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松本に久しぶりにまとまった雪が降った。

2月11日の休みの朝、いつもより少し遅めの10時頃起き、裏の空き地を見ると、すっかり銀世界。
この冬はじめての雪の積もり方だ。


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ベランダの手すりにこんもりした雪が。触ってみるともちろん冷たい。まだ寝ぼけた状態であったが、それに触ると冷気が指先から体の芯に入り込み、眠気が一瞬にして覚めた。




私が住んでいる松本市街地は、地形の関係と思われるが、なぜか?といっていいほど雪が積もらない。少し南の塩尻や北の豊科に行くと、雪が積もっているのに、松本だけは白くもなっていないということがたびたびある。


長野市といった北信地方は降雪日・降雪量は松本より桁違いに多く、仕事で時折長野市に車で行く時は、渋滞などあり苦労はするが、全く雪が降らないのも物足りない。それというのも、私が生まれ育った地域は、もともと雪が降らない地域であり、積雪自体年に一回あるかないかといった感じで、時折少しでも雪が降ると、子どもの時から反射的にワクワクして、外を散歩して、雪に触れたいといった衝動にかられる。


松本は適度に雪が降るからいい。降雪5cm以上というのは年に数回しかない。これぐらいだと、日常雪に苦労するという体験はせず、例え雪が降ったとしても、それを楽しむ余裕がもてる(松本に住んでいると、車のスタッドレスタイヤがもったいなく感じる時もあるが・・・。時折仕事で雪が降っている地域もいくのでしょうがない)。


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ということで、久々にカメラを持ち、外の風景を撮影することにした。

まずは庭の風景。
てくがたのブログ 葉にのった雪が綿のようだ。

















てくがたのブログ 親父からもらった盆栽。雪にも負けず。

















ポストの庇の上にも積もっています。

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生垣も雪化粧。

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そして夜、駅前からお城までのルートを散歩する。


てくがたのブログ 伊勢町通り。夜8時頃。


雪は多くはないが、まだパラパラと降っている状態。降っている雪は水っぽくはなく、パウダー状で、ぬかるんだ雪に足が取られたり、靴がぬれるといったこともなく、散歩がしやすい。



てくがたのブログ 街灯の周りで雪が舞っている。


















女鳥羽川沿い。車のドライバーにとって雪の日の自転車は怖いですよね。

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てくがたのブログ 大名町通り。松本城まで一直線。


さすがに雪が降っていることもあり、駅前から少し離れると、車や歩行者がまばら。













てくがたのブログ 青翰堂書店。


これが松本城ということはなく、おじいちゃんが経営する古書店。


強気の値段とおじいちゃんのうんちくが売りのお店。以前訪ねた時、松本の歴史をたっぷり1時間ほど聞かせていただく。その際、古地図を購入したのだが、評判とは違い値引きしていただいたので感謝です。


昼訪ねても、おじいちゃん一人で経営しているので、おじいちゃんの外出時は入り口が閉まっている(わりとあります)。そんな時は多分定休日はないと思うので時間をずらしていけば空いているので安心。しかしいつ帰ってくるか掲示がないので空振り可能性あり。



てくがたのブログ 冬の間中、大名町通りを彩る灯篭。松本城主になった大名の家紋が描かれている。
















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道祖神。雪の日に仲睦ましい姿。少し妬けるゼ。















放置自転車のサドルに雪がこんもりと。

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”国宝”松本城に到着。いつ見ても、ザ・お城という感じで、何故かこちらが面映くなる(そんなのは私だけ・・・)。


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お堀のライトに吸い寄せられるように鯉が集まっている。

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私以外にも、雪の日にお城の写真を撮りにくる人はおり、三脚やカメラバックをかついでいる本格的な気合が入ったカメラマンも多数いたが、そういう人達を尊敬しつつ、寒さに負け5分くらいで撤収。










そのまま帰宅しようと思ったが、その道すがら、女鳥羽川からナワテ通りに立ち並ぶ店舗の明かりを見ていたら、寒さしのぎにちょっとお酒をひっかけて行こうと思い、写真を撮りつつ某店舗に向かう。


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ナワテ通り。人通りなし。夜のお店は大変だ。

ナワテ通りは、昼間観光スポットになっているけど、夜も居酒屋・バー・焼肉屋・フィリンピンクラブ等が営業している。


安心して飲食できる店ばかりなので、観光客向けなのでは。是非松本のお越しの際は、夜もこちらへ(って思わず観光大使気分)。



てくがたのブログ ナワテ通りにある四柱神社の鳥居。







そしてナワテ通りを抜けて、目的地の飲み屋さんにたどり着く。寒さから開放されたこともあり、そこの主人に今日撮った写真をはしゃぎつつ見せる。しかしあまり反応せず。



少し悲しい気分になったが、そんな時もあるさとテンションをあげつつ、2杯ほどお酒を飲み、そのお店を後にした。


まあ写真なんて所詮自己満足の世界だからと帰り道で自虐的に思いつつも、男のロマンはどんな時も自己満足からはじまるという開き直りといっていい境地に達し、雪雲で見えない冬の星に、明日も写真を撮ってやるという確固たる決意を誓ったのでありました(チャンチャン)。


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てくがたのブログ-年末の縄手通り

クリスマスも終わり、もう一年が終わろうとしている。年をとるにつれ、時間の経過が早く感じられてくる。時間に対する不感症といってもいい現象だ。そんな自分を反省しつつも、日常に埋没し、時間感覚を麻痺することに対して、どこかで許している。まあそれが大人の生きる智恵でもあるが・・・・。


毎年、そんな自問自答をする季節になると、松本城の南に位置する縄手通りでは、正月飾りの出店が並ぶ(上写)。10店舗ほどで、注連縄、松飾や門松といったものが売っている。


てくがたのブログ その中で、「御神酒の口(おみきのくち)」というものを売っている出店があった(左写真)。








てくがたのブログ 御神酒の口というのは、歳神様を迎えるために、神棚に供える酒徳利を飾る竹細工の縁起物である。


神棚に飾る酒徳利は一対であるので、この御神酒の口も一対で販売されている(左写真)。


松本以外でも静岡をはじめ他県でもこのような風習が残り、販売されているようだ。詳しくはこれを参照http://www3.tokai.or.jp/mikinokuchi/


形態もいろいろで、木製の経木を使ったものや、紙製品のものもあり楽しい。


このホームページで紹介されているものを羅列すると、旧清水市中心に、私が住んでる松本はもちろん東は青森市、岩手県、福島県会津郡下郷町、新潟県下越地域、新発田市、上越市糸魚川市。関東では東京福生市など多摩地域をはじめ埼玉県所沢市。西では富山県氷見市、奈良県五條市、大阪府、三重県、徳島県、鳥取県岩美郡岩美町である(地域表記はこのホームページに基づく)。


使用地域、制作地域が混じっている等の問題はあるものも、本州中心に御神酒の口があることが分かる。


しっかりと自分で取材をし、このホームページをまとめている人に対して尊敬する。できるようでなかなかできることではないし、非常に地道な作業であるからだ。またこのような地道な作業の積み重ねによって、この日本列島にある文化とは何かを、はじめて多くの人が考えることができるからだ。


このホームページを事例を信じるとすると、九州地方や、奄美をはじめ西南諸島に御神酒の口はないことになる。


このことは非常に興味深い。というのは、御神酒の口の分布範囲は米による日本酒文化圏に重なり、九州や西南諸島は米や麦・芋を使った焼酎文化圏であるからだ。それが意味するところは・・・・といったことを論じる力は僕にはないが、民俗学を志している人なら興味が沸くはずだ。ひょっとしたらもうこのような着眼点の論文があるかもしれない(あったら教えて下さい。また九州、西南諸島にも御神酒の口があるのなら是非教えて下さい)。


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話を松本の出店に戻す。


この出店には、御神酒の口は形態が異なる10種類のもの販売されていた(上写真)。値段は4千円のものから、宝船という名称の大きなものは3万円以上する。


現在これらのものを制作しているのは、千野恵利子さん(参考http://www.nhk.or.jp/nagano/teshigoto/091224.html )。


「松本市史 民俗編」 によれば、松本では江戸時代末には武士の副業としてつくられるようになり、千野さんの祖先の矢澤嶋吉がつくるようになったのもこの時期のようだ。


もともと、矢澤嶋吉は寺子屋をしていたが、生活がそれではなりたたなくなってから副業で御神酒の口を製作をはじめたようだ。もともと矢沢嶋吉が、御神酒の口の風習が盛んであった静岡県出身というのも、これを作り始めたことに、何らかの理由で関わるのかもしれない


現在製作している千野恵利子さんは、矢澤嶋吉の孫の孫にあたる。


松本の御神酒の口は、国指定の重要有形文化財、選択無形文化財であり、文化財にされているものの例にもれず製作者はほとんどいない状況で、いまやこの千野恵利子さんしかいない。


最盛期はいつかといえば、戦前の花柳界はなやし時期であり、料亭、料理屋、置屋が大きなお得意さんであり、その頃には矢澤家の他に何軒か製作していたようだ。


大正の頃には松本以外でも長野・上田・佐久・諏訪といったところにも、松本で製作された御神酒の口を行商して売り歩く商人がいたとのこと。


これらの話しは、出店で御神酒の口を売っていたご婦人から聞いた話だ。一年中これは売られるものではないが、このご婦人の姿を以前から見かけたことがある。というのも出店がある縄手通りにある鯛焼き店で従業員として普段働いているからだ。

  
てくがたのブログ この鯛焼き屋の名前は「矢澤鯛焼店」。


御神酒の口の製作者である千野恵利子さんも、ここで働いているのをお見かけする。


そう、屋号からも分かるように先祖代々御神酒の口を製作している矢澤家が現在鯛焼き屋を本業としてしているのである。


御神酒の口という古い伝統を受け継ぎながら、どのような過程で鯛焼き屋をはじめたのか、こちらの方も気になる。


今度、お店にいった時に千野さんに聞いてみたい。                  


朝には出社し、夜は遅くに仕事から帰るという日々で、土日の休日は遊び等で外に出ており、あまり家にいることがない。


先週の日曜日夜11時頃、帰宅するとチラシがポストの中に入っていた(下写真)。


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国勢調査の調査票の回収を促すものであった。そこには「やってられねぇーよ!!」という文字が大きく書かれていた。


回収が進まないことへの苛立ちがストレートに伝わってくる。


しかし、いきなりチラシでこんなことを私に訴えられてもなぁ。独身だし、普段は仕事だし、土日にはプライベートな用事があるし・・・。


「やってられねぇーよ!!」という文面からは、個人的な事情を考えていない回収員のエゴしか伝わってこない。それこそこの言葉を書かなくても、このチラシ後半に書かれている回収日時の希望の連絡と郵送方法の案内だけを丁重に知らせる文面でよいのに。


このチラシを見て、回収員って何様のつもりって不愉快になった。意地でも国勢調査に協力するもんかという思いすらする。


ただ回収員が、なぜこのようなチラシを作成したのかということに思いをめぐらすと、しだいに同情する気持ちになる。


あれこれ理由をつけて面と向かって提出を拒む人や、書くのが面倒だから居留守を使って提出を拒否する人もいるという話も聞く。


全世帯から回収することが義務とされる回収員であるので、地域住民の協力体制がないとストレスがたまる仕事であることは確かだ。


5年に一度国勢調査はおこなわれるが、100%の回収を目標にしているものの、回収率は次第に落ちているという。回収員が各世帯を回るという方法が時代に合わなくなっていることを、そのことは示している。


東京では書面ではなくインターネットでも回答ができるようになり、より時代にあった国勢調査のあり方が模索されている。私が住んでいる田舎でも、次の国勢調査の時期には是非ともインターネットで回答できるようにしてもらいたい。


翌日、私は回収員に連絡をとり、郵送する旨を伝えた。しかしそれで安心して、もう提出した気持ちになってしまった。早く出せねばと思い、ようやく先ほどポストに投函した。提出〆切りが7日であり、過ぎてしまったが大丈夫であろうか。


なお、回収が確認されない場合は、再度回収員が各世帯に訪問するとのことだ。大変な仕事だ。私の提出が遅れた結果、再度また自宅に来ることになったら気の毒である。訪問してきたらお茶でも出して、仕事の労をねぎらわねば。しかし多分いつもどおり家にいないと思うので、そんなこともできないか。


この場を借りて、「提出が遅れまして大変申し訳ございません」という言葉をお送りします。