私が戦国武将を10段階評価したら 鎮西大名編 | うぃんどふぇざぁ

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歴史とゲーム好きの小人族の一人がなにやらもそもそするブログ

【大友宗麟】
武略5、軍略6、戦略8
策略6、計略6、謀略9
政務4、政治6、政略9
この人はどう評価していいか分からない戦国大名No.1じゃないでしょうか。
愚昧というには余りに優れた実績があり過ぎるけど、英邁というには余りに愚かしい行いも多いっていう…
私が思うに彼は大局的なビジョンは見えるし描けるけど、ちょっと夢見がちな部分と自分に甘い性格。順風な時は長所が輝いて、逆風の時は短所が足を掬うような(* ̄▽ ̄*;
ただその慧眼だけは本物で、あの謀神・毛利元就さんをも翻弄して撤退させる神業を見せるほどの外交力の持ち主でもあります。

【龍造寺隆信】
武略7、軍略7、戦略8
策略6、計略7、謀略7
政務6、政治7、政略8
この熊さんについてよく失念しがちなのが、彼は最初から戦国大名じゃなかったという部分です。家督を継ぐ前は僧籍だったとかそういう意味じゃなく…
龍造寺氏はもともと守護大名少弐氏の被官
で、周辺の国人衆と同格でした。大内氏や大友氏という巨大勢力に翻弄される少弐氏。肥前のチート爺こと熊さんのひいお爺ちゃん家兼さんが逐われたように、周辺諸氏みな策謀渦巻く後背常ならぬ地域。そりゃあ熊さんも冷酷果断に育つでしょう。でもそんな性格だからこそ、そんな中から抜きん出て戦国大名にまでのし上がったと言えます( ・`д・´)
「ナベシマンが龍造寺の全て」とか「釣られクマー」とは言わせません!

【肝付兼続】
武略8、軍略7、戦略6
策略6、計略6、謀略4
政務7、政治6、政略6
ゲームでしか肝付家を知らない人にとっては島津のエサその1ってイメージでしょうけど… 兼続さんは大隅国をほぼ統一して日向の豊州島津家も駆逐し最大版図を築いた英主なのです!
チート一族だ戦闘民族だ言われる島津家と各地で戦い何度も退け、島津貴久さんの弟忠将さんを敗死させたり、野太刀の達人で筆頭家老の薬丸兼政さんは鹿児島城下まで攻め込んだりetc.
肝付一族にはご先祖様で薩摩に下向してきた伴兼行さんが伝えた野太刀(陣太刀)の技があって、代々継承してきた野太刀流を以って各地で暴れ回る彼らもまた隼人なのです(「・ω・)「ガオー
倭寇がこの野太刀流の遣い手だったことからも分かる通り倭寇の元締めという裏の顔も…
これらのことや海外貿易で富を得ていたことも誰も知らない肝付氏は不遇です(T_T)

【伊東義祐】
武略7、軍略7、戦略6
策略6、計略7、謀略6
政務5、政治7、政略7
)
ちなみによく家臣に組み込まれてる土持氏は独立した勢力で、平安時代から日向に地盤を構える古い一族です。伊東氏とは頼り頼られ、利用し利用され、結び争いしてきた因縁浅からぬ仲。
義祐さんは家督争いを制して家中を統制。北の縣土持氏とは争わず南へ侵攻して、飫肥の豊州島津氏、都城の北郷氏(島津庶流)、真幸院の北原氏(肝付庶流)などいずれも本家とは独立し隆盛を誇った大名を駆逐し日向をほぼ統一しましたワーイヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノワーイ
しかしその権勢に奢るようになった義祐さん。京風文化に傾倒して官位も従三位まで昇り、金柏寺とかいうどこかに本物がありそうなお寺とフラグを建てたのです(´・ω・`)
島津に逐われた後は秀吉さんのもとへ身を寄せて、息子さんが出仕したあとは気ままに放浪の旅へ出ました。その最期は病を得て息子さんの屋敷へ向かう船上で重篤となってしまい、面倒に思った船頭さんによって浜辺に捨て置かれてしまい…
なんとか屋敷に運び込まれたもののそのまま亡くなりました(´;ω;`)



なんか三位入道さんだけやけに長いですね…
まぁいいでしょう( ・`ω・´)

九州はなんというか南北朝の動乱以来の勢力図というか因縁というか、そこをベースとした意識が残っている感じがします。
北部は本州との玄関口で博多、太宰府、九州探題と混沌の坩堝。対して南部は古族が蟠踞する熊襲隼人の地。
戦国時代の九州はあまり注目されないですけど、一部の歴史好きからは修羅の国なんて呼ばれてるように将卒の違いなく苛烈な人が多いおっそろしい西海の煉獄ですw