SADIO-Copycat Killer

陰惨で暴虐なノイズの懐メロカバー集。ノイズの1983年(だったか?)黄金時代説は某レコード屋オーナーさんの持論であるが、1983年という1年に限定は出来ないであろうものの、ノイズ自体は色々と分派しながらも元を辿れば行き着くところは80年代=ノイズ黎明期にやたらと喧伝されたアレやコレやの女子供お断りという2024年の「世間とはこうあるべき論」からは遠く離れた地平であるに違いない。少なくともある一定の人たちにとっては、事実はどうあれ、「そうであるべき」という意地というかフェティッシュというかなものがあると思う。そういう人がノイズ回顧録みたいな物を作るとするならばそこに列挙されるものは当然に止め様もない性欲であり、暴力(我儘)であり、誇大妄想である。この様に一般的にダメとされるものを殊更に喧伝し、目の前に突き付けることに(ある意味幼稚な)嫌がらせ以外の何の意味があるのかと思う人が大多数であろうが回顧録を作る人がいればまたそれを手にする人もいるわけで、その人達は、違法な手段を使わない限り、身銭を切ってその回顧録を手に入れているはず。何故に時代遅れの思想:回顧録に拘るのか言えば端的に「好き」だからであろう。「好き」とは何とも単純な言葉であるがこのふわりとした世情の中で「好き」という感情を真摯に持つ事すら出来ない輩がいる中でなんと尊い言葉だろうとしみじみ思う。
「ノイズ」をお洒落小物だと思っている人間にとってはゴミ屑に等しい物であり入手する必要は欠片もないが、暴発しそうな自我を持て余している向きには90年代初頭から80年代に遡るノイズ・インダストリアルの古豪達への良き道標となるのではないか。それにしてもthanks to:に記されているバンド群も今や風前のともしび状態。悲しくもあるが、こんな時代の中でも、Don't say I've forgotten と言わんばかりにこういうアルバムが発表されるのであればこの得体のしれぬ時代の中でも陰惨でゴミの様なノイズ、デスインダストリアル(一時期聞かなかったがまたよく使われるようになってきた気がする)はサミズダート的な地下生産物として生き残るであろう。

 

Primary