ANENZEPHALIA - Lurking in the shadow of the broadcast empire

 

ANENZEPHALIAは所謂世の中、社会と対峙し戦うというBRIGANT MOLOCHの決心の元に活動してきたプロジェクトではあったが作品として表面に出てくる表情/感情の殆どは虚無的なものであった。曰く、「終末の断片」、「かりそめの夜明け」、(最早そんな物は存在しないという寓意を込めての)「新しい家」、「冷たい世界」、「反射して光る空虚」などなど。あくまでも主体=ANENZEPHALIAは後景に退き、その世界の変容、もっと言うならば凋落していく様をただ観察者の目を持って見、見たままを活写していた。

 

活動休止から活動を再開する中で2024年9月に父は闘争継続の為に自分の血を分けた娘をこの勝ち目のない戦場と言う修羅場に引き摺り込んだ。引き摺り込む方の意志も相当なものだが飛び込む方のそれも並々のものではない(しかしながら情報を集めてみると彼女自体も表現者であり絵画(インスタレーションかも知れない)制作やバンド活動もしている由なのである程度の勝算と言うか、見込みがあっての動きではあるようだ)。

 

彼女の加入は明らかにANENZEPHALIAの態様を変えた。タイトルにある様に自分がどこに居るかを明らかにしている=自分の立ち位置を宣言しているのが何よりの証左であると思う。同様に大きな戦術の変更は、恐らく、無い事も裏ジャケット最下段に書かれた「口を開こうとしなければ沈黙させられることもない」というディストピア的警句を見ればわかる。

 

冒頭の分かりやすい導入部は娘のアイディアであろうか。だがしかしその親しみやすい導入部は直ぐに黒い濁流に飲まれる。時々人とも獣ともつかぬものの咆哮が聞こえ、神経質に一定の間をおいて警戒心を呼び起こすような雑音が鳴る。その無脳症お得意のディストピアの描写が終わった後に状況は一変する。「我々は存在を無視された市民である」と若者の声が聞こえてくるのだ。「我々の準備は整っている」とも。「祖国の名の下に~」と聞こえる(不詳)部分まである。過去作全てを再度聴いているわけではないので断言は出来ないがANENZEPHALIAが「我々」と言ったことは一度も無いのではないだろうか。あくまでも彼は観察者若しくは絶対者であって一緒に行動する事はしなかったはずだ。この辺りは正に若い血の成せる業であると思う。

 

以降も基底にあるのは当然ながら30年以上活動を続けているANENZEPHALIAの変わらぬ姿だが希望の欠片もないような灰色の音の流れに強い意志を込めた女性の声が被さったり、様々な抑揚をつけて「私に頭を垂れろ」と言ったり、無明の中で「私に付いてきなさい」(!)と微かな声で伝えたりする所は、当たり前だけれど、女性の存在が無ければできなかったことで彼等が音で表現できることの幅がより大きくなったと言えるだろう。

 

最終曲 noise shed は先日行われた RITUALS OVER LIMBURG IV では客席に入った父とステージ上での娘の掛け合いがあった模様が公式動画で流れており彼女の加入(によりWilhelm Herichと併せ三人組となった(?)ライブアクトとしての)ANENZEPHALIAのこれからのステージングも楽しみである。

 

PS.当初は WE を(私達)皆んな と読んだが「我々」と読み、不敵な自己紹介と読んだ方が良いかもしれない

 

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