《10月15日》①
この日のスケジュールのメインは「オルセー美術館」。
朝からの行動は後述することにして、まずは「オルセーへ!」
「オルセー美術館」
1900年のパリ万博のために建造された元ターミナル駅舎を美術館に改装したもので、ドーム型の硝子の天井や大時計に、当時の面影が残る。
「オルセー美術館」は原則として、19世紀(2月革命のあった1848年頃から第1次世界大戦勃発の1914年)の印象派を中心とした美術品を所蔵。それ以前は「ルーブル美術館」、以降は「ポンピドゥー・センター」にと棲み分けされている。
美術・芸術に詳しくないので、撮った写真を並べておく(順不同)。
ちなみに、連れ合いたちが行った2月は撮影禁止だったそうだが、この時はフラッシュなしならOKだった
なんせ、もともと出来の悪い記憶装置が加齢とともに劣化が進んでいる。写真にでも撮っておかなければ、即忘却の彼方へと飛んでいってしまうので、撮影OKはとっても有り難いのだ
しかし、人を写さずに撮影するのは至難の業
自分の気に入った作品・好きな画家の作品のほんの一部を、隙間から、あるいは空きをみてパパッと撮ったので、斜めだったりブレブレだったり、それも無理なのは諦めて……
◆ヴィンセント・ファン・ゴッホ
自画像(1889年)
オーヴェールの教会(1890年)
アルルの寝室(1889年)
◆エドゥワード・マネ
黒い帽子のベルト・モリゾ(1872年)
草上の昼食(1863年)
イルマ・ブルーナー(1880年)
◆クロード・モネ
青い睡蓮(1916~1919年)
睡蓮の池とバラ色のハーモニー(1900年)
右を向くパラソルの女性(1886年)
ひなげし(1873年)
バ・ブレオの道(1865年)
サン・ラザール駅(1877年)
菊(1878年)
◆ジャン-フランソワ・ミレー
羊牧場と月の明り(1872年頃)
羊飼いの少女(1864年)
落穂拾い(1857年)
小麦をふるう人(1848年)
◆ピエール・オーギュスト・ルノアール
都会の踊り(1883年)
横になった裸、背中からの眺め(1909年頃)
ムーラン・ド・ラ・ギャレット(1876年)
ピアノを弾く娘たち(1892年)
◆ポール・セザンヌ
セント・ヴィクトワール山(1890年頃)
カードをする人(1890~1895年)
メダイヨンのある静物(1872年)
ギュスターヴ・ジェフロワの肖像(1896年)
座った農民(1900~1904年)
水浴の男たち(1890~1892年)
水浴をする5人(1900~1904年)
メンシイ橋(1979年頃)
タマネギ(1896~1898年)
リンゴとオレンジ(1899年頃)
果物籠とスープ鉢(1877年頃)
◆ジャン=バティスト・カルポー
「地球を支える4つの世界」(1872年)
◆アントワーヌ・ブールデル
弓を引くヘラクレス(1909年)
かつては線路があった(?)中央通路には、多くの彫刻が展示されていたのに、なぜか写真はほとんど撮っていなかった
窓の下にチュイルリー公園、遠方にサクレ・クール寺院も見える
見逃したものもあるだろうが、他に貸出中も大分あったような
どうしても見たかった作品が見つからなかったので、近くにいたスタッフにパンフレットの写真を指しながら尋ねてもらったのだが、通じない。
彼の身振りから連れ合いは「ここでは分からないから、他を当たれ」ととったが、私には「ここにはない」と言ってるように見えたので、いつもの如く日本語と手振りで「ここ👇には、ないの?× どこかに貸出中?➚」。「ウィ」。
「どうやら、見つからない物は貸出中みたいよ」と得意気に連れ合いに告げた
ランチタイムも含めてだが、「オルセー美術館」には約4時間近く滞在。
地上階から中階、上階まで踏破したが、それでもまだ、人込みでゆっくり見られなかったのが残念な作品もある。
ゴーギャンを見た記憶がないんだけど……
13時20分に外に出た時も、まだチケット売場は混雑していた。
タクシー乗場にも行列が
セーヌ河岸をブラリブラリと歩いて、ルーブル美術館前の広場に通じるカルーゼル橋へ。
【些事些細】
3日の文化の日から快晴が続き、暖かく心地良い毎日だったが、今日は久し振りの曇り空で、気温は19℃近くあるにもかかわらず、少々涼しい。
先ほど(22時45分)、茨城県南部で地震発生。
マグニチュード4.9、震度最大4。
当地方は震度2だそうだが、かなり大きく長く揺れたよ。
どうも機械の計測より人間の体のほうが敏感な気がするよなぁ~
最近John-Hoonは、「可愛くて、頭が良くて、真面目で、…」のイメージからの脱却を狙ってるんだろうが、自虐的すぎないか。
何でもかんでもあからさまにすれば、受けるってもんじゃぁないのになぁ