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aketatojita

アキュレートに生きたい。

日本語のエンジンをレッドゾーンまでアクセル全開にしてみよう。ドライブする気になったので忘れないうちに行動だ!

《引用はじめ 林英彦氏 「憎国心のすすめ ~知悉民族の未来~~」より》

「君が素晴らしいと心底尊敬できる人物がいたとして、その人が死んだと仮定する。君はその葬儀に出席し、彼の卓越した人柄を弔辞として述べることになる。さあ、思いつく限りのほめ言葉の弔辞を言ってごらん」

おてほん

クラウゼヴィッツさんが恩師に・・・

「1817年6月28日、ゲルハルト・フォン・シャルンホルスト将軍が他界されました。彼は当代随一たる人間のお一人だった。疲れ知らずで、整然、かつ着実に目標を追求するお姿、一片の迷いも見せない明晰な知性、広い視野、人を家柄でとかで判断しない姿勢、世間的体面(めんつ)などには誇りある無関心を示し、想像もできないような過酷な条件の下でも冷静な対応を忘れず、いつも強い精神力を十二分に発揮し、最高の目標達成に勇気をもって当たり、年配になっても若々しい行動力を持ち、危険に際しては慎重さと不屈な精神を発揮し、公平でえこひいきをせず、普段はもの静かな紳士であり、気さくであり、どんな友人に対しても誠実であり、温和で、周囲の人びとに対する思いやりは人一倍であり、彼のいる場には常に優雅な雰囲気をかもし出す、もっとも魅力的な人間の一人でありました。」

西洋には立派な人間の条件としての具体的な言葉をこのように表現できる社会的風土がある。われわれ(日本人および日本世間)には知性の高い人間を現実の例としていいあらわす言葉がなくなってしまった・・・

《引用おわり》



私の意訳

言葉がなくなってしまった → 消えさってしまった  かな?

だから死ねばみんないい人になってしまう。だから本物と偽物の区別もなくなる。死ねばなんでも許される。

と林氏の書籍はつづく。

ドライブしてみると「まあまあ動くなあ日本語も」というところ。真円で透明で公正な構文の響き、そんな言葉の響きってどんなんだったっけ? などと思うところがあって『真円の印象にちかい文例』として上記の文を思い出した。
中国茶の等級にたとえるなら、「国賓」に相当する構文の響き(味・おいしさ)を、ことばを発する際の構文のバランスに応用したくなった。

過去をふりかえると、わたしの生存本能による、新規にあった人物に対する人格の高い低いの判定法(見積もり)は?発声やその人の書く文章の立体感で判別できてたなあ、と気付いた。その思考パターンをを整理してみると、

構文の立体感とは?

表現している五感の表現幅のこと、文法の時制でいうところの現在、それが「幅」を顕す。
過去の事実の提示が「深さ・奥行き」を顕す。

でも奥行きの部分。ほとんどの人の過去の提示は他人からの伝聞であって二次情報やから(意味のない・美味しくない)スカスカのコピーであった。ものすごい人格者は、読み手(聞き手)をゆさぶる感動の振幅の幅と奥行きがちょうど球体になるようなまとめかたをする。

さらっとしたブログの表記で、奇跡の真円の球をホログラムでわたしにイメージさせるとは 凄まじい。。。

ことばの連なりって、文・章、文と章の二文字であらわす二次元のものですが、表現のしかたによって空を翔るペガサスにも化けることがあるんですね、ホントに。

人間の知性、信じてゆきたい。

ほめてほめてほめたおしてみました。だれを??




我が国には「建前では階級がない」ことになっている。

が代わりに「階称」があるそうな・・・。
知人と非知人の区分け、のことである。

人が危難に遭ったとき、もしその人が知人ならあらゆる手段でこれを助ける。
非知人なら、それが目に入っても、一切黙殺して、かかわりになるな

という分別のこと だ。


外国のかたはよく「日本人はウソつきだ」と言うが、
その原因の一つは上記の階称にあるという仮説を連想した。

なんとこりゃ徹底的な差別の思考法ではないか?

日本人に腹切りの伝統が生まれざるをえなかったのも原因はコレだろう?
常に常に絶望の瀬戸際の論理表現しかできないエンジン(道具としての言語)しか
使えないポンコツ自動車のようなものなのだから、ハラキリ事故もおこすぜ、そりゃ。

悪しき迷信はすてねばならないと考えます。


海のむこうのレイシストも野蛮の極みやけどポンコツ言語の作動構造も野蛮の極みである。
大統領が変われば多少はましになりうる某国より、ハラキリを予定量産する巨大な機械中の
歯車そのものの事のほうが怖い。停まらない永久機関なだけにより悪質だ。ヒトを挽きつぶす
血に飢えた石臼のようだよ、あ~こわいこわい。

日本もアメリカもつくづく野蛮国だったのだとため息がでる、いずれも島国根性まるだし。
アレクサンダー大王に象徴されるアジア・ヨーロッパ大陸中の諸国の異文明間の摺り合せ
を端緒に18世紀に花咲いた「知恵の学」とは大違い。

やはり、大宗教にしても文明にしても生まれべくして生まれる地政学上の位置に立脚せねば
発見されることもなく維持されつづけることもまたないのではなかろうか?

歴史の外の野蛮国、それはわが国と米国である。

人間と人間との多国間やりとりは18世紀のヨーロッパに限ってしか存立していなかったのかも
しれない。「黄金時代」という単語は伊達ではなくそんな時代はこれから先もないのかもしれない。



「普遍のもの・不変のものを意味する単語」と「その他の単語」を明確に整理した言語操法を
できればマスターしたい。

(国やぶれて山河あり)のニュアンスを内包させた構文をつくってみたい。

isという言葉が好きだ。







生まれてはじめて(真剣に)語学をヤル気になって、子供の頃から38歳まで私を覆っていた「閉塞感」、そのベールが剥がれはじめた。

イタリア語を学んでいます。

今日、それまでばくぜんと感じていたけど言葉に置き換えられなかったことを完璧に代弁してくれていた日本語サイトを発見した。玄関に塩を置いておくかわりに「その言葉」安置しておこう。

ご紹介します。




寺島眞一さん

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/  より引用



《引用はじめ》


言葉と考え

英語を話すときは,自分の考えを相手に誤解なく伝えるために言葉を選ぶ.
日本語を話すときは,良い気分・雰囲気が得られるように言葉を選ぶ.
自衛隊の戦車は,特車であるか.僧家の酒は,般若湯であるか.言葉を言い換えることにより,その姿・実体が見えなくなるのはどういうわけか.
それは,本人が言葉を自分勝手に解釈して,気分・雰囲気に酔っているからである.自分自身が酔ってしまっていては,現実の制御はおぼつかない.だから,我が国は,ひ弱な花なのである.

「我思う.故に我あり」といったデカルトは,個人主義の元祖とされているが,「思う」は,英米人の場合は「考える」であり,日本人の場合は「感じる」である.「感じる」は歌詠みの仕事であり,「考える」は哲学者の仕事である.
英米人は,理性判断ができる.英語が,リーズナブルな答えを可能にしている.そして,理不尽・非理性を切り落とす.だから,英米人は,異民族にとって,極 めて危険な人々である.「皆で仲良く」という合言葉で,個人の理性を踏みにじることがない.むしろ,高く評価する.理不尽に対抗して,常に重圧を用意して いる.だから,世界は動く.英米人は,堂々と戦死者の冥福を祈るが,「二度と我が国が戦争への道を歩むことにはならない」と言いつつ,人目を避けて神社に 参拝することはない.かくして,この地球は,英米の世になった.

日本人は,自分自身の意見がはっきりとしないのであるから,相手の言いなりになるか,あくまで反骨精神を貫くか,「我,関せず」現実逃避するしかない.い ずれにしても,建設的な積極策はとれないので,指導者には適していない.「あるべき姿」を持たない日本丸は,海図のない大海原を迷走する.

日本人の考え方は,「今ある姿」オンリーの単純思考である.だから,英米人と,成熟した大人の関係を結ぶことが難しい.このことは,我が国の安全と発展に とって極めて重要な点であると考える.だから,我が国の有識者・知識人は,英語の勉強を疎かにしてはならない.本場の英語圏で英語を学ぶことができれば, それに越したことはない.英米文化に関する総合的な理解が得やすくなる.言葉は,考える形式を規定し,文化の基礎をなしている.
911文字

《引用おわり》


わたしにとっては「闇夜の灯台」のような名文。尊敬します。


そっくりの印象をカタチにすると
こんなイメージ…。

aketatojita-APM4!


2つの灯台は闇夜を照らしてくれています。

※ブログのテーマ、アキュレート。その由来は上記写真のスピーカの名(Aculate Pistonic Motion)
からいただきました。


イブンカって。やはり「ある」と(真剣に)意識した瞬間から生まれる(観える)もの、なのですね...。

寺島さんの名文、末尾に「911文字」と記されておられる点もまたすばらしい。
なんの慣習なのだろう?ご存じのかた、教えてください。



わたしの心(mind)の玄関、いままであったけど無かったのと同じくらい無意識でした。語学に真剣に向き合ってはじめて気づいた真実です。
みずからの意志や「響き」に対し、アキュレートに生きましょ



探検に行った。

こどもに「ぶあつい氷」を発見させてあげたくて。
ありそーな箇所の事前探索に出動した。

さいしょは西方向にむかい
かえりは東方向にむかって帰還・・・。


行き は寒いだけでなーんも情緒は作動せんかった。
帰り は ?


aketatojita-むーんうぉーく

足跡ついてるの見て、はじめて情緒が作動。有限のまっしろな物体
を私が破壊して寿命を短くさせてる悪魔のよーで

「悪いことしたなー」とツイ思ってします。

「それ」と意識してものを見直しはじめる、すると、キラキラ輝く。
恋愛とおなじです。


ほれ

aketatojita-すわろふすき



街全体にスワロフスキのビーズが降ってきたみたい。
とても綺麗。

どうでも良いことですが「スワロフスキ」はPCの誤変換で
「諏訪路府数寄」とでた。かわいいと思った。


なにかにつけ主語を明らかにしない我国。

わたしの経験からは左翼の立場で考えているヒト達、とは
《西洋的価値の視座に立って土民を啓蒙する》がその本質と捕らえている。

「左翼」という単語の語義から逆算すると、そうとしか訳せない。




次に平成24年2月2日の朝日新聞(朝刊)の28面から引用する

●京都市長選候補者アンケート㊤ より
 「原発・防災」というテーマでアンケートに答える二人の市長候補者さん

《引用はじめ》

A・中村氏    すべての原子力発電所の廃止を国と電力会社にきっぱり求める
          「脱原発」姿勢を実現します。


B・門川氏     原発に依存しない社会の早期実現に向け、省エネの徹底と再生
          可能エネルギー創出を大胆に推進。

《引用おわり》



2つの文章。共に

~~  もしも、(未来に)市長になれて責任の当事者になったのならば ~~

という同じ仮定での応答のはず。 

行動に関係ある単語を抽出して【】を付けてみると。



A・中村氏    すべての原子力発電所の【廃止】を国と電力会社にきっぱり
          【求める】「脱原発」【姿勢を実現】します。


B・門川氏     原発に【依存しない】社会の早期【実現】に向け、省エネの
           【徹底】と再生可能エネルギー創出を大胆に【推進】。




A、Bともに、  中村市長が → ※※をする
          門川市長が → ※※をする

市民に選択を請う意思表明をする立場という渦中におられるお二人。
「俺はこう(市民のひとりひとりが持つ責任の代役として)責任をとってみせましょう」
そんな選択肢の競い合いが選挙。
選挙戦中の発言は文中の主語と動詞が確実に呼応しなければならない精密な機械道具・・・。

京都に限った市民が、本来備え持ってない責任(自由)についちゃ一切触れてはならないのが京都市長選挙の正しい作法やと思います。



動詞のたぐい                  主語

【廃止】                      国と電力会社
【求める】【姿勢を実現】            未来の京都市執行チーム

【依存しない】【実現】【徹底】【推進】     未来の京都市執行チーム


主語が3つの中村氏、主語が1つの門川氏。

ま、あくまでこの文面に限った話だけだけど、自ら責任のとれる範囲を
宣言し、『行動を』表明をしているのはひとりだけでした。


中村氏は新聞相手なのに文語体でなく口語体で答えるミスを犯したのだろうか?

ミスでなく、例えば「気合いをタカチにする!」と一万回連呼することそのものに
意義を感じる御仁なのなら、選挙という精密道具の誤用は遠慮願いたい。
もわーんとした集合無意識が惑星ソラリスのように生命体化し浮遊霊のごとく
響いているようで、まるで無縁仏製造マシンのよう・・・。


(あらかじめ)責任の所在を明らかにしようぜ。



冒頭の言葉に戻れば、ご両人のどちらが左翼の立場に立っておられるのか
わからない。門川氏の文中には「社会」という日本単語がさりげなく、でもしっかりと
配置されており、真摯に自らの言葉に向き合っておられるならソサイエテという
思想さえ連想できるもの。

わたしの判定では真の左翼は門川氏。


原発に依存しない社会の早期実現、自らやれることから勝手にやるぜ!!
「思慮と先見を伴った勝手にやるぜ」このスタンスなら、議題はなんであれ大歓迎である。


「仮設住宅」と読むと響きが薄いのに、「難民キャンプ」と読むとものすごく切実に感じ直す出来事がありました。

次の文面を目にしたのです。

《引用はじめ》
[864]福島県絆(きづな)作り応援事業と仮設住宅の正体

投稿者:川原 浩
投稿日:2012-01-31 01:38:29

寒中見舞い申し上げます。 福島県在住 会員番号6619 川原です。
福島からの現地レポートです。
                     

福島県では絆(きづな)作り応援事業という洗脳事業を行っています。その目的は、原発難民に意味のない安心感を与えて去勢させ、相互に監視させることです。
意訳すると、原発難民に今後必ず家と土地について適正な損害賠償費用を受け取れるという幻想を抱かせ続ける一方 現状に不満を抱く原発難民が組織化するのを未然に防止するのが目的です。
東電と政府はアメリカの原発封じ込めタイムテーブルに従い、原発難民の最終処分への準備を始めたのです。核廃棄物最終処分場建設のための地上げ工作の段取りをつけたのです。
厳寒の仮設住宅で原発難民を心身ともに弱らせ、絆(きづな)事業で意味のない安心感を与え、後は 監視体制を強化し、去勢しきったタイミングを見て 原発難民の家と土地を買いたたくのです。国家が公然と行う地上げはさすがです。まさに筋書き通りです。
絆(きづな)事業は全く意味のない事業ですが、震災失業者2000人を雇用し、失業者対策となるとの理由からか、誰も公然と批判することはできません。除染についても同じです。しかし、こうした表面的に意味のない事業にこそ、実は重要な役割があるのです。
環境省のポスターには「除染なくして福島の復興なし」と書かれ、中央の下の部分に一番大きい文字で「環境省職員の募集」と絶妙なバランスで書かれ ていました。明らかに環境省の予算と権限の拡大が狙いだと思うのですが、地元の批判を逃れるため「職員募集」を全面に打ち出しています。(雇用という餌を 使う戦略です。)
このポスターを見かけたのはヨークベニマル郡山富久山町店内に設けられた「絆スペース」という場所です。この場所は県の委託事業を受けた企業とNPOが運営しています。
ここで働く緊急雇用対策で雇われた女性曰く「この絆(きづな)スペースは仮設住宅でなく、県の借り上げ住宅にいる人へ情報発信するのが目的だ」と説明してくれました。
その意図は仮設住宅の連中は監視体制ができているが、ばらばらに点在している借り上げ住宅にいる連中にも監視の目を向け、しっかり去勢されているか確認するためです。
こういう絆(きづな)スペースという場所が県内に10か所ほどあるそうです。絆(きづな)新聞というのも発行しています。(新聞の内容は「仮設住宅で体操して楽しく暮らしてます」という去勢された難民を美化する内容です。)
この「絆(きづな)スペース」は、今後家と土地を安値で買いたたかれる原発難民を絆(きづな)という言葉で根拠のない安心感を植え付け、去勢して洗脳する施設です。

 「除染」と「絆(きづな)作り事業」は地元の雇用確保につながるとは言え、これだけどうでもいいことに予算が使われると腹が立ちます。日本再占 領風に言うと「ギブミー チョコレート キャンデー」が「ギブミー 除染のワーク」 になり、どんなあほな仕事でもしまーす。猿の惑星の福島版です。こう いう人間に仕事を与えても、自立していくことはできません。一時的な雇用対策、経済効果よりマイナス面が大きいと推察します。猿には餌を与えるのではな く、餌の取り方を教えるべきです。全く無意味な除染をさせることは、アメリカの工程表にもあり、原発難民を飼い犬と化し、「おとなしくしていれば餌はやる ぞ」というメッセ-ジです。除染は難民を自立させない最適な手段なのです。権力者は除染という手段で地域を意のままに取捨選択することができます。(除染 ができていないことを理由に帰還をさせないなど。)
万が一難民に自立されると、「ひとり1億の損害賠償金を寄こせ、地元に戻らせろ」など言い出す可能性があります。地上げ屋としてこれが一番困ります。

その後、郡山市のビックパレット脇にある川内村仮設住宅に寄りました。そこには今までになかった施設がありました。それはドイツ赤十字から川内村 に寄贈された。コミュニテーセンターという豪華な仮設事務所です。施設の脇には高級外車 プジョー(赤十字のネーム入り)が駐車されていました。その瞬 間、ここは仮設住宅ではなく、「原発難民キャンプ」だと感じました。今までにも仮設住宅という呼び方に違和感を感じていました。こんな福島拘置所よりひど い掘立小屋は、住宅ではなく難民キャンプだと。
ドイツ赤十字寄贈のコミュニテーセンターには川内村の教育委員会が入居しています。仮設住宅にどうして教育委員会があるのか?難民を監視 教育するためか。教育委員会の事務室の入り口の上には「管理」という文字がありました。これで全てが判明しました。
原発難民は、自分は難民であるという自覚がありません。しかし、彼らの現実は原発事故により家屋を強制的に追い出され、ここにしか居場所がない哀 れな難民なのです。難民達には他に居場所はありません。難民収容キャンプでおとなしく飼い犬となるしか選択肢はありません。いくら現実から目を背けても今 の現実は全く変わりません。こんな現実を赤裸々に表現するときっと腹を立てる人もいるかと思う。しかし他人は騙せても自分は騙せません。自己認識 自分は 哀れな原発難民なのだと自己認識できなければ復興はありえません。属国日本の難民キャンプは、今世界から注目の的です。今から福島県内外にある仮設住宅を その実態と正体に即して「福島原発難民キャンプ」と呼びます。
難民キャンプの実況報告続編 こうご期待ください。

《引用おわり》


上記の文面を読んで「仮設住宅」という単語、これは原子力災害を報道するにあたって著しい誤用だと考えを新たにしました。意図してか意図せずにかわかりませんが、言葉の意味のすり替えになってます。為政者にとって都合が良いように・・・。

ま、一事が万事、日本語のサービスエリア圏内においては言葉の意味が極薄に薄められています。たとえば「原爆の日」という言葉、主語はだれでどこから目線でNHKのアナウンサーは発声しておられるのでしょうかね。

いつの日か「某国から核攻撃をうけた日から**年目の今日」と公の場で正しく表現される日が来ることを願ってやみません。

ご存じですか?わたしの住む町には図書館がありません。
じつはむかしむかし町役場の中にありました。町の新庁舎の建て替えの時に図書館として利用するにもかかわらず「郷土資料センター」という名称で政府から多額の補助金を受け取り『ハコモノ』を作っただけでした。

以来、不正が発覚するのを恐れ図書館なのに「図書館」という看板を掲げることはできないそうです。

繰り返しますがわが町に「郷土資料センター」はあるけど「図書館」はありません。
蔵書の収集にあたっての優先順位(プライオリティー)もありません。

なんという卑屈な精神でしょう。
図書館を運営するにあたって、「古典」とか「啓典」という単語の意味と正面から向き合ったことあるのでしょうか?
むきあう覚悟が リベラルアーツでしょう、こんな必要な準備を抜きにして『人権』なんて語れるわけないだろう・・・。
35歳超えねば(真の)学問はできん、と誰か断言してやって目を覚ましてあげてくださいな。


なのに 人権学習なるものに公費は出費されつづける、っと。
やっぱり猿なんかな。あーあ
映画「サクリファイス」上映会、映写を担当しました。
エンジニアとしちゃ、腕のみせどころの多い作品。

プレイヤー、
プロジェクター、
共に予備の機材が登場することもなく まずは無事終わって安心。


心配だった点は

料理に例えるなら、「素材から上手く出汁とれてたのかな?」というところ・・・。

上映後のトークで、
おなじ宗教画は宗教画でも(順番が)ダビンチの絵が先でギリシャ正教のイコンが
後に登場してきたことについて  「映画の監督さんの意図はなんだろう?」
なんて深いところを突いた話題もでてた、ゆえ、
『イリュージョン』とちゃ成功??と感じています。


aketatojita-サクリファイス上映会


茶道と似ていて、「一期一会」。
機材の選択にも、お手前を披露するエンジニアには意図があります。
わたしの芸歴で外せないのは、

逸品館
http://www.ippinkan.co.jp/airbow/


同社には、ほんの僅かの時間ですが在籍させていただきました。
感謝しています。


わたしの作風は
「波動ツィータ」
「1980年代中期までの国産メーカースピーカー」

aketatojita-波動ツィータ

『押す音 じゃなくって弾く(はじく)音』。
風のような音。
を目指しました。

今日の映画は、殺し合いがはじまったこと(核戦争がスタートしたこと)、
主人公にとっての世間が一夜にして野蛮の地獄に墜ちたこと、これらを
多くの沈黙と共に鳥のサエズリや飛行機の音といった自然音や「家族の
発狂」という出来事を描いて、

一瞬一秒も(戦車やミサイルといった)戦闘シーンなく表現していた。

顧客のこころを締め上げてゆく、とんでもなく怖い映画です。
「鑑賞後に著名人が自殺した」などという都市伝説もあったり・・・

画の見え具合と音の聞こえ具合のバランスによって伝わる側にとって
いかようにも変化します。プロの映写エンジニアさんと危ない橋は
一緒にわたりましょう。




aketatojita-テーブルタップ等


つなげるコードやら接続する部品の「響き」やら、
吟味した技モノで美味しく仕上げた「映画会」。
みなさんもいかがですか?


シネコンと違って手料理もいいですよ。



その後の商談でシャゥベッカーさん

aketatojita-薪ボイラーほしい


薪ストーブじゃなくって薪ボイラーが・・・








扶桑庵さんの初釜の様子。


aketatojita-1月20日の様子





就寝前記入の本文。二日間おやすみしてしまった。息子に絵本を読み聞かせること・温度計と湿度計を読んでもらうこと、これらも1日できなかった。今晩は復帰したいと思う。うつくしいこと、と言えば金曜日は外勤三昧で不思議な出会いもあった、GE3の鶴田さんや音々のお話のことである。「なんでもかんでもしなきゃならない」という強迫観念を調和のリズムで緩和してゆきたいものだ・・・。父への相談は奥様に相談したうえで公表することとしよう。DAD-001の故障疑惑も晴れたし、まあ「良かった良かった」というところ