、大人向けの「かえるクラス」と子ども向けの「おたまじゃくしクラス」の二つがあった。両方とも希望者を広く募って実施した。かえるクラスでは、講師をよび、発声方法や、紙芝居での表現の仕方等を学習してもらい、かってナワテに多くいたテンポがよい口上が売り物の露天商の復活や、ナワテ通りを舞台に活躍するストリートパフォーマーの育成することを目的とした。またおたまじゃくし教室では、商店主や市民有志が講師になり、子どもたちがお手玉や竹笛をつくったり、牛乳パックで船をつくったりして、ナワテ通りやそれに寄り添うように流れる女鳥羽川に昔のような子どもの賑わいを戻すことを目的とした。


プロジェクトチームがかえるの学校の次に企画したのが、かえるまつりである。かえるの学校は、今休校中?であるが、そこでおこなってきた紙芝居のパフォーマンスや、おたまじゃくし教室で実施してきたような子どもが元気に遊ぶ場を提供することなどは、現在のかえるまつりに引き継がれている。



平成14年(2002)にはじまったかえるまつりは今年で10回目を迎え、大人も子どもも、観光客も地元の方も一緒になって楽しめる場としてすっかり松本の梅雨の風物詩として定着してきた感がある。


山本桂子さんは語る。

「かえるまつりをする前の1年間で、プロジェクトチームでいろいろのことをしていましたから、その経験をいかして2ヶ月という短い準備期間でも仲間でアイディアを出し合いどうにか実施することができました。


最初から現在している基本的なものである“かえる神事”・“かえる市”・“ケロウィン”・“スタンプラリー”そしていろいろの子ども達の遊び場やライブコンサートといったものはあったのですが、学生を中心とする企画・運営がしっかりと固まるまで、苦労しました。この体制で継続してやっていけるなと思うまで3年かかりました。手伝ってくれた学生はもちろんですが、助言をくれた高校や大学の先生には感謝しています」


現在かえるまつりには何人の人が楽しみにきているのだろうか。それについての公式発表はない。スタンプラリーでの景品であるピンバッチが1日限定400配られ、それは2日間に渡っておこなわれていたが、400の数用意したスタンプラリーの用紙が両日とも午前中になくなっていた。午後の方は来客数は多かったようなので、私の感覚だと、1日千人以上、2日間で2千人以上の来客があったと推測している。


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テレビ局の取材を受ける山本桂子さん。かえるまつりだけではなく、思いついたら、すぐに行動する人です。




■現在におけるカエルのメッセージ性


今年のかえるまつりに、喜多方で「100年カエル館」を運営し、「カエルタイムズ」の編集をしている高山ケロリさん、ビッキさんの姉妹がコレクションの展示と10周年記念講演をするに来ていた(高山姉妹や100年カエル館についてはこちらの記事 にて)。


かえるまつりをはじめた時には、数々の助言をし、カエル市場のアイディアを提案し、実施するにあたってサポートをしている。


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左が姉の高山ケロリさん、右が妹の高山ビッキさん。


祖父から3代続くカエルグッズコレクターのカエラーであり、現在広告代理店を二人で経営している。


ケロロ軍曹の映画があると、必ず二人で一緒に観にいくというほど、仲がいい二人。









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「水辺を楽しさを伝える小石かえる達」と題して、空きテナントを利用して、小石を素材としてできたカエルの置物の展示をしていた。



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高山ビッキさんの10周年記念講演「カエルグッズコレクションについて~集めることで見えてきたカエルのこと」


祖父の代から高山家が集めているカエルグッズをさまざまな素材・造形・用途といった分類して紹介し、そこから何が見えてくるかを解説していた。


その話しの中で、カエルを擬人化する地域とそうではない地域があり、擬人化する地域であっても性格付けがそれぞれ異なるといった、文化論的な説明があった。


中国はカエルを一般的に食肉として扱うので、擬人化はせず、アフリカ・西アジアは数多くの卵を産むので、豊穣を意味する信仰として捉える意識が強く、擬人化することは少なく、リアルに表現した造形物が多い


擬人化する国として、アメリカ・イギリス・スペイン・日本がある。アメリカはスポーツや音楽をするようなエンターティナーが多く、イギリスは「ピーターラビット」の人気キャラのジェレミー・フィッシャーに象徴されるようなコミカルでカラフルな存在。スペインでは強欲さ、貪欲さを象徴しており、キリスト教でのカエルに対する考え方が反映している。日本においては食肉にするカエルは一部にはあるが、多くの種類はそうではなく、親しみをもって接していることが反映して等身大の人物のように表現されたものが多い。


擬人化するか、しないかは人間とカエルとの距離感を表し、距離感が近ければ擬人化して、またキャラクターにもなりやすい。またこの距離感は、人対自然とも換言できる。擬人化するだけではなく、等身大の人物かのように表現する日本は、対カエル、対自然との距離感が近いということとなる。


近年、ドイツをはじめとするヨーロッパでは、カエルをラッキーアイテムのように捉えることが多くなり、ブランド品等でカエルをデザインするものが多くなり、また擬人化するグッズも多くなる傾向があるという。


高山さんはその傾向をエコ意識の高まりからという説明をしていた。自然が豊富なところに、当然カエルはいるが、それがなくなればいなくなる。


日本においても近年、女の子を中心にカエラーと呼ばれるようなカエル好きな人達が増え、さまざまな商品化されたカエルグッズが生活のまわりで増えてきた。


高山姉妹は15年ほど前から一緒に広告代理店の仕事をしており、当時企業にカエルを使った企画広告やイベントを提案しても、「カエルは好き、嫌いがはっきりしているから」と言われ、断られることが多かったというが、21世紀になるころには理解をしめしてくれるようになり、広告やイベントの企画が実現するようになったという。その背景には、カエル好きな人達が目に見えるかたちで確実に増えてきたということがある。


かえるまつりは、平成14年(2002)にはじまったが、その流れをうまく捉えてはじめたイベントであったと言うことができる。


6月6日がカエルの日として、広まるようになったのが平成10年(1998)である。その頃からカエラーという言葉とともにカエルブームがはじまったと考えられるが、このカエルブームは終わりそうにない。「ケロロ軍曹」や「けろけろけろっぴ」は相変わらず人気であるし、10周年をむかえたかえるまつりの来客数は今年も多かった。


高山ビッキさんはかえるまつりのカエラーについてこのように述べている。


「カエラーのカエルコスプレが、最初の頃に比べると着こなし方が自然でうまくなって、このイベントが定着したことがそこから分かります」


カエルブームが10年以上続いていることを考えると、これはブームとはいえず、高山さんの発言ではないが、定着したものだと思われる。


でも、よく考えると、カエラーという言葉ができるずっと以前から、人気があったカエルの商品はあった。薬局においてあった「ケロヨン」、週間少年ジャンプに連載され、アニメ化され、現在でも根強い人気がある「ど根性ガエル」。それはいずれも1970年代のものであり、カエルのキャラがマスメディアを通して広く全国に広まっていき、特にマニアという人達だけではなく、広く一般に受け入れられていった。


ちょうどこのようなカエルキャラがはやった時期にナワテ通りのカエル大明神ができた。昭和47年(1972)である。他の土地でカエル神社と呼ばれるものはそれほどなく、神として祀っているのは下呂温泉の「かえる神社」ぐらいではないか?(あったら教えて下さい)。カエルの石像に対する信仰で、三重県の二見興玉神社が有名であるが、この神社で祀られている神は猿田彦であり、カエルはその使いにすぎない。


下呂のかえる神社は、ナワテのものと同じように祭神がカエルである。合掌形の古民家などがある「ふるさとの杜」の中にあり、カエル神社は昭和63年(1988)のリニューアル時にできた。下呂という地名に因んで、ダジャレ的に観光施設としてつくられたものである。また平成21年(2009)には温泉街の中心に新たに「加恵瑠(かえる)神社」ができ、観光とマチづくりにいかしていこうとしている。


二見興玉神社では、カエルお守りが売られている。無事にかえるとか、失くし物がかえる、探し物がみつかるといったご利益があるそうであるが、このようなお守りは元々カエルに縁がない神社でも売られるようになっている。これも近年の傾向といっていいであろう(ネットで探すといろいろでてきます)。


このように70年代以降の商品化等を通して、人々に関心をもたれる存在にカエルがなっていく。この流れの背景にあるのは、生活環境の急速な変化であると考えたい。


家のそばの田んぼがなくなり、川も汚くなり、身近にいたカエルがいつのまにかいなくなってしまった。いなくなると寂しいものだし、たまにカエルを見るとかわいいものだと感じる。そして自分達の生活環境はこれでいいのかと疑問がわく。


ヨーロッパで、エコ意識の高まりからカエルグッズが増えたという高山さんの考えを、先に紹介したが、日本でも同じような流れが1970年代以降あったのではないかと思う。そのような素地があって、近年のカエルブームがあったのだと思う。カエルグッズを集める人にそのような明確な意識はないと思うが、そこには普遍的で現代的なメッセージがある。だからこそカエルブームが一過性で終わらず、カエラー達が定着したのだと考えるが、どうであろうか。


てくてく歩いていくと・・・・。

高山姉妹が運営する「100年カエル館(現在休館中)」のコレクションが、8月13日(土)~9月19日(月)の期間、会津若松市にある福島県立博物館で展示される。


明治生まれの祖父の代から、その孫の高山姉妹まで、高山家3代にわたり集めたカエルグッズコレクションが公開される。


9月18日(日)には高山ビッキさんの展示解説と、学芸員(民俗)の榎陽介さんとの「日本の月になぜカエルがいなくなったか」と題するカエル文化トークが催される。


「今回は全世界のカエル愛好家、愛らしいカエルをみてなごみたい方に向けた展覧会ですよ。カエルの不思議な力により、よみガエル(甦る)会津のにぎわい、そして世の中をカエル(変える)パワー。なによりも心を癒しなごませてくれるのです。


 夏の合言葉は「この夏、会津に、カエル」です!」

福島県立博物館HPより






■かえるまつりが10年続いたことの意味

  

かえるまつりは、まつりとはいっているが、イベントであって、本来の意味の「祭り」とは異なる。


祭りには、信仰する神を中心とする物語があり、その物語を確認する神と人々の交流の場がある。祭りを支えるのは血縁・地縁で結ばれた人々であり、祭りを経験することで、その物語は継承されていく。


かえるまつりにおける神はカエル大明神であるが、そもそもカエル大明神はどういう性格でなぜここに鎮座しているかといった物語はない。また現生利益的な話しもとりあえず聞いたことがない(カエル大明神のおかげで病気が治ったとか)。


またそれを支えているのは、その時々で入れ替わる商店主と学生である。その地に根をはった血縁・地縁で結ばれた人々ではない。


かえるまつりは、あくまでも地域の活性化を目的としたイベントである。それゆえに、すぐなくなる可能性もあったが、今年で10年続いている。


その最大の理由は集客があり、ナワテ通りの商店の売り上げに貢献しているからであると思うが、かえるまつりを見ていて、それだけではないことに気付いた。


かえるまつりの企画・運営の中心になるのは地元の学生であるが、卒業するまで毎年参加する者が多く、OB・OGになってからも参加する者もいる。1回目からずっとという元学生もいた。またそこでおこなわれるかえる市場に出店する工芸作家や雑貨屋さんも毎年参加している人が多い。またかえるまつりを楽しみにして、毎年くるカエラーさん達も多いようだ。


この地で先祖代々居住する、商売するといった本来的な地縁とは違うが、かえるまつりという機会にナワテ通りという場に毎年集まり、交流する核となる人達がいるということは、それも地縁ということとなる。さまざまな人達をこの場に結びつけて、それを継続させていることが、10年つづいたかえるまつりの大きな意味であると思う。


かえるまつりに来たり、参加する人達は、さまざまな思い出を持つことであろう。そしてかえるまつりで出会った人とその思い出を共有していく。毎年これを繰り返すと、思い出の輪が広がり、さまざまな出処が不明な物語が生まれてくる。そしてそれが多くできることで、かえるまつりが一つの文化となっていく。このようになるまでには何年かかるのだろうか?そしていつか、カエル大明神が神としての物語を帯びていくのかもしれないが、それはいつのことであろうか?気の遠くなる話しだ。


先に紹介した山本桂子さんは、後日興味深い話しをしていた。ナワテ通りに沿うように流れる女鳥羽川の水辺で、かえるまつりの打ち上げを学生達と夕方して、薄暗くなってもう帰るという時に、3匹ほどのホタルを学生達とともに見たという。


そもそもナワテ通りにカエル大明神をつくったのは、かってきれいな水辺しかいないカジカカエルが女鳥羽川にいて、その頃の賑やかだったころのナワテに“かえる”という商店主の思いからである。かえるまつりに見られるように、ナワテ通りは賑やさは戻ってきて、松本観光のスポットになっている。そしてホタルが出たということは川の水質もよくなってきたということである。


打ち上げのあと、女鳥羽川でホタルを見た人達は何を感じたろうか?それが共通の思い出として皆の心に残り、語りつがれていけば、いつかかえるまつりを支えるような一つの物語になっていくのだろう。


評判がよかったので・・・前回からの続き


てくてく歩いていくと・・・・。


■子どもが楽しむかえるまつり

「お菓子をくれないといたずらするーケロ!!」とナワテ通りにある店舗の前で、子ども達が、かわいく飛び跳ねながら元気に声を出している。そうすると中から店主が現れて、子どもたちにプレゼントを手渡す。


それを繰り返しながらカエルルックの子ども達が各お店をまわり、ナワテ通りを練り歩いていく。かえるまつり2日目の午後におこなわれた“ケロウィン”という催しだ。


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カエルルックをした子どもたちと、一緒にあるく仕事人(学生有志の実行委員)のお兄さん、お姉さんたち。



てくてく歩いていくと・・・・。 ナワテ通りを練り歩く子ども達。仕事人の人、気温が暑い中着ぐるみで大変そう。















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かえる君と一緒に「お菓子をくれないと、いたずらするぞーケロ!!」


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店主の方からプレゼント。中身は何かな? お菓子とは限らないようだ。ノートなどの文房具というお店もあった。だからといって子ども達はいたずらしません。



ケロウィン以外でも、子ども達が楽しめる催しが、かえるまつりにはたくさんある。

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「かえる座」の紙芝居。紙芝居をしているのは、ナワテ通りにあるたいやき屋「ふるさと」のご主人


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女鳥羽川の水辺において、金魚すくいで使うポイでスーパーボールすくい


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夜のナワテ通りを飾る灯篭をつくる子ども達。



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射的・スマートボール



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「さわむらしげはる&飯山ガギデガジャグバンド」によるライブ。


ギターやバンジョーなどに加えてのこぎりや鉄板を利用した楽器などを使い、聞いていて愉快である。子どもと大人が一緒になって演奏を楽しんでいた。リズムにあわせて手を叩きたくなるし、親しみやすくメロディに子ども心を表現したような歌詞ということもあり、思わず一緒に歌をうたいたくなってしまう。さわむらさんの巧みな“客いじり”ステージワークで、演奏者とともに観衆が一緒に声を出したり、手をにぎったりして、その場に一体感が生まれ、盛り上がっていた。




子どもが楽しむ場所が多いといっても、子どもだけでかえるまつりに来ているのではなく、皆両親に連れられてきている。ケロウィンで、子どもと一緒になって両親が歩くということはないが、両親は子ども達の行進を後ろからカメラを向けながら見ている。スマートボール等の子どもが楽しむようなブースでも、両親が後ろから見守り、声をかけている。子どもと一緒になって家族でこのイベントを楽しんでいるという感じだ。さわむらさんのライブにおいては、子ども以上に大人の方が童心に戻って楽しんでいた。

■学生による企画・運営

かえるまつりの企画・運営に大きく貢献しているのは、信州大学・松本大学の学生有志だ。学生運営スタッフのことをかえるまつりでは「仕事人」という。


先述したケロウィンを実施したり、水辺のスーパーボールすくい、射的、スマートボールといったブースの管理をしているのは学生だ。


またタイムスケジュールの管理といった全体に運営に関することや、落し物や迷子の対応などといったこまごましたトラブルの対応などもしていた。


現場の運営だけではなく、かえるまつりの準備段階から関わり、どのようなイベントにしていくかを考え、個々の企画をたてるといったこともしている。


よくいいイベントには「よそ者・若者・バカ者」がいるというが、それを代表するような学生を積極的に活用することで、かえるまつりは活気があるものになっているのが分かる。


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かえるまつりでは、毎年スタンプラリーをしており、ナワテ通りを中心に5ヶ所スタンプを押すところがある。この5ヶ所でスタンプを押すと、記念バッジを中央受付でもろうことができる。


中央受付、スタンプラリーブースは会場全体に分散している。そしてそれぞれの場所にスタッフの学生がいて、落し物等困ったことがあったら、それらの学生に声をかければすぐに対応してくれる。



てくてく歩いていくと・・・・。

かって仕事人として活躍したOB・OGも参加。カエルオリジナル切手を貼って1年後の私に手紙を送るという企画と、かえるまつりで撮影した写真をカエルオリジナルフレームに入れて記念にするという企画を各ブースでしていた。



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仕事人手作りのゴミ箱


カエルのデザインがしており、注意をひくし、かわいらしい。
















■商店主は商売に専念

通常、マチおこしイベントというものは、そのマチにある商店主が前面にたって運営するものであるが、先に述べたように、かえるまつりでその中心を担ってているのは学生有志である。


もちろんナワテ通りに二つある商店街組合の「ナワテ商業協同組合」と「縄手商業会」からその運営資金はでている。また学生を集めて企画たてさせて、そして実際に運営できるように指導しているのはナワテ通りの商店主である。つまり商店主はプロデューサーとしての役割をはたしているのである。


かえるまつりがはじまってしまえば、学生達が中心となり運営をしていくので、商店主サイドは基本的にはそれを見守ればいいだけだ。だから商店主は自分達の商売に専念できる。


てくてく歩いていくと・・・・。

6月6日のカエルの日に開店したばかりの、カエルグッズ専門店「RIBBIT」


カエルのマチ、ナワテ通りにありそうでなかったお店。地元工芸家、アーティストの置物やぬいぐるみ、そしてポスター、カエル柄のコットン生地などが所狭しと置かれている。


6月6日がカエルの日なのは、ケロ・ケロという語呂合わせから。かえる友の会 の会員であるライトノベル作家、矢島さらが平成10年(1998)に提唱し、今ではカエラーの間では常識になっているらしい。



てくてく歩いていくと・・・・。

戦前からある老舗パン屋さん「SWEET」


かえるまつり限定で「かえるパン」を販売。あんことクリームの二種類。この写真のものはあんこ。クリーム味は目の形が●である。


また25日には、15名限定で、かえるパンを厨房でつくるという体験企画をしていた。


てくてく歩いていくと・・・・。

赤毛が素敵なおばちゃんが経営するたこやき屋さん。


王冠カエルを売りながら、次から次へとたこ焼きやお好み焼きをつくっていた。



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カエルビールを販売していたたいやき屋「ふるさと」


2種類のかえるビールが販売されていたが、いずれも宮田村にある「南信州ビール」で醸造されたもの。

緑ラベルと茶色ラベルのものがあるが、かえるまつり限定で販売されたのは緑ラベルのもの。茶色ラベルのものは、このお店にいけばいつでも購入できる。


茶色ラベルの中身は「南信州ビール ゴールデンエール」。苦味を抑えたすっきりとした甘みがあり、フルーティーな味わいがあるもの。これは何回か飲んだことはある。緑ラベルの中身は「南信州ビール アンバーエール」。まろやかなこくがある味がするらしい・・・。らしいと書いたのは、私が初日の昼すぎに購入しようとすると、既に売れきれ状態であったためだ。残念。


しかしよく考えると、南信州ビールラベルのものは、それを取り扱っている酒屋(近くの三代澤酒店等)にいけば手に入れることができる。だがこの日はカエラーが集まるかえるまつり。カエラーにとってはカエルラベルが貼っているだけでコレクターアイテムであり価値がある。特に限定品という響きには弱い。



そこで忙しそうに店頭でビールを売っていたのは、ここの女主人の山本桂子さん。かえるまつりがはじまるきっかけをつくり、今でも企画・運営する学生達をまとめて、支えている。


その彼女にかえるまつりをはじめた頃の話しを伺った。


(次回に続く。なるべく早めにアップしたいのですが・・・)