てくがたのブログ
前回に続き松本城の桜ネタ。


再び4月13日に松本城をたずねると、すっかり満開である。桜が咲くようになり、雨・風がひどい日もあったので、心配していたが、まだ咲きはじめであったためか、その影響は少し落花した程度だった。


てくがたのブログ しかしこの日も天気は曇りがちであまりよくはない。しかも風が強く、桜が揺れ、写真が撮りづらい。







てくがたのブログ 桜の花びらは咲いてから時間がたつとしだいに白くなっていくが、まだピンク色で若々しい感じだ。








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夕方6時を過ぎると、桜が夕日に包まれるようになり、幻想的な雰囲気になっていった。


てくがたのブログ そんな中、お堀のは、白鳥がおり、のんびりと泳いでいた。


そして夕日が沈んでいくとともに、夜6時にはライトアップされた桜が、しだいに暗闇の中に浮き立ち、夜桜を満喫できるなる。













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もう5月になって、桜も松本市街地ではほとんど散ってしまっている。ブログにアップした城山公園で葉桜状態の桜が見られるくらいだ。


松本市街地では4月6日には桜が咲きはじめたが、上の写真は、4月8日に松本城で撮った桜だ。咲いているものもあるが、まだつぼみが多い状態だ。


てくがたのブログ 桜といってもソメイヨシノのことであって、ちょうどその時、満開であった桜もあった。


それは加藤清正が馬をつないだという伝説があるシダレザクラだ(左・下の写真)。













てくがたのブログ シダレザクラは、咲く時期もソメイヨシノとは違い、バラツキがあり、また花の色も品種が多様なため淡いピンク色から赤に近いものまで多々ある。


色とりどりの桜を楽しむのなら、シダレザクラがいいし、また比較的長い期間楽しむことができる。


その他、桜にはヒガンザクラやヤエザクラもあり、また各種の山桜がある。本来桜は多種多様なものであり、昔から多く人に愛されてきた。古事記の他各種文献にも、そのことが記されている。


これらの桜と違ってソメイヨシノは特殊だ。江戸時代の末に染井村(現東京都豊島区駒込)で品種改良された園芸種で、種によって増えることがなく、人の手による接木でしか増えないものであるからだ。


それが明治以降、日本全国に広まり、桜といえばソメイヨシノのことをさすまでになっている。天気予報とかで桜の開花情報を知ることができるが、南西諸島や北海道の一部を除き、それはあくまでソメイヨシノの開花情報だ。


ソメイヨシノは、一斉に咲き、また短期間で満開になり、一斉に散る。それは人工種で遺伝子的な多様性がないことが原因であるが、そんな集団劇をみるような演出が、日本人の気質によほど合ったのだろう。

てくがたのブログ-アバダー
長野県で“唯一”3D映画の設備を持つ「岡谷スカラ座」で4月の上旬まで「アバダー」の上映をしていた。4月23日にDVDが発売される直前までロングラン上映されていたことになる。


少し前になるが、私は4月5日にこの場所でアバダーを観た。もう上映期間が終るので、ちょうど仕事で岡谷に行く用事があり、その帰りに、この映画館に立ち寄った。


私の3D初体験というと、私が小学生の頃にあった「つくば万博」である。内容を詳しく憶えていないが。自然の熱帯ジャングルとか宇宙空間の映像を観た記憶がかすかにある。しかし目の前に蛇が飛び出て来たり、流星群が現れたりして、それにびっくりして、腕を前に出し手でそれを触ろうとしようとしたことは憶えている。その後もディズニーランドでの映画や、また「ジョーズ」なんかも3Dで観て楽しかった思い出がある。


そんな経験があったので、なぜ今、3D映画ということでアバダーがなぜ世間で話題になっているのが分からなかった。デジタル映像で立体感が増しているのか?また映画のストーリーや演出の相乗的な効果で3Dがうまく生かされているためか?


平日の夜の上映で、観客の数はそれほど多くなく、20人ほどか。スクリーンの部屋に入る時に立体視するための眼鏡を渡され、それをかけて映画を観ることになる。


この眼鏡をかけてスクリーンをみると、画面が立体的に見え、おもしろいことはおもしろいが、子供の頃楽しかったような感動はなかった。映画を観続けていくとその効果に慣れてしまうせいか、気付くと普通の映画を観るような感覚になっていた。


そうなると、3D眼鏡がうっとうしくなってくる。画面が暗くなるし、重いし、また視野が狭くなり、字幕が読みづらい。私は近視用の眼鏡を普段からかけているので、その上に3D眼鏡をかけるとなるとなおさらだ。

 

長野県でも、夏に向けて3D映画館が他にもできるようであるが、果たして今後このような映画が主流となっていくのだろうか?よくよく考えると3Dの技術自体は新しくない。フィルム映画の時代からあり、そのような上映もされていた。しかし3D映画が主流になることはなかった。そのことを考えると・・・・・答えは分かるような感じはするが。


3D映画が主流になるためには、眼鏡なしで3Dを楽しめるようにならなければいけないと思う。また今ある劇場の構造を変わればおもしろいと思う。どんな映画館でもスクリーンと客席が対面する形で位置するが、客席を包み込むような形のドーム型のスクリーンがあれば、ドラマの世界の中に入りこんだような感じになり、臨場感が増すであろう。


またスクリーンの形が変わることで、新しい映画のつくり方が編み出されて、今までの映画文法とは全く違ったものが生み出されていくのではないか。そうなると、映画史の中では、無音から有音、白黒からカラーといった表現方法を変える大きな革命があったが、それに次ぐ2Dから3Dという革命がおきるのではないかと思う。今のままのスクリーンの形状では、目新しさはあるが、慣れてしまえばそれまでのものである。またそれによって制作側の表現方法が革新的に変わるということはない。あくまで今までの延長線上の変化にすぎない。


映画の内容は、「ダンス・ウィズ・ウルブス」のSF版といったところだ。しかしSF映画によくあることだが、話を単純化しすぎている。資源獲得のために、地球人が異星に行き、そこに住んでいる人々の居住地区から追い出すというのが話しの主要なモチーフであるが、なぜ資源獲得が必要であるかという説明が少なすぎだ。何百光年も離れた星に行くということは、そのために人材はもちろん莫大の資金力が必要で、資源がないといいつつ大量な資源を消費することになる。それを実行するということは、地球が存亡の危機に至るほど追いこめれていなければならないだろう。


そのような話しがないので、異星人=善、地球人=悪という単純な構図になってしまう。異星人に理解を示す地球人である主人公も、地球が存亡の危機に瀕しているとなると、異星人との愛や友情に簡単に浸ることはできないはずである。


良いSF作品というのは皆、設定は現実離れしているが、現代をどこかで風刺し,そこでリアリティー感を出す。確かにアバターは現代のアメリカ軍を風刺した作品にはなっているが、あまりに単純化されたアメリカ軍を風刺しているようにしかみれなかった。現代のアメリカ軍だって、アフガン・イラクでこの映画の地球軍ほど単純化された占領政策はしていない。この映画の地球軍の行動は19世紀あたりのイギリスやフランスのような単純さだ。監督のジェームス・キャメロンの意図がどこにあるか分からないが、結果として分かりやすい典型的なハリウッド映画にしか思えなかった。


てくがたのブログ-岡谷スカラ座