Erehwon,三浦一壮@ゲバルト展 東京日仏学園 2024.06.16

 

LINEKRAFTのテッド・カジンスキーに捧げるTシャツを着て、DISK UNIONの中古カセットセールで買ったCON-DOM"Shards of ordnance",Xenophobic Ejaculation"Vala"と”Live 15/12/2012 Night And Fog Over Finlandia”を鞄にしのばせ、ゲバルト展にErehwonのライブを見に行くという主張・思想的に破綻していた土曜午後。

Erehwon。先日、会場を訪れた際に2階の小ホールでやると石川雷太さんからお伺いしていたのだが何故か始まったのは1階小ホール。防護服にガスマスクの二人。一人は恐らくガイガーカウンターを持ち、もう一人は緑色の袋を大事そうに胸のあたりに抱えている。展示室内を歩き回り、我々30人前後(?)の観客をぞろぞろと引き連れエントランスから外へ。立て看の前を通り抜け、芝生へ。物珍しさにどこからか集まってきた子ども。ガイガーカウンターのピー、ピー、という作動音が鳴る中でメンバーの一人が緑色の袋の中から骨(恐らくは牛のもの)を取り出し、一本15cm程度のそれを一本一本芝生の上に丁寧に並べていく。並べ終えるとまた我々を引き連れて建物内に入り、2階の会場へと導いていく。ステージの中央には「放射性廃棄物」、「東京電力」、「福島第一原子力発電所」と書かれた黄色のドラム缶。その後ろにはいつものErehwonのセット。その横に牛の頭骨。一人がドラム缶上部を指揮棒の様な鉄の棒2本で機械仕掛けのような動作で叩く。未来派宣言が機械音声で読み上げられ、水爆実験の映像が流される。その発する音は色彩のないハーシュノイズそのもの。ドラム缶を叩く人の目をガスマスク越しに見ると眦を決して前を向き、また殆ど瞬きをしていない。「こういうところが本気(プロ)の凄さなんだよな」と思いながら、昔読んだ本の「芝居とは関係なく、芝居が進んでいく横で椅子から骨折するまで転げ落ち続けた現代芸術家(名前失念)」の事を思い出していた。音は轟音のインダストリアルと化し(これが先の大阪のゴリラホールであれば歓声を上げたろう)戦場が画面へ移される。また映し出される半減期一覧と生き物の寿命一覧。一方が「億年」という単位まで出てくる中、生き物側はせいぜい80年くらいである。それでも最後には「空を見上げること」が称揚される。何か目に見えるものをそこに置けば多くの人が空を見上げるであろうと。我々には空が必要であろうと。最後は牛の頭骨を持ちながら外へ再度出て行き、先ほど置いた骨の後ろへそれを置く。その後、2人はガイガーカウンターを持ったまま別棟の中へ入っていった。

このライブの数日前にミシェルウェルベックの「滅ぼす」を読み終えた。それは平たく言えばブルジョワ公務員の夫婦のうち男の方が死に行く際にその女房が「私たちは二人とも生きるのが下手だったね」みたいな「それなんてエロゲ?」レベルの戯言で終わるというどうしようもない(個人の感想です)ものだった。Erehwon、混沌の首はまさにその逆というか「生きる」ことに「上手」も「下手」もないと体現している人たちだと思う。それはいつぞや阿佐ヶ谷のイヴェントで私がAnenzephaliaの活動の中核部分を話す際に発した言葉、「”それを笑うかどうかは兎も角として”彼はその活動を通して世界を変えたい、変えられると思っているからバンドをやっていたのだ」に通じるものがあると思う。下手、上手、コスパ、成果なんて全く関係がない、意味がない。自分の(アーティスト若しくは人間としての)意志があるからそれをやるのであって何かをやることによって何かが還元されるであろうという期待がその行動の原動力になっているのではない。それが、この計算高い=貧乏くさい世界の中で、彼らを空にある点の一つとしてあらしめるのだろう。芸術はアジールである。そのアジールから出てこない人は私や大多数の人からすれば他人である。他人が何を言おうがたいていの人はその言葉に耳を傾けないだろう。ただその人がアジールを都市ゲリラ、パルチザン的に恣意的に使い、アジールと外部を行き来する人だったらどうか。幾人かはその声を聴くのではないだろうか。一人二人のレベルでも彼らの声を聴く人が増えたなら世の中の体制を1ナノメートルだけでも動かす力にならないだろうか。真摯な表現者を見たり、読んだり、知ったりする中でいつもそんなことを考えている。

トリは三浦一壮さんのダンス。力の籠った声で唱えられる真言(?)の中を高下駄を履き階段を下りてくる。赤い紐を左足首に巻いて。小ホール内の空間を広く使い場を巡回していく。赤い紐を引きながらエントランスから外部へ。反対側の建物の教室(?)にいる人達が気付くといいなあと思ったがなかなか気付かれない。その代わりにベビーカーを押した3人家族が足を止める。先ほどErehwonが置いた牛の骨の前で体を投げ出し転げる。周りにはお弟子さんであろうか。定点でカメラを回し続ける一人と忙しく立ち回り角度を変えてカメラを回す人が一人。一挙手一投足を執念で記録している。終了後、87歳、満州から6ヶ月かけて難民として日本へ帰ってきたこと、それでもまだ戦争はなくならない事などが語られ、最後に「これからの日本をお願いします」と身に余るお言葉が投げかけられた。周りにいたのが30人前後の人たちであったがこれがいつか300人以上の仕事帰りのサラリーマンになったらと当分はあり得ないであろうことを夢想していた。

帰りは少し遠回りをしてJR上野駅に立ち寄った。ターミナル駅ではあるがここには東京駅では感知できない空気がある。それは、非首都圏を美化するつもりはないが、矢張りまだ日本に残っている「打算的でないもの」があちこちから集まってきているからだと思っている。損得で決められるものではない非合理的である何か。それが上野駅から上野駅前辺りにはまだ感じられる。何をやっても垢抜けない空間が東京のど真ん中にもまだある。中央改札を出て今更気が付いた。私がここが好きなのは天井が高いからだと。正にそれはErehwonが言う「見上げる」という行為を可能にしてくれる場所だったのだ。

 

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