この前の日曜日、主人の母が亡くなりました。


1年前にガンが判明して、
その時はこんなに早く別れの日が来るなんて
1ミリも思いませんでした。


1年間、入退院を繰り返して、
より高度な治療を受けるために
千葉県の病院に入院したのは1月の初め。


その時には、骨にも転移をしていて、
入院直後に検査に移動中に足を骨折。
もちろん、その場所はガンに蝕まれていました。


すぐに骨折箇所をボルトで繋ぐ手術が行われたものの、
もう全身に転移をしてしまっていて…。
それでも奇跡を信じて、様々な方法を模索したけれど、
先週末には、もう手の施しようがない、、、と。


元気になって、福岡に帰ってきてくれるものとばかり思っていたから、
全然信じられなくて。


恐らく最後になるかも…と、子供たちを連れて、
日曜日、朝一番の便で羽田まで行き、
1時間ほどかけてバスで病院のある千葉まで向かいました。


前日は私達が来るのを楽しみにしていてくれてると聞きました。
当日の朝も、みんな来るからと、呼吸が苦しい中、
頑張って薬を飲んだんだそうです。


でも、私達が羽田に到着した直後、
お義父さんから連絡があり、
早く来た方がいい。と。


きっと大丈夫。
きっと大丈夫。
絶対、大丈夫。


こんなに1分1秒が長く感じた事はありませんでした。


病室に駆け込んで、目にしたお義母さんの姿は、
酸素マスクをつけ、意識が朦朧とする中、
懸命に目を見開き、誰かを探しているようでした。
声をかけると、微かに頷く様な…。
そんな気がした、、、くらいの反応でした。


少しは会話が出来ると思っていたのに。


来る予定の家族が揃ったのを確認して、
安心したのか瞼を閉じて、
そのまま昏睡状態となりました。


少しずつ血圧が下がっていく状態の中、
私と子供たちはその日のうちに帰らなくてはいけなくて、
最後に「お義母さん、先に帰りますね。福岡で待ってます」
と耳元で声をかけました。きっと聞こえてたよね?


元気になって福岡に…自宅に帰るのを熱望していたお義母さん。
絶対に1日も早く帰るんだと、骨折の手術をしたばかりなのに、
リハビリにと、自分の足で立って、ゆっくり歩いたりしていたそう。
本当にいつもいつも頑張り屋さん。


帰りの機内。
離陸直後に、ちょうど日の入り時刻で
こんなに素敵な夕焼けを見れました。
街並みは明かりが灯り、その向こうには燃えるような夕焼け。
遠くに、小さくだけど富士山が見えました。
思わず写真を撮りました。


肉眼で見た風景はもっと綺麗だったのにな…
写真に撮ると、半減しちゃったけど。


福岡に到着して、機内モードをオフにすると、
主人からお義母さんが亡くなったとLINEが届いていました。
亡くなった時間を見て驚きました。


ちょうど私が素晴らしい夕焼けを写真におさめた時間だったんです。


お義母さんからの最後のプレゼントでした。
お義母さんが好きだった富士山です。





亡くなる前、お義母さんはお義父さんと約束したそうです。
もしもの時は、空路ではなくて、陸路で一緒に帰る…と。
飛行機だと貨物扱いとなるから…という理由です。





それからバタバタと通夜、葬儀が終わりました。
肉体的、精神的な疲労はもちろん、
ぽっかり何かが抜け落ちてしまったような…
最後に何も言葉も交わせなかった後悔…
これまでのたくさんの感謝の気持ちと…
色んな感情が入り交じって、
まだ何も気持ちの整理すらつきません。
結婚して厳しい事もたくさん言われたけど、
その何倍も何百倍も抱えきれないくらいの
愛情をもらいました。


末っ子である旦那のショックは大きくて、
思い出話なんかをする度に、
寂しさと、悲しみが込み上げてきます。


時間が癒してくれることを信じて……。








葬儀の日は、お義母さんの誕生日でした。