例年、ゴールデンウィークは遠出することにしている。しかし車の渋滞のことを考え、また貯金しないとという気持ちもあり、4月29日から“巣ごもり”をしてひたすら読書をしていた。


しかしゴールデンウィークの終盤になると、読書もさすがに飽きてきた。そこで松本では(日本全国どこでも)この時期春祭りが多いので、5月4日に散歩がてらその中の一つに出かけることにした。


たずねてみたのは、松本市街地から2kmほど東にある里山辺という場所にある須々岐水(すすきがわ)神社の祭りだ。


この祭りは「お船祭り」と呼ばれ、氏子の五穀豊穣・子孫繁栄等の願いをこめて、里山辺にある9つの集落(薄町、湯の原、新井、下金井、荒町、西新町、上金井、藤井、兎川寺)がそれぞれ一つずつ保有する「お船」と称する山車を須々岐水(すすきがわ)神社に向かい曳き回す。毎年5月4日に宵祭り、5月5日に本祭りがおこなわれる。


てくがたのブログ 3時頃、須々岐水神社に向かう。ちょうど松本市街地から観光地である美ヶ原に行く途中に位置するため、県外ナンバーの車が目立つ。


そのような中、車の交通規制がおこなわれ、お船が曳行されていた。


ちょうど交差点で兎川寺(とせんじ)の船が方向転換するところで、船の上に乗る舵取り?や船の前に立つ船頭?が怒号を飛ばしながら右・左といった指示をだしていた(上写真)。


これらの人を含めて船を引っ張る中心は、20代の男性中心の「若い衆(わかいしょう)」である。祭りの主役をつとめている。


船の中には、笛や太鼓でお囃子を奏でる人達がおり、その中の何人かは男の子だった。


また船の前には縄がついており、その前の方にはお母さんや子供達がおり、縄をつかみ船を引っ張っている。そして船の周りには多数の年配の「中老」「年寄り役」と呼ばれる男衆がおり、時にやじを飛ばしながら船の曳行を見守っている。写真右にいる竹竿を持っている人は、それを使って電線をどけて、船に引っかからないようにしていたが、その役割を担っているのもこれらの年配の人達だ。こうしてみると、集落全体で船の曳行を支えているのが分か

る。


てくがたのブログ 駐車場として開放されている教育文化センターに車を置いて、そこから歩いて5分程度の場所にある須々岐水神社に向かう。



神社の周りの集落は薄町(すすきまち)にあたるが、、御幣がついている縄、町名が書いた提灯で飾られていた。


このようなものは薄町以外にも船が曳行する場所には飾られ、お祭りの雰囲気を盛り上げている。


また祭りに参加する各集落には10m程度ある大きな一対の幟旗がそれぞれある。それらから、普段は意識されくなっただろうムラの存在を誇らしげに感じられる。


薄町のそれは、教育文化センターの前にある(上写真)。そこには「祈天下泰平」「仰日月清明」という文言が書かれているが、幟旗に書かれている文言は各集落によって違う。



てくがたのブログ 神社に向かっていると、神社の境内から薄町の船が曳行して来た(右写真)。兎川寺の船と同じような様子で、50人ほどの人がそれを取り囲んでいた。














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須々岐水神社に到着。しかしこの時間帯に神事は特になく、ひっそりとしていた。屋台はあるが、営業はしていない(左写真)。


境内にある案内版にこの神社の由来が書いてある。それによるとこの地に流れる薄川の神、須々岐神が祀られており、その創始は薄川流域に古代人が定着して農業を始めた頃と推定される。


山辺地域において開発の祖とされるのは高句麗から渡来した帰化人であり、『日本後紀』によれば799年(延暦18年)に大和朝廷から、この一族は須々岐という姓をもらいうけている。


須々岐水神社、また山辺の地域の歴史を考える上で、須々岐氏の存在は大きい。山車を船と呼び、船の形に似せられてつくられているのは、大陸から船を使って渡ってきた須々岐氏のルーツからきているようでおもしろい。


てくがたのブログ 神社の周りを歩いてみると、県道を中心に住宅地域となっているが、そこから少し外れると田園風景が広がっており、かっては典型的な農村地域であった場所であることが分かる(右写真)。


お船祭りがおこなわれるのは、田植えがはじまる季節である。全部ではないがいくつかの田んぼには水がはってあった。


船を通して各集落に薄川からの恩恵が運ばれ、それはまた田植えの始まりを告げるとされている。



てくがたのブログ 他の集落の船も確認したいと思い、どこからか聞こえるお囃子の笛・太鼓・鉦の音と御幣がついた縄を頼りに歩いていくと、藤井の集落で船を見ることができた(左写真)。


船の上には30代、40代くらいの2人の男性が笛を吹き、4人の男の子が鉦や太鼓を鳴らしていた。


藤井の船は、ここでお囃子とともにお披露目するだけで、この日に曳行することはない。このような集落は他にもあり、全ての船がこの日に曳行するわけではないようだ。


船の後ろにある建物は「船倉」と呼ばれるもので、船の倉庫として利用されており、この日の午前中に船をここから出し、組み立てながら、念入りに清掃をおこなう。このことは他の船も同様であり、それが各集落における宵祭りでの重要な行事となっている。


ところで、なぜ宵祭りの日に船を曳行する集落と、それをしない集落があるのだろうか?「松本市史 民俗編」には各集落ごとに事情が違い、本来曳航する集落は少なかったことが書かれている。それによると、下金井は人口が増え集落が大きくなり、本祭りでの曳行で通らない場所がしだいに多くなったため、そこに住む人の事情を考慮して、宵祭りに曳行するようになったようだ。また兎川寺集落では、ムラの衆の張り合いのためにはじめたらしい。そして祝儀目当てにはじめた集落もあるということも、市史には記されている。


宵祭りの日はどの船も各々の集落に鎮座し、その中で何人か若い衆が泊まって番をすることとなる。そして本祭の朝を迎えると、この若い衆が太鼓を叩き、人を集めて、須々岐水神社までの曳行がはじまる。












































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毎年のことだが5月1日は午前中を中心に松本駅前で、いくつもの団体がデモ行進をおこなう。


この日、事務所に泊まっており、朝の9時頃に「給料上げろ」「雇用を守れ」といった拡声器を使ったシュプレッヒコールの音で目が覚めた。


事務所に泊まったのは仕事でということではなく、前日駅前の居酒屋で夜遅くまでお酒を飲み、酔いつぶれたためだ。連休があると次の日を考えなくてよいからいい。


安眠を妨害されたからということではないが、このようなメーデーのデモ行進にどうしても冷ややかな目で見てしまう。


労働組合があるだけ幸せで、そのような組合があるたいていの会社は給料等の労働条件が良いからだ。


私が所属するような会社で8時間労働や、給料アップを請求したらつぶれてしまう。小さな会社であるから会社の営業状況や”戦うべき”経営者が決して「搾取」していないことが分かりすぎるくらい幸か不幸か分かる。このようなことが分からなければ組合あるなしに関わらずストレートに労働条件アップを要求するのだが。



てくがたのブログ それから帰宅して、夕方5時頃また松本駅前に買い物のため行くと、ロックが鳴り響き、そこである集団がシュプレッヒコールを飛ばしていた。


主張している内容は、「雇用確保」「賃上げ」そして「反戦平和」といったもので、メーデーにともなう活動であることが分かる。配っていたチラシには「☆MAY DAY2010 世界は我々のものだ!」と見出しに大きく書かれていた。


この人たちに話をきくと、ネット等で仲間を集い有志での活動であるとのこと。失業者、派遣労働者、フリーターといった人たちが中心であるらしい。


「連合」等の既存の組合とは違う、独立系の労働組合といったところか。


人数は20名ぐらい、年齢は20代から60代くらいまでの幅広い年齢層で、男性中心であるが、女性の姿も何人か見られる。身なりはそれぞれ違い、それぞれの社会的な背景が異なることが分かる。この日の朝見た組合の人とは明らかに違った雰囲気だ(上写真2枚)。


てくがたのブログ ロックを大音量に流しながら、アートっぽい絵を掲げて集団で歩いている姿は、路上パフォーマンスをしているみたいで、自由な雰囲気を感じさせてくれる(左)。


彼らのデモ行進がもの珍しいせいか、通行人の注目をあびていたし、また店主や従業員がお店から出て見物をしていた。またおもしろがってこの集団について行くヤジ馬もいた。



10名くらいの警察官のものものしく監視しつつ、デモ行進を誘導して、松本駅から駅前通りをまっすぐ、あがたの森の方へ向かっていった。




よくよく考えれば、デモ行進は全て路上パフォーマンスであるはずだ。外部の人の気をひかなければその存在価値はなくなる。そうしなければ、主張する内容に多くの人は耳を傾けてはくれないからだ。


既存の組合のデモ行進ももう少し工夫をすればいいのに。正直どのデモも同じに見えてしまう。参加者がその活動をもっと楽しめばいろいろの発想が生まれ、個性があるデモ行進になるのだが。どう見てもやらせれている感をそこに感じてしまうのは私だけだろうか。


























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前回ブログの続き


夜になるにつれて松本城は桜を楽しむ人で、多くなってきた。


てくがたのブログ風が強いなか、私もそうだが、たくさんの人がカメラ・携帯を向け写真を撮影している。



少し肌寒いので、まだコートを着ている人が多い。気温は5℃といったところ。










てくがたのブログ お城の周りには、花見で宴会をしているグループが何組がいたが、平日のせいかそんなに混み合ってなく、東京の上野のような足の踏み場がないような状況ではない。




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お城北側の堀に桜がきれいに写っている。


この桜のライトアップは夜10時までしており、10時なると何の予告もなしに一斉にライトアップが消え、桜は街路灯の青白い蛍光灯に照らされるだけになった。


そうなると多くの人はお城からいなくなったが、お城の周りにいる花見客の何組かは、歌をうたい酒を酌み交わしていた。いつまでここで楽しんでいるのだろうか・・・明日はまた仕事があるのだろうに。


ちなみに松本城の内堀の周囲は公園となっており、24時間開放されているので、朝まで花見をすることも可能である。


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