渋沢栄一の話は続くが、子供の頃、7歳の時から尾高淳忠(従兄・富岡製紙場初代場長)

に論語を学び、後の実業家になり、それがいかされるのである。

大正5年(1916年)「論語と算盤」を表し、道徳経済合一を説いている。

またその理念が端的に次のように述べられている。

 

○冨をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。

 正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。

 

○事柄に対し如何にせば道理にかなうかをまず考え、

 しかしその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、

 さらにかくすれば自己のためにもなるかを考える。 

 そう考えてみたとき、もし、それが自己のためにはならぬが、

 道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、

 余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。

 

さて、柔道の話になるが、タイトルにあるように、柔道を通じて道を学ぼう!を

滴水館道場の門下生に対しての心のスローガンとしている。

道とは道徳心であり思いやりの心である。

そういう自分自身は道徳を実行しているか。思いやりの心はあるのかと言えば、

なかなか実行できないのであるが、僅かでも努力できれば・・・とはと、思っている。

いつだったか大会の時、玄関に何百という靴が乱雑になっていた。

それをうちの道場の子供が揃えていたということを閉会の挨拶の中で

主催者の挨拶者側の人が話してくれた(前のブログ中)

私は、その揃えた子供は誰なのか探して、聞いてみた

「あんなにある靴を揃えたのか?・・・」

「自分のと、周りの2,3の靴だけです」と、答えた子供・・・

その、消極的だけど・・・その気持ちが大切だと思う。

微力かもしれないけれど・・・

 

もう1つそれは一見、自分にとって損であるかのようにみえる。自己犠牲にみえる

かもしれない・・・それは自分の心を少しでも向上するためと考えるであるなら

どうだろう・・・自分のためになるだろう。

 

そういう道場にしていくことこそ、

滴水館の創立者、清水正一先生がいう青少年の育成のために道場を建て、

一滴の水やがて大海をなす・・・1人が大勢になっていくという意味もあるだろうが、

一方には、そういう思いやりの心や道徳心が国のためになっていく・・・

そういう意味があるのではないかと思っている今日このごろである。