Skin Job / P.I.G.S. @落合SOUP 2024.06.08

 

来日時から体調の良くなかったらしいPuce Maryがキャンセルとなってしまったこのイヴェント。2016年のGRIM初ドイツライブの際に旧共産圏の優良党員の様な外見でインダストリアルを奏する姿が非常にサマになっていたし音も良かったので再見したかったが残念。

会場に着いた時にはすでに始まっていたSkin Job。何度かライブを見て私の中では一つのスタンダードである欧州インダストリアルの諸バンド達と並べても全く遜色のない人達であることは十分に認識していたが1分前まで中華料理屋、銭湯、前よりもきれいになった(?)会場への階段などという日常極まりない光景に浸っていた全くの無防備状態からいきなり耳に入ってきたその音はとにかく凄まじいものだった。脅しつけてくるようなボイスと絶叫、何らかの構造を下部に有しながらも”荒れ狂っている”インダストリアルノイズ。音が荒んでいるという表現は日本語としてどうかと思うが何らかの言葉で表せと言われればそう言うだろう。若しくは音の治安が悪いとか人を粗暴にさせる音とか。「これはたまらんなあ」と思いながら私は「もっと世紀末みたいな所で聞きたい」と考えていた。荒れ果てた地下室。冷戦が終わる前の欧州のどこか。窓ガラスが割られた色彩のないコンクリートの街。本当なら通りたくない地下道やトンネルとうずくまる麻薬中毒者やアル中。そんな光景を見てきた後で彼らの前に辿り着いたなら「ああ、やっぱり今見た光景も含めて俺の居場所はここだし、この音は俺を取り巻く世界そのものだ」と感得出来たのではないかと思う(勿論、昨日の会場がどうこう言っているのではない)。帰宅の際に駅までメンバーの方とご一緒した。聞いてみると「今回は色々忙しく録音はしていなかった」とのこと。ライブは基本的に一期一会と心得てはいるがあれだけのものが、全く同じ演奏という意味では、一回限りというのは「勿体ない!」と思いつつもその事実は同時に何らかの覚悟をこちらにも求めてくるように思えた。

P.I.G.S.。一度見た記憶があり「覆面の垂れ流し系の人だよな」と思っていたらそうだった。始まりと終わりは当然あるのだが起承転結とは一切無縁のノイズがただひたすらに流されていく。昔のFM誌なら間違いなく「自己陶酔」だの「オナニー」だの喜んで書き立てたあろうが今はHNWという便利な言葉がある。ただしかし個人的にはそんなものとは無縁に聴きたい(御本人がどう思っているかは不明)。脳内麻薬がどうたらとかエンドルフィンがどうたらとかどこかで聞いたようなクソみたいな言葉しか出てこない中、今ふと思いついたのが太宰治の昭和二十三年発表作「人間失格」。「ただ、一さいは過ぎて行きます」。これは良い。「意味を喪失した」、「徹底したニヒリズム」などと言うのすら馬鹿らしいほどに流されていくノイズ。ノイズにやられたのか何人かが後ろに下がりその空隙から見る御本人は俯いて機材を操作しているが音が劇的に変わることはない。その昔、SUKORAという殆ど聞こえないくらいの音で単音を出す人がいたがその正反対にあると同時に実は同じ地平にいる様な人。無観客ライブ、ライブ会場をブッキングして本人は現れない若しくは観客すら入れないで誰もいない空間を一定時間作り上げる、永遠に終わらないSNSでのライブ配信なども可能であろう。しかし、Puce Maryはどの様なコラボレーションを彼とするつもりだったのか?黒には何色を混ぜても黒にしかならないし、0に何を掛けても0にしかならないのだが、、、そう思うとPuce Maryも見たかったな。

ライブの余韻に浸りふと気が付くと駅番号「T4」の早稲田。ここを通るたびに戸山陸軍学校跡地で発見された人骨に付いての報告会に行ったことと90年代初頭に訪れたベルリンのTiergarten4番地=T4の雨の日を思い出す。あの頃そこにはここで障がい者達への「安楽死」(本当はそんなものでは全くないのだが)計画が練られたことを示すようなサインは全くなかった。

 

写真:カシューナポリ/MM   ベストショットが決められなかったSkin Job2枚とP.I.G.S.