てくてく歩いていくと・・・・。


松本駅東口からパルコ目標にして歩き、本町通りをこえたところに高砂通りがある。駅から徒歩5分ほど。この通りには、ひな人形を売る店が固まっている。


2月を迎える頃になると、「ひな人形」と書かれた幟で、通りが飾られ、現在5軒あるひな人形店の入り口には、ショーウィンドーがあり、そこには煌びやかな内裏雛が仲良く並んでいる。


てくてく歩いていくと・・・・。 村山人形店










てくてく歩いていくと・・・・。 人形の緑屋










てくてく歩いていくと・・・・。 林人形工房










てくてく歩いていくと・・・・。 松栢堂


人形を取り扱ってはいないが、ひな人形には付きものの、桃の造花を売っている。戦前には人形も売っていた。






高砂通りでいつからひな人形を売っていたかは明確には分からない。ただ江戸時代の文化・文政年間(19世紀前半)には“角佐原”や“鍋林(現在は薬品商社、この通りに事務所あり)”、天保4・5年の頃には“塩田屋”といった商店がひな人形を売っていたという伝承がある。


同じく江戸時代の天保14年(1843)に書かれた『善光寺道名所図会』には、みすず籠とともに“ひいな”が「諸国へ運送する事おびただし」と記され、その頃ひな人形が松本の特産品であったことを知ることができる。


天保年間(1830~1843)に、松本藩主の戸田氏が殖産工業政策のひとつとして、武士の家にひな人形づくりを奨励したのが、特産品としてのはじまりだといわれている。


その頃のひな人形は、現在のものとは違う。「押絵雛」と呼ばれ、厚紙と綿を布で包んで、体の各部位をつくり、それらを組み合わせて人形にしていく。


てくてく歩いていくと・・・・。 押絵雛


松本市内の「ベラミ人形店」のコレクション。







明治に入ると、衣装作り、顔描き、下絵描き、組み立てといったように生産の分業化がすすみ、生産能力を高めていった。またそのために粗製濫造という弊害も見られるようになる。


高砂通りの人形商は、この生産体制を支え、押絵雛を旧松本藩領をこえる地域にまで売り、その販路を広げていった。


しかし明治35年(1902)に鉄道が松本迄開通し、埼玉から現在多く見られる立体的な坐り雛が手に入りやすくなったことと、明治後半期の度重なる火事の影響で作り手である旧士族などが四散したことで、押絵雛は大正期に入る頃には衰退する。


押絵雛が衰退してからは、押絵雛の販路を生かしつつ、埼玉の岩槻や鴻巣といった産地からひな人形を納入して販売することで、高砂通りの人形店はその危機を脱することになる。


今ある人形店で老舗といえるのは、緑屋と林人形工房である。いずれも明治の終わりに高砂通りで営業をはじめている。村山人形店と花岡人形店(2店舗)は戦後の創業である。てくてく歩いていくと・・・・。

村山人形店の店内。何組ものひな人形が所狭しと並んでいる。群馬、埼玉、静岡、名古屋、京都といった各地の産地に足を運び、自分の目で人形を確かめ、納入しているとのこと。


店内のひな人形を見ると、男びなが向かって左、女びなが右という並びのものが多いものの、中にはその逆の並びのものがある。そのことをお店の方にたずねると、埼玉等東日本のひな人形は男びなが向かって左で、女びなが右。京都等の西日本のひな人形はその逆であるということを教えていただいた。松本では東日本の流儀でひな人形を並べて家が多いようだ。


また顔付きも産地によって特徴があるようだ。埼玉のものは現代的な顔で、顔のほりが浅く、目がぱっちりで、アゴのラインがスマート。一方京都のものは古風の顔立ちで、中心に目・鼻・口が集まり、まぶたが厚く、顔のほりが深い。また目がつり目で、あごのラインが膨れている。


もちろん人形作家の個性があり、一概に言えないようであるが、全体の傾向としてはこのようなことは指摘できるとのこと。


てくてく歩いていくと・・・・。 埼玉産の女ひな。


















京都産の女びな。てくてく歩いていくと・・・・。


















てくてく歩いていくと・・・・。 埼玉産の男びな。


















京都産の男びなてくてく歩いていくと・・・・。
















さて、皆さん見分けができますか?

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1月某日の朝6時頃、外を眺めるとまだ漆黒の闇。その時まで実家の甲府で本を読んでいたのだが、なぜだか急に外に行きたくなり、目的地のないまま車を走らせた。街を通り過ぎ、曲がりくねった山道を走り、長いトンネルを抜けると、そこは河口湖。運転時間は1時間程。


そこには朝焼けに染まる富士山が。

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河口湖に着いた時はまだ日が山に隠れた状態であったが、しばらくすると東の山を越えてきた。朝7時15分。撮影場所河口湖大橋。

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てくがたのブログ 撮影中、まつわりついてきた猫。


遊んでほしいか、えさがほしいのか、観光地の猫は人なつこい。


しかし不思議なことに、カメラを向けると急にソッポを向く。

この気まぐれさが猫の魅力でおもしろいところ。







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時間がある時、特に観るものを決めず、映画館に行く時がある。今回はそのパターン。


映画のポスターと上映時間を見て、直感で決めることとなる。「白夜行」や「太平洋の奇跡」等、気になる映画はあったものの、「あしたのジョー」を観ることにした。


観る前に不安はあった。というのは千葉てつやが描いたマンガや出崎統が演出したアニメでイメージが出来上がっており、そのイメージとどうしても比較してしまうからである。


映画は上映時間が限られており、ストーリーは省略せざるをえない。さらに実写化するという壁もある。マンガ・アニメで許されていた誇張された表現をリアリティーあるものに変えなければならない。相当のリスクがある映画だといわざるえない。


しかしそれでも、この映画を観たいと思ったのは、私にとってジョーは特別だからだ。生き方を教えてくれた人生のバイブルといっていい。だからジョーと名前が付けば無視はできないのだ。


物語は、ジョーがドヤ街に流れ着くところからはじまる。時代は高度成長期を向かえ東京には次々と高層ビルが建ち並ぶ中、時代に取り残されたようなマチがある。それがドヤ街だ。


オープンセットで作り上げているこのドヤ街の情景はすごい。平屋や2階建ての木造建築、トタン屋根のバラック住居が、軒を接するように建っており、簡易宿泊所の看板、板塀にはってあるストリップのポスター、定食屋のメニューまた仕事にありつくことができず朝から道端で酒や、博打をしている人々等、ディテールにこだわりながらこの街をつくりあげている。この時代にタイムスリップした感じを受けた。


ジョーはドヤ街で丹下団平と出会い、団平にボクシングを習うこととなる。団平演じるのは、今やドラマ、邦画に欠かせない俳優となった香川照之。マンガのままの容姿であったので、登場するたびに笑ってしまったが、ストーリーが展開していくにつれて、不思議に本当にいるかのように感じ(絶対こんな人はいない!!)、妙に説得力があるキャラクターになっていた。香川照之の演技力がなせる業か。この丹下団平で、もしどこかの映画賞で助演男優賞をとったら・・・・やっぱり笑ってしまう。


そして映画のクライマックスは宿敵力石徹との戦い。力石は伊勢谷友介が演じている。ジョーと戦う時、階級を落として戦うため過酷といってよい減量をすることとなる。この試合前の計量シーンが圧巻。伊勢谷友介の体が、筋肉がありながらも骨が皮を着ているような状態で、この体のしぼり方だけで感動してしまう。またマンガ・アニメでの力石は、かっこいいが無骨の男という感じであったが、伊勢谷友介が演じた力石は無骨さが薄まり色気が多分に加わり、彼独自の力石像が確立されていた。


主役のジョーはジャニーズの山下智久が演じている。ちょっとかわいくて野生味がないかなと思いつつ観ていたが、しっかりと体がしぼれており、シャープなボクシングの動きを見せ、真剣にこの役を演じており好感がもてた。試合で顔が壊れていくシーンが多いが、かわいい顔が演出上効果的だった。試合の激しさが伝わってくる。


試合が終わりジョーが力石と握手しようとするシーン。結果が分かっているのに、目に涙がにじんだ。

思わずこの映画の世界に入り込んでしまった。


なぜ今あしたのジョーを実写映画化するのか、映画を観る前は疑問であった。観終わった後、その答えが分かるような気がした。映画スタッフも私と同じようにあしたのジョーが心が好きだから、それだからこそこの映画をつくったのではないのか。それがドヤ街のオープンセットに象徴されるようなこだわった演出になり、それに負けじと役者も演じていたのでは。そんな思いがつまった映画で感動できないわけはない。特にジョーとともにかって青春時代を送った人間は。


しかしちょっと気になったことがある。この映画に来たのは、平日ということもあり人数は少なかったが、私みたい一人で映画を観ているオヤジ層がまずおり、また若い女の子同士の観客もいた。オヤジ層はジョー世代なので、それなりに楽しんだと思うが、山Pが目当てと思われる若い女の子はこの映画の世界観についていけたのであろうか。ちょっと感想が気になる。


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今日映画を観たのは、南松本にある松本シネマライツ。平成20年(2008)にできたシネコン。

館内はきれいだし、上映映画も多いしといったメリットはあるものの、まだ座席指定とか、入れ替え制といったシステムに慣れない。どこで座ろうと自由だろと反発を感じるし、午前中に行き何回も納得するまで同じ映画を観るという楽しみがない。


昨年夏エンギザが倒産し、気付けばここ10年間で次々と松本中心市街地から映画館がなくなっている。松本では今郊外型シネコンしかない。時代の流れかもしれないがさびしい。