てくがたのブログ-上田城 もうすぐ桜が咲くというのに、まだ上田城の周辺は、空がどんよりしており、肌寒い感じがした。ちなみに、信州上田の桜の開花予想は4月2日。

この写真は、上田城本丸南櫓と東虎口櫓門。この周囲には桜が多数あるが、まだつぼみの状態だ。

上田城は真田昌幸が1585年に築城したもので、徳川家康の軍勢に対して2度退けた城として有名である。



てくがたのブログ-上田市民会館 この上田合戦は・・・と話しを進めてもよいが、この日(3月21日)ここに来たのは、上田城をみるためではない。そこに隣接する上田市民会館でおこなわれるコンサートを聞くために、自宅がある松本から、車で1時間かけて来たのだ。

ここで昼2時からおこなわれるのは「JAZZ☆CADY」のコンサート。蓼科高等学校のジャズクラブとそのOGからなるバンドだ。

知ってる人は知ってると思うが、2004年に矢口史靖監督によってつくられた「スウィングガールズ」のモデルになったバンドである。


てくがたのブログ-開演前 開演の30分前から入場でき、しだいに観客が集まってきた。定員1300人の6割方の席が埋まる状態になった。

下は3歳くらいから上は80歳くらいのご老人まで、幅広い年齢層の観客だ。その人達の会話の内容に聞き耳を立ててみると、父兄とか、その多くが出演者と何らかの関係があり、蓼科高校がある立科町から応援に来たようである。

立科町は、上田から20km位南にある山間の町だ。人口は8000人弱。林業・農業・畜産業が主な産業で、南には白樺湖があり、そこを中心にスキー場があり、観光業も盛んである。

そんな小さな町の英雄が彼女達(男の子も数人いるが便宜的に)だ。

バンドメンバーが入場して、演奏者も観客もリラックスした雰囲気で、笑顔があふれ、コンサート会場は温かい空気包まれた。このような中で、演奏の良し・悪しを考えながら聞くのは無粋だ。ジャズのスウィングする感覚に身を任せ、楽しむことに決めた。

そして演奏が、カウント・ベイシー楽団の代表曲としても有名な「エイプリル・イン・パリ」からはじまった・・・・。
てくがたのブログ-ジャズキャンディー  
「JAZZ☆CANDY」のメンバーは現役高校生16名、卒業生20名からなる。常に全員で演奏するということはせず、曲によって人数を増減したり、メンバーチェンジをしている。映画「スウィングガールズ」と同じで、ほとんどが女の子で構成されており、男の子はピアノ(兼ベース)とギターにひとりずついるだけだ。この男の子達がバンドでどんなた立場でいるのか想像したら楽しくなる。映画みたいにイジラレキャラで、女の子の言動に振り回されながら、バンド活動をしているのだろうか。少し気になる存在だ。

てくがたのブログ-プログラム 演奏プログラムは、直球勝負のナンバーである。カウントベイシーのナンバーを中心にスタンダード曲をまじえて構成されている。

高校生が演奏するジャズというと、グレンミラー楽団の「イン・ザ・ムード」とか「ムーン・ライト・セレナーデ」とかが思い浮かぶ。私も高校時代、ブラスバンドに入っていた時このようなナンバーを演奏したものだ。しかし彼女達は演奏しているのは、どの曲もそれより遥かに難易度が高いアレンジを施されたものである。 

カウントベイシー楽団といえば、パワフルで重厚で、まるで音の壁が迫ってくるようなブラスサウンドもつ。そしてそのサウンドにより、うなりがあるようなドライブ感を出し、スウィングしまくるというのが大きな特徴であるが、それに対して彼女達は果敢に挑戦している。

特にハイトーンを吹き続けるトランペットが大変である。トランペットが一番音が大きく、華やかな音色であるので、この出来、不出来が演奏そのものが成功するか、失敗するか大きく関わってくる。大学の男子学生でも、演奏するのが大変で、途中で演奏が止まりそうになることもある。

途中、ヨレヨレになりそうになるが、持ち直しつつ、これだけの曲数を最後まで演奏しきったことに凄みを感じる。それにトランペットパートは全員女の子であることを考えれば驚きである。難曲である「ザ・ヒーツ・オン」を演奏しきったことに感動するし、またアンコールとして、さらに「ザ・ウィンド・マシーン」「モーニン」というナンバーまで演奏したスタミナもスゴイとしかいいようがない。

てくがたのブログ-アドリブ
またカウントベイシーといえば、各楽器の名手による、アドリブバトルは無くてはならないが、JAZZ☆CADYのメンバーも個々のレベルに合わせて、自分で工夫したであろうアドリブを演奏していた。


アドリブをすると上手、下手は別にして、個々の性格が表れてくるようでおもしろかった。饒舌に音をつないで演奏する子、ブロウをしてかっこうつけたがる子、音が外れ気味でのんびりとした演奏する子・・・。

ジャズを演奏する楽しさは、クラッシクとか、吹奏楽とかと違い、全体の中でも、個性を発揮できることにあると思う。彼女達は心から楽しみながらジャズをしているから、このような演奏ができるのであろう。う。                        てくがたのブログ-観客席から

このコンサートで、「JAZZ☆CANNDY」の一年が終わり、4月になったら、1年生を迎え、新たなスタートを迎える。しかし今の3年生が抜けると、在校生のメンバーが7名だけになってしまうらしい。少子化の影響もあり、蓼科高校の入学生が減っている状況の中、毎年メンバーの数に悩みながら活動をおこなってきたようだが、特に来年度は苦しいようだ。

楽器を使ったこともない女の子に一から教えて、毎日の練習を通し、個人の技量も高め、全体のレベルアップをはかっていったことが、容易に想像できる。今日聞いた演奏は、創部から11年かけてつくりあげたものであると思う。これだけの演奏曲のレパートリーはすぐにできるものではない。この11年かけて築き上げた伝統がこれで途絶えなければいいなと心から思う。

しかし朗報もある。このコンサートで指揮者をしていた顧問の先生の斉藤研郎さんが、来年も蓼科高校に残ることが決まったようだ。11年前から、今にいたるまでこのジャズクラブをずっと指導し続けた先生だ。このコンサートで、MCもしており、そのコメントから、このバンドに情熱を持ち、生徒に対して優しく見守って指導している人柄が垣間見られた。また失敗しても成功してもアドリブを終えた女の子と微笑み合う姿から、メンバー皆からしたわれているのだろうと感じられた。

11年前、たった4名からはじめたことを考えれば、はるかに今の状況は恵まれている。斉藤先生はもちろんいるし、また多くの卒業生の多くのバックアップあり、簡単に今まで積み上げられてきたものが壊れるとは思えない。またこのコンサートに集まった多くのファンもいる。今後とも注目していきたいバンドだ。

てくがたのブログ-電報車

車を運転していると、前に電報配達の車。

普段使わないこともあり、まだ電報という通信手段が残っていることを、忘れてしまっている。昔は電話を持っていない人が多く、郵便を利用する信書より、速い連絡が可能だったので、重宝したと思うが。今では誰でも携帯電話を持っているし、電子メールという手段もある。

今どんな時に電報を使うのだろうか? 結婚式等の祝電、葬式の弔電ぐらいか。もともと電報は、何らかのメッセージを速く正確に伝えるというためにあったが、いまではそういった目的よりも、祝電・弔電に見られるように、慣例化した用途に使われるものになっている。また演出的な効果もあるのだろう。「笑っていいとも」の祝電をタモリが読む姿をみると、なぜだがおめでたい感じがしてくる。

ちなみに、電報は24時間受付可で、朝8時から夜7時までに手続きを完了すると、当日中に届くようだ。携帯やPCを通しても受付をしてくれるので、いつでも手軽に利用できる。何かうまい使い方はないだろうか・・・。

ところで、この電報配達車はどんな電報を運んでいるのだろうか? この季節だから大学等に合格した若者が、携帯で直接電話するのではなく、両親を少しじらして驚かすために、また自分自身の記念にするために、電報を送ったのかもしれない。

その内容はもちろん「サクラサク」



てくがたのブログ-鉢植え 松本の駅前に、会社の事務所があるのだが、毎年ゴールデンウィークを過ぎる頃になると、鉢植えの花が、町内会から配られる。「花いっぱい運動」の一環らしい。お客さん相手の飲食店・小売店に配られるのは分かるが、私がいるところは、ビルの3Fにある単なる事務所である。さすがにこの運動が始まった場所、松本だ。気合が入っている。

「花いっぱい運動」は今では全国に広がり、この活動を知っている人も多いと思う。実家は山梨県であるが、小学校の時、課外活動で街のプランターに花を植えた経験がある。

もともと「花いっぱい運動」は、松本の小学校教員であった小林一三夢さんが昭和27年の春に、花を通じて人々の気持ちを豊かにとの願いを込めて、始めたらしい。戦後の混乱期から街が再興している最中のことで、花を通じて、新しい松本を築いていこうという社会運動となっていき、全国に広がっていく。

貧しいけれど、皆が明るい未来を信じて、それを実現しようという当時の人々のたくましさ、そして楽観的な思いが、この運動から伝わってくる。今だったら、花ぐらいで社会が変わるはずがないだろうという冷めた見方の人が多数で、狭い一地域の運動になるかもしれないが、全国に広がる運動にはならないであろう。今行政から補助金・町内会からの毎年の支出で、この運動を年間行事のように維持している地域が多いと思うが、その原点の小林さんの思いとそれを支えた社会的背景を知っている人は今どれくらいいるのだろうか・・・・。

この写真の植物は、今から2年前に町内会から配られたものだが、水の補給をしていたものの、昨年には葉が3枚の状態になり、夏を迎えても花は咲かず、今年の冬には3枚の葉とも枯れてしまった。左端に見える枯れた葉は最後に残った1枚である。1月に全ての葉っぱが枯れた時に水の補給も止めたが、3月に入り奇跡が起きる。芽がいくつもでてきて、すくすくと育っているからだ。これから花を咲かせるのだろうか・・・・。そういえば、もうどんな花が咲くのか忘れてしまっている。花が咲いたら、また後日報告。