サッカーワールドカップも遂に終った。決勝戦はスペインとオランダで、延長戦の末、スペインが勝利。スペインのパスを多用して相手を翻弄するプレイは、見ていて動きが常にあり楽しい。


しかし楽しいサッカーすれば、勝利するというわけではないのがこのスポーツの残酷のところだ。今回の試合もパスサッカーに翻弄されつつも、個人の力で局面で打開して放った惜しいシュートが、オランダに何本もあった。それが1つでも決まっていれば・・・・である。


今回日本代表は活躍して決勝トーナメントに進出した。本来スペインのようなパスサッカーを目指していたが、本番直前にしっかりと守りを固める手堅いプレイをすることで出した結果である。


そのことでサッカーファンや一部の評論家は、将来を見据えたサッカーではないとか、発展性がないとか批判しているが、多くの人にとっては、プレイ内容より結果である。そのことは帰国した岡田監督はじめ代表選手のマスコミの取り上げ方で分かる。

てくがたのブログ-ルイヴィトン広告 ところで、今回のワールドカップで、試合外で話題をさらっていたのが、アルゼンチンの監督を務めていたマラドーナである。


試合中の派手なリアクション、または両腕にした腕時計したファッションとか・・・さすがスパースター。


またサッカー界の王様と呼ばれるペレとも舌戦を繰り広げていた。


ペレがマラドーナを「金のために監督になった」「経験不足の監督」とかいって批判すると、マラドーナは「博物館に入るべき」と応酬し、試合後の公式な記者会見で名前を出し批判をした。


もともと確執がある二人で、過去の発言でも、マラドーナが選手時代に薬物違反を犯したことを、ペレが取り上げ「サッカー界から追放すべき」との趣旨のことを述べたこともあるし、マラドーナはペレのことを「政治家」「FIFA(国際サッカー連盟)の手先」と述べ、ペレの引退後のビジネス活動について批判している。


なぜ2人の関係がこうなったが分からないが、2人とも記者に問われてもいないのに、自ら率先して言わないでもいいことを言っているという状況だ。何らかの表になっていない個人的な確執があるのは確かだが、ブラジルとアルゼンチンという南米のライバル国という背景が2人の関係悪化を煽っているのかもしれない。


そんな2人の関係を知っているので、この雑誌広告には驚いた(上写真 左からペレ、ジタン、マラドーナ)。フランスの英雄ジダンを交えて仲良くペレとマラドーナがサッカーゲームをしているではないか。


ワールドカップを前にしてルイ・ヴィトンが出した広告であるが、この広告に連動して同社ホームページでサッカーゲームの様子とか、3人へのインタヴューが動画配信している。http://www.louisvuittonjourneys.com/


ジタンはともかく、マラドーナとペレをどのようにして同時に広告出演させることができたのだろうか。金銭的なバックアップがなければ無理だとは思うが、広告代理店の企画力と交渉力に脱帽です。


動画のインタビューを見ると、にこやかにマラドーナも、ペレも相手のプレイのことを褒めている。「金のために」とか「政治家」とかお互いを批判しているが、本当は認めあっていることが読み取れる。過去経緯を考えると、本当の心の中は分からないが。互いのしたたかさだけは分かる。


しかしこの広告自体疑問が残らないわけではない。合成である可能性もあるなと思えるからだ。その証拠として動画で3人を一緒に捕らえたシーンが少なく、アップ画像が多いし、またインタビューでは3人が絡んだ対談的なシーンはどこにもない。目立ちたがりやのマラドーナだったら、他の人への質問にも口出し、一方的にしゃべると思う。型通りのインタビューより、またそういうシーンを是非とも見たかった。


てくがたのブログ-ジャブラニとブブゼラ 今回のワールドカップで、試合外で話題になったことつながりで、公式ボールのジャブラニと、南アフリカ民俗楽器ブブゼラ(左写真)。


ジャブラニの扱いにくさと、ブブゼラの試合中の音に対して、選手から不満が多かった。そんな思いがこもった画像をネット上で発見したので掲載した。


ジャブラニに対しては、本田や遠藤が見事にフリーキックを決めたから、個人的には不満はないけどね。


今日、ワールドカップ決勝戦が終ったのが、朝6時頃、ビール飲みながら観戦したこともあり、非常に眠いが、仕事の開始時間は待ってくれない。こんな人は何人もいるんだろうな。南アフリカとの時差が憎らしい。




てくがたのブログ-はたる祭りチラシ

6月19日~27日の間、長野県辰野町ほたる童謡公園を中心に「第62回辰野ほたる祭り」が開催された。


6月から7月にかけて、蛍(ゲンジホタル)は成虫になり、夜になると交配のために、青緑に発光し群飛する。ほたる童謡公園においては、この祭りの期間中が、蛍発生のピークにあたり、最大10,000をこえる蛍を目にすることができる。その数は、日本において最大規模である。


今、この時期日本各地で、ほたる祭りがおこなわれている。同じ長野県だけでも主だったもので15、この種の祭りが企画されているが、辰野のそれは、その先駆けといってよい。戦後すぐの昭和23年にはじまり、今年で62回目になる。


この地で、ほたる祭りがはじまったのは、戦後マチを再興させようという意図からであるが、そのベースには、蛍を保護しようという住民の強い思いがあった。それが今各地でおこなわれている“マチおこし”のホタル祭りとは違う点である。


辰野町を南北に縦走する天竜川は、その源は諏訪湖にあり、岡谷から山間部の谷間を抜おけて、辰野へ流れている。かってはこの谷間に多くの蛍が発生したが、明治の終わりになると、諏訪湖畔にできた製糸工場からの排水から川が汚染され、この地域から蛍がしだいに少なくなり、辰野の松尾峡周辺で多く の蛍が発生するようになった。


明治39年に岡谷・塩尻間を結ぶ鉄道がこの地に開通し、辰野駅ができると、蛍を見物する人が各地から押し寄せ、蛍を取り、家に持ち帰るようになった。商売のために蛍を乱獲するという者もいたため、大正の中頃までに、蛍はその数を急激に減らしていった。


このような状況を目にした辰野の小学校教師である小口珍彦が、蛍の捕獲を禁止する運動を訴え、しだいに地域ぐるみの保護運動となり、大正14年にはこの地の蛍が県の天然記念物に指定されるまでに至った。この保護運動を通して、蛍が辰野の住民の誇りとなっていった。


戦後も蛍保護の運動は続けられ、昭和35年には文化財保護法により、松尾峡一帯の蛍が天然記念物として指定され、昭和36年には辰野高校の学生による、蛍の幼虫の放流がはじまる。


しかし人口増加による生活廃水や工場からの汚水により、天竜川の水質が悪化していった結果、蛍の発生が年々減少していき、絶滅する危険にされされた。


そこで、山からの清水を伝兵衛堰と大堰の間にある休耕田に入れ、そこの水路を整備して、蛍生育の環境づくりをしていった。また蛍の養殖池をつくり、蛍の幼虫とともに蛍の食料であるカワニナを育てることで、蛍減少に歯止めがかかり、徐々に蛍が松尾峡で増加するようになった。


このような活動を通し蛍の保護活動を進めていった場所こそが、ほたる祭りがおこなわれる現在のほたる童謡公園だ。


※この保護活動については「辰野町史」自然編・近現代編 に詳しい。

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てくがたのブログ-諏訪湖天竜川口

私が辰野に蛍を見にいったのは、6月24日(木)。仕事が岡谷であり、辰野まで10km程度と近いので、行ってみようと思い立つ。


左の写真は諏訪湖の天竜川口、右側の階段状になっている水路は魚が自由に湖に出入りするためのものだ。


ここから天竜川は伊那谷を南下し、愛知県・静岡県を流れ太平洋に達する。全長213km、流域面積5,050k㎡。目的地辰野はこの流域沿いにある。


諏訪湖から天竜川に流れる水は、見た目にも茶色で透明度は決して高くなく、きれいといえるものではない。しかし昭和40年代の頃と比較すれば、大分よくなったようだ。


昭和40年代には、アオコが大量発生して、湖面全体が青緑色に染める時期ができるようになり、また悪臭もひどかったようだ。その頃、諏訪湖は日本一きたない湖と呼ばれた。


この状況の中、昭和40年から水質改善運動が行政・市民が協力しておこなっていき、工業排水規制、下水道整備がすすみ、昭和55年頃から徐々に水質が改善され、現在に至っている。


しかし戦前には湖で水泳をしたとか、その水を飲料水に使っていたといった話を聞くが、そのような状況にはほど遠い。


てくがたのブログ-観蛍橋 天竜川に沿ってはしる県道14号を南下すると辰野に到着するが、その途中に「観蛍橋(かんけいばし)」という橋がある(左・下写真)。


諏訪湖から2kmほどの「川岸」という集落にこの橋はあり、天竜川に架かっている。もともとは「鮎沢橋」と呼んでいたようだが、明治12年に架け替えの時に、蛍がこの周辺には多かったことから観蛍橋という呼び名にしたという。


先に述べたように、明治の初め頃まで、この周辺地域が蛍の群生地であったなごりである。


今架かっている橋は,昭和60年に架け直したものだ。橋のところどころに蛍の絵がある。また橋の欄干に、外へ飛び出た部分があり、川を眺めるのにちょうどよい場所だ。近所に住んでいる50代なかばくらいの人と話をしたが、この場所から蛍を見たことがないとのことだ。川の岸辺は、一部草木が生えている場所はあるというものの、ほぼコンクリートで覆われてしまっている。自然面がなければ、川の水質がよくても、蛍は成育するものではない。


てくがたのブログ-観蛍橋2

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てくがたのブログ-ほたる童謡公園マップ ほたる童謡公園の駐車場に夕方6時に到着(マップ右写真)。


駐車料金は1000円。6月、7月の蛍が群飛するような季節は駐車料金が必要である。


ここから公園内を横切って、天竜川を渡ったところが、蛍の群生地だ。駐車場から歩いて5分ほどかかる。

といっても、帰る時に確認したが天竜川にも、蛍がいくつか飛んでいたし、また天竜川に渡る手前の水路や、この公園の周りにある水田にも、蛍が群飛する姿をみることができた。


てくがたのブログ-ほたる童謡公園入り口 天竜川を渡るためには「ふれあい橋」という橋を通らなければならないが、その手前に関所のように、自動販売機があり、そこで300円を支払い入場券を購入しなければ、その先にはすすめない。掲示板に書いてあるように、この300円は蛍保護のために使われるらしい(右写真)。


てくがたのブログ-ほたる童謡公園1 公園内に水路がいくつもめぐらされているが、その近くにある写真スポットと思われる場所は、すでに一眼レフの砲列が(左写真)。いい写真を撮るならまずロケーション。早めにきたつもりだが、熱心なカメラマンには頭が下がる。



蛍がよく乱舞するのは、曇りがちで湿気が多いじめじめしており、月が隠れるような暗い夜とされている。しかしこの日は一日中晴れている好天で、さらに月齢も満月に近くて、明るい夜であった(下写真)。しかし連日10000匹近くの確認できる蛍発生のピーク時にあたるので、期待して日が沈むのを待つ。


そうこうしている内に、明るいうちはカメラマン以外の人はあまり目にしなかったが、いつのまにか子供もつれた夫婦や、若いカップルなどの姿が目立つようになるとともに辺りは暗くなってきた。


てくがたのブログ-ほたる童謡公園2


てくがたのブログ-ほたる1 7時半頃日が沈んでから、30分ほどたち、空から赤みが消え、景色が青がかるようになると、蛍が緑色の光を発して現れてきた。


日が暮れて間もなくの頃、木にまとわりつくように飛んでいる蛍(左写真)。









てくがたのブログ-ほたる2 水路のまわりの蛍の姿が徐々に目立ちはじめてきた。蛍が一番確認できるのはこのような所だ。右写真上部の光は、辰野の市街地からのものである。写真下部には木々に囲まれて水路が流れており、そこに蛍が多数見られる。

カメラのシャッタースピードは最長値である60秒に設定。リモートスイッチを使ってバルブ撮影すれば、街の光の影響を受けながらも、もっと鮮やかに蛍の光をたくさん写すことができたと思うが、急に辰野に来たこともあり、それを用意していなかった。残念。


最初に蛍を見かけてから、15分程度で次から次へと蛍はその数を増やしていき、乱舞する。また蛍が発する光がしだいにシンクロし2秒感覚くらいで明滅するようになる。蛍全体が一つの意志をもつような不思議な感覚がした。


水路にピントを合わせ、街の光の影響を受けないように撮影してみた(下写真)。


てくがたのブログ-ほたる3

9時を過ぎる頃になると、しだいに蛍の動きが緩慢になり、光量も弱くなった。蛍が乱舞するのをやめ草に止まった状態でほとんど動かなくなったためだ。


日が暮れてしばらくたつと、蛍が強い光を発するのはセックスアピールのためだと考えられ、雄は飛びながら雌をさがし、雌は草の上で雄を待つ。蛍の光が弱くなるのは、雄と雌の交配がはじまったからだ。交配には3~5時間かけるのが普通で、長くて10時間近くもかける蛍も存在するという。長くて濃厚な逢瀬だ!!                          


てくがたのブログ-ほたる4

展望台の下には水路が流れており、10時を回る頃になると、数多くの蛍が発する光を確認できるが、その動きは静かだ(左写)。






まだ夜は長いが、そのままの状態で蛍は朝を迎えることになる。


翌日、この日の蛍の数が発表されるが、7,641匹発生したと発表された。

http://www.town.tatsuno.nagano.jp/tatsunosypher/www/info/detail.jsp?id=2019

この公式発表によると、本年度の蛍発生のピークは、前日にあたる23日の11,041匹であったようだ。ところでこの数をどのようにして数えているのか、知っている人はいるだろうか?


公園に実際にいけば分かるが、夜9時頃に蛍があまり動かなくなるのを見計らい、何人かのご老人が手分けをして、カウンターをすばやく一回一回押しながら蛍の数を確認していた。そう、しっかり目視した結果であったのだ。長年の経験みたいなものは必要だとは思うが、勘ではない。100匹程度ならよいが、常に点滅する蛍を10,000匹近い数を数えるというのはほとんど職人技だ。

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先に述べたように、蛍の数の減少を食い止めるために、辰野の蛍保護運動ははじまる。蛍を保護をするためには水質を良くしなければならず、各種排水に気を使い人間の生活環境自体を改善しようという運動にもなっていく。今でいうエコ活動といってよい。


今各地でおこなわれている蛍の保護活動は、辰野もそうだが、マチおこしの観光資源となっている。エコ活動という側面が多かれ少なかれあり、誰も反論しえない素晴らしい活動だ。私個人も写真を撮ったりして楽しませてもらった。


しかし大きな問題点がある。先に述べたように蛍の保護という目的に、辰野では1960年代以降、蛍の放流、養殖をおこなってきた。しかしこれらの蛍は在来のものではなく、他地域から移入したものである(主に西日本)。それを現在まで繰り返しおこなっていることで、在来の蛍がほとんどいなくなったという状況である。


違う土地のものでも、同じ蛍だからいいではないかと思われるかもしれないが、住んでいる場所によって遺伝的な変異があるとされている。それが生態的な特徴にも表れ、よく知られているのが、光の点滅速度が違うということだ。西日本のものは早く、東日本のものは遅い。


また保護する蛍もゲンジホタルのみであり、地元のもともといたヘイケボタル・クロマドボタルなどの違う種の蛍については無視され、それらの生活環境が著しく損なわれてきた。


人間が、保護活動という美名のもとで、明治・大正時代とは違った人為的な自然環境をつくっていったこととなる。ゲンジボタルだけを増やしていったのは、他の蛍と比べ明かりが強くて華やかで、観光資源になりやすいからであろう。人間中心の考えで、とてもエコな活動であるとは言えない。もちろんこのような批判は、学問的な成果を踏まえての、現在での視点にたってはじめていえることではあるが。


過去に辰野の人達の多くは純粋な気持ちから、蛍の保護活動をはじめたのだと思う。そのような人を一概に批判はできない。しかしこのような問題をいわれはじめて大分たつが、今どのように改善しようとしているのか、残念ながら私は知らない。


今、最初たった一人で蛍の保護活動をした小口珍彦先生が生きていたら、この現状をどう思うだろうか?


蛍の保護もしかりで、エコ活動と思ってやっていたことが、実は長い目で見ると違ったなんてことは、私の身の回りのことでもあるのかも知れない。そういえば、CO2削減なんていうのは、温暖化防止にならないなんて言っている学者もいるよね。

$てくがたのブログ-お菓子の日6月16日は和菓子の日であることを、セブンイレブンで知る。「6月16日は和菓子の日」という小さな幟がレジ横に立ててあり、そこに和菓子が並べてあった。

特に菓子類を買う予定はなかったが、縁起もののような感じがして、ごま大福を購入。

1979年から全国和菓子協会が制定した日らしい。平安時代の848年に疫病が蔓延したため、仁明天皇が改元して「嘉祥」とし、その年の6月16日に、16個の菓子や餅を神前に供えて、疾病よけと健康招福を祈ったとされる。この故事を起源として、厄除を祈願する行事として和菓子を食べる風習が、室町時代には広まったとされる。http://www.wagashi.or.jp/kinen.htm

このような風習があるとは、生まれてから30年以上たつのに初めて知る。普段からお茶をたしなみ、馴染みの和菓子屋さんに顔を出すような実家ではなかったので、しょうがない。ひょっとしたら地域性がある風習かもしれないが。今私が住んでいる松本はどうであろうか。そういえば松本には和菓子屋さんが、人口の割には多い気がする。今度調べてみたい。