松本中心街はここ近年、カウンター中心のショットバーが増え、マチの大きな特徴の一つになっている。観光客もおとずれるが、地元の仕事帰りのお客さんが多く、お店のバーテンダーとともに、松本発のバー文化をつくりつつある。


駅前で数多くのバーがあるが、今夜は松本城のそば、西南方向の「土井尻(どいじり)」という場所にある「洋酒店 醇(じゅん)-STRANGE BAR JUN-」に行く。他のバーとは離れて孤立した場所にあるので、隠れ家的な存在のバーといえる。


お店の詳細・場所はこちらhttp://www.deli-koma.com/1012580.html  お店ブログhttp://d.hatena.ne.jp/suihoan/  お店ツィッターhttp://twitter.com/strangebarjun


てくてく歩いていくと・・・・。 洋酒店と名乗るが、スコッチウィスキーを中心に300種類以上の洋酒を取り揃えるしっかりとしたバー。少し変わってはいるが・・・。


バーではなく洋酒店と店名で名乗る理由は、オーナーでありバーテンダーである坪井さんの謙虚な気持ちからだ。坪井さんはこう語る。


「脱サラして、バーテンダーの修行もせず、勢いだけで店を出したので、バーと名乗るのは気が引けるし、恥ずかしいですし、またしっかりとしたバーに申し訳ない。だから洋酒店という名前にしました。もともと親が長野市で酒屋を営んでいましたので、洋酒を売る酒屋という意味で、洋酒店としています。昔からの酒屋でちょっとしたカウンターで酒を立ち飲みできるところがあるでしょう。そのイメージでいいと思います」


英語表記の店名では分かりにくさを避けるためか、BARとは名乗っている。しかしBARの前にSTRANGEという形容詞をつけている。それも同じ気持ちからだと思われる(後述するが店の内装や備品に、坪井さんの個性がでて、通常のバーとは異なるという意味もある)。


坪井さんの仕事着は前掛けをつけたラフな格好。ちょうど酒屋の店員さんといっていい格好。坪井さんは自分ではバーテンダーとは思ってはいないようで、自分のことを「酒屋のオヤジ」だと言っている。


各種カクテルも作るし、お酒のことも詳しいので、私にとっては立派なバーテンダーであるのに違いはない。


てくてく歩いていくと・・・・。

店内の壁には映画のポスターがはられており、昔観た映画のことで話しがはずむ。またカウンターの上や奥にある棚に本が置いてあり、夜の喫茶店という感じでお酒を飲みながら本も楽しめる。本の種類は旅・映画・サブカル・マンガといったものが多い。席はカウンター席の他、奥に座敷があり、そこで足を伸ばしながら、また寝転びながらスコッチを飲むなんていうこともできる。奥に座敷があるのはもともとここが、和食の小料理屋だったためだ。


てくてく歩いていくと・・・・。 今週から醇では、「宮城峡」ウィスキーのキャンペーンをおこなっている。


ウィスキーメーカー「ニッカ」の仙台工場・宮城峡蒸留所で、このお酒はつくられている。


仙台といえば、今回の地震で大きな被害を受けたところだ。宮城峡蒸留所は高台に位置するため人的にも、物質的にも被害がなかったようである(坪井さんがニッカに問い合わせて確認しています)。


今回、醇では、宮城峡ウィスキーの売り上げから災害復興の義捐金を出すということをしている。


坪井さんは、こういうことで義捐金を出すことに迷いはあったようだが、今自分がお客さんと一緒になってできるのはこれしかないと思ってはじめたという。


私は宮城峡蒸留所にいかなければ手に入らない「5年 シングルカスク」と「15年 シングルカスク」をいただいた。


カスク特有な荒々しさを感じさせない宮城峡のウィスキーらしいクリアなすっと飲める感覚。5年の方がすっきりした感じがするのにびっくり。15年ものは雑味を感じるものの、それがかえって複雑な味わいとなり、味に立体的な深さを感じられた。


その後、他のウィスキーを1杯、また1杯と飲み続けて、いつも通り酔いつぶれ、ふらふらした状態で歩いて家まで帰ることとなった。


明日から仕事で新潟出張、大丈夫か!!とりあえずもう寝よう。


ということで明日から週末までブログお休みとなります。


てくてく歩いていくと・・・・。

左が「宮城峡5年 シングルカスク」 右が「宮城峡15年 シングルカスク」

 

※シングルカスクとは?・・・・ウィスキーは樽で保存されるが、商品化するとき、さまざまな樽のもの混ぜることによって味を整え、アルコール度数も水を加えて40°程度になるように調整する。シングルカスクといった場合は、一つの樽から出したウィスキーそのままという意味だ。だからアルコール度数も60°をこし、味もばらつきがある。完成度はまちまちであるが、ウィスキーをそのまま楽しむといった感覚が持てる。

前回からのつづき。


「榛の木川」(はんのきがわ)の源流を求めて散策していると、湧き水とともに、それを利用した小さな井戸が数多くあることに気付く。



てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。


てくてく歩いていくと・・・・。

これらの湧き水や井戸の中には放置されているものもあるが、長い間各家や、または複数の家が共同で使用してきたものである。


また前回榛の木川の写真を掲載したが、この川が家の軒先を流れていたり、また敷地内に流れているのが分かると思う。


湧き水、井戸、川が、マチ場・家といったものと密接の関係にあることがその景観から理解できる。


このことは高砂通りでも同じである。高砂通りには榛の木川が流れ、そして源智の井戸とともに人々が共同で使用する井戸も通りに面して三つ、昭和20年代にはまだあり、また奥行きが長い屋敷の裏手や中庭にも各家の井戸があった(ひょっとしたらまだ現役の井戸があるかもしれない)。


高砂通りに在住で長い間、真綿をつくり、販売もしていた山田悦子さん(大正15年生まれ)に話しをうかがった。

「私がこの家に嫁にきたのは昭和23年(1948)ですが、水道はもう通っていました。しかし通りにはいくつか井戸があり、山田家でも中庭に井戸がありました。通りの井戸は使用しませんでしたが、家にあった井戸はそれから10年くらい使っていたのではないでしょうか。井戸の水は、真綿をつくる際に繭玉を煮るという作業につかったり、洗濯や、飲み水にも使っており、特に水道水と使い分けをしているわけではありません。井戸水の方が夏には冷んやりとして、飲むと水道水よりおいしかったです。

通りに流れている川でよくしていたのは野菜を洗うことです。冬場を迎える頃になると漬物をつくるために、どの家庭の主婦も大量の白菜を洗っていました。子ども達はこの川でよく遊んでいました。夏になると網で魚を捕まえたり、中には川の中に足を入れて水遊びをしている子もいました。今でも源智の井戸の水が流れる水なので、きれいな川だと思いますが、当時はもっときれいだったと思います。だからこの川にあまり汚れたような水を流したことはありませんでした。きれいな水を汚すとバチにあたるような感じがしますし、多くの人が使っている川ですので」


湧き水、井戸、川が、人々の生活に密着していたものであったことがよく分かる。そもそも高砂通りの歴史を考えるとき、水との関係は切り離せない。


江戸時代の文化・文政時代には、この通りに、ひな商とともに多かったのは豆腐屋であり(松本市史 下巻)、豆腐づくりにきれいな水はかかせない。これよりずっと後年のエピソードであるが、現在自転車屋を営んでいる岡田靖男さん(昭和8年生まれ)はこう語る。

「私の祖母は、明治には豆腐屋を伊勢町で営んでいたのですが、不幸なことに火事で家が焼けてしまいました。それで再建するのに、お金がなかったということもありまして、土地を手放し引っ越すことに決めました。そこで引越し先としたのが高砂通りです。この通りの井戸や川は水がきれいでしたので、豆腐づくりには最適だったためです。当時5軒程度の豆腐屋があったようです。それ以前はもっとあったと聞いております」


岡田さんの祖母が高砂通りに引っ越したのが明治38年(1905)で、その後岡田さんの父が自転車屋に転業するのが昭和8年(1933)である。


昭和10年頃の高砂通りの地図が松本市史民俗編に掲載されている。この頃には豆腐屋は1軒しかないが、菓子店6軒、酒饅頭店1軒、せんべい店1軒といった菓子類を扱う店が、現在と違って多いのが特徴である。節句行事にはお菓子はつきものであるので、人形店との関わりのなかでそれを理解することも可能であるが、お菓子をつくるのにきれいな水が必要であることを考えれば、水の質が高いので菓子類を扱う店がこの地域に増えたと言うこともできる。


このような湧き水、井戸、川と高砂通りに住む人の密接な関係が変わっていくのは昭和30年頃である。


山田家では昭和30年を迎える頃には、井戸を使用しなくなってるし、川で野菜を洗わなくなっている。その理由として水道の水は水圧があり、水をくみ上げる必要がある井戸より使い勝手がよい。後者の理由ははっきりとはしないが、「この時期皆がしなくなったから」ということを述べている。明確に答える力はないが、当時農村部を中心におこなわれていた生活改善運動や保健所の啓蒙活動の影響があったのかもしれない。その結果衛生観念の意識が高まり、川で野菜を洗うよりは水道を使用した方が安全であるという考えが広まっていったのではないかと推測する。当時そんなに榛の木川の水が汚染されていたとは思えないが。また同じことは井戸にもいえて、井戸より水道水の方が安全であるという考えがひろまったのではないかと推測する(松本での生活改善運動とか保険衛生の歴史をもっと勉強しなければいえないことなので、まだ推測の段階である)。


また昭和30年頃、高砂通りで大雨の日に増水した榛の木川に子どもが流されるという事故があったらしい。その事故を機会に、榛の木川の暗渠化が進んでいったという話しを岡田さんから聞いた。それ以前は店に前に、厚さ5cmほどの木の板を何枚か川に架けて、入り口を作っていた。川からゴミなどを掬い取りきれいにする際はこれを取り外せばよいだけだ。昭和30年には高砂通りの舗装化は終わっていたようだが、それ以降川の上部のほとんどをコンクリートで覆い、この川の上部が道と一体化するようになる。その結果道幅は広くなり、車は通りやすくなるものの、野菜を洗ったり、子どもが遊んだりする空間はなくなり、また川の掃除も自由にできなくなる。


このような変化の中で、湧き水、井戸、川といったものへの思いも変化していったのではないかと思う。民俗学において、これらのものは、神が宿る場所であり、神の通り道と理解される。


今でも源智の井戸といった人々が集まる大きな井戸には、正月になると御幣や注連縄で飾られ、水神様が祀られる。かっては家庭にあるような小さな井戸であっても御幣や注連縄で飾られていた。またお盆や正月といった神様を迎えるときには、井戸を掃除するといった家もある。これらのことは井戸がなくなれば当然できないし、井戸があってもこのようなことをおこなっている家は現在では少ない。


またお盆の時や、七夕の時、供物や飾り物を川に流すといった風習がかっては松本中心市街地にもあった。それは一時期招いた神を、神の道である川から送り出し、それと同時にケガレを祓うという意味がある(いろいろの解釈はあるとは思いますがとりあえず)。さすがに榛の木川では小さいのでそのようなことはしなかったみたいだが。昭和30年代頃まで女鳥羽川とかではしていたようだ。


湧き水、井戸、川といったものが、生活にしっかりと結びついているからこそ、この生活感覚の延長線上でごく自然に上記したような神への観念といったものがもてるのだと考える。先に山田さんのコメントとして川を汚すとバチがあたると述べたが、このコメントの背景には川には神がいるという観念があるが、こんなことは意識せず自然な感情としての言葉だと思う。このような思いを、どこにでもあるような榛の木川のような小さな川に今の人々がどれくらいもっているだろうか。


今、高砂通りを例に出して、湧き水・井戸・川とそれに対する人々との関係性の変化ということを述べてきたつもりだ。湧き水・井戸・川といったものは現在の松本中心市街地のエリアでどこでもあるものであり、このような変化も同時にあったと考えてよいと思う。今度機会があればレポートしたい。



てくてく歩いていくと・・・・。


またまた高砂通りネタ。


高砂通りは松本城の南に位置し、南北にはしる本町通りに交わり、東側にのびる路地である。そこが、この通りの入り口にあたるが、まっすぐ200メートルほど西にむかえば、その終わりとされる場所の「源智の井戸(げんちのいど)」に着く。


てくてく歩いていくと・・・・。 源智の井戸は、松本で城下町が形成される16世紀以前から飲み水などに地元の住民に利用されていたとされ、現在でも多くの人がこの水を求めておとずれる。松本は井戸が多いことが特徴であり、名水とされる場所は多々あるが、その中でもこの源智の井戸が名水として、古くからよく知られ、今や観光スポットになっている(詳しくはこちらhttp://takara.city.matsumoto.nagano.jp/city/136.html )。


私がおとずれた時も、名古屋から来た観光客と穂高で飲食店を営む人がペットボトルや、ポリタンクに井戸から水を入れていた。


井戸の中をのぞくと、特にモーターで汲み上げているということもないのに、次から次へと下の方からすごい勢いで水が湧き出てくる。


このような井戸は松本には多い。松本の大きな特徴の一つだ。松本は周囲を山に囲まれており、そこに降った雨や雪が、盆地である松本中心地域に流れ、豊富な地下水をつくりだしている。


この源智の井戸から大量に水が常に外に流れ出ている。その水が流れる先は、井戸のすぐ脇に流れている「榛の木川(はんのきがわ)」である。


この川は高砂通りに沿って流れ、「松柏堂」のところで北に向かい、蛇川に合流し、そのまま市街地を横切るかたちで、西に流れていく。


この榛の木川の源流まで、歩いてみる。


てくてく歩いていくと・・・・。 源智の井戸から榛の木川に水が流れ出る。

















てくてく歩いていくと・・・・。 源流に向かい南方向に歩くが、すぐに榛の木川の流れは直角に東にまがり、「伊藤石材」の邸宅内を通り抜ける。


門から邸宅内をのぞくと、立派な庭園があり、植木や石とともに榛の木川がそのつくりに生かされている。




てくてく歩いていくと・・・・。 邸宅と反対方向にある伊藤石材の店舗の横から、榛の木川が流れている。









てくてく歩いていくと・・・・。 そのまままっすぐ、大橋通りを横断して、「ミトモ薬局」の脇に榛の木川が。









てくてく歩いていくと・・・・。 民家の邸宅内に入り見失いそうになるが、ミトモ薬局の場所からまっすぐ東ではなく、斜めに流れているようで少し南の位置に、榛の木川を発見。







てくてく歩いていくと・・・・。 民家(上の写真)の脇を流れる榛の木川。川の石垣に歴史を感じる。

















てくてく歩いていくと・・・・。 ファミレス「COCOS」の敷地北側を通り抜けている。










てくてく歩いていくと・・・・。 そのまままっすぐ行ったところ。民家の庭先に流ている。
















てくてく歩いていくと・・・・。 この民家脇を流れている榛の木川は、割烹「清里」や割烹「呉竹」がある路地沿いへ。









てくてく歩いていくと・・・・。 そして道を横断したところに「源地の水源地」がある。場所は松本市立美術館の西側。源智の井戸から、直線で、東に200mの距離だ。


この場所は古くから湧き水が多い地域だったため、昭和23年(1948)に上水道の水源として利用するようになった。現在は公園として整備されている。


榛の木川の源流はこの周辺の複数の湧き水である。ちなみに榛の木川が合流することとなる蛇川も、この周辺が源流である。このことは江戸時代の享保期(1716~1735)に描かれた絵図からでも確認できる。



てくてく歩いていくと・・・・。

(上写真)源地の水源から湧き出る地下水


源智の井戸から、榛の木川の源流まで歩いてみたが、途中迷うことが多々あった。民家の敷地内に流れていることもあり分かりにくかったこともあるが、名もなき川の水路が多く、それらが榛の木川に合流しているからだ。その名もなき川の水は、榛の木川のものと同じく澄んでおりきれいで、ドブ川とはとても言えない。それは、このような川も湧き水が流れ込んでできたものであるからだ。


そう、松本中心市街地にはドブ川がないのだ。生活廃水は流れているとは思うが、豊富な湧き水によって、汚れて匂いがするような川がない(はず?)。松本市民の大きな宝といっていいと思う。


ところで、高砂通りの話は・・・・・・・また次回ということで。


てくてく歩いていくと・・・・。

(上写真)昨年4月4日の源智の井戸。しだれ桜がきれいです。


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※旧城下町中心に松本市街地には、小さな井戸や、湧き水が多く、そしてきれいな川が流れています。そんなことに着目した市民有志が平成21年(2008)に「まつもと水巡りマップ」を作成しました(僕は関係ありません)。井戸・湧き水・小川といった紹介の他、見どころやお店、歴史的な背景などを、マップ作成スタッフの口コミ的観点で紹介しています。このマップは松本駅や観光案内所で無料配布しています。(こちらのページからダウンロードもできます。http://youkoso.city.matsumoto.nagano.jp/water/ )。


松本に来たら是非手に入れてほしい。このマップをもって井戸などを探しながら、大分変わってしまったけど、かっての城下町・武家屋敷の雰囲気や町人や武士の生活を感じてほしい。また水道が普及し、生活環境が変わる中、それをどのような思いで現在の松本市民が引き継いできたのか想像を巡らしてほしい。そしてそのためにちょっとの勇気をもって直接、井戸や湧き水について地元の方に聞いてみることをお勧めます。誰でもよく知っているということはないけど、老舗のお菓子屋さんや、豆腐屋さん、料理屋、味噌蔵、お酒の蔵元等・・・・、また年配の方なら大丈夫だとは思います。出会いとともに、新たな発見があるはず(ちゃんと対応してくれなくても、それにめげず数打てばあたります。実体験済み)。


そんなマチ歩きをすれば、松本城だけが松本ではなく、城下町で住んでいる人々がいるからこそ現在の松本があり、その象徴として松本城があることが理解できると思います。その良い面も悪い面も含めて・・・・・。


知らない土地で道に迷ったりしたら大変ですが、是非体験してみて下さい(迷わないために「まつもと水巡りマップ」があるので活用すべし。旅上級者はこのマップを使わず、マチをさまよいながら、宝探し気分で井戸を探すのも楽しいかも)。