休日の夜、公園は思ったより静かだった
これは先週の話ですがあえて
街灯の明かりが木の枝を淡く照らし空はまだ完全には暗くなりきらず
青と群青のあいだをゆっくり沈んでいくようだった
私の隣にはS子さんそして少し離れた場所で
姪のMが小さな天体望遠鏡をのぞき込みながら何度も角度を変えていた
「うーん……見えない」Mが口を尖らせる
S子さんはくすっと笑って望遠鏡の脚を少し持ち上げた
「焦らなくていいよ。急がれると、星も人も、少し意地悪になりたくなるから」
「え、星ってそんな意地悪なの?」
「ええ。たぶんね。今はまだ、簡単には見せない顔をしてるだけ」
その言い方がどこか艶っぽくて私は思わず横を見た
S子さんは平然としているようでこういうときの声だけが少しだけ低くなる
その微妙な変化に妙に心を持っていかれる
Mは不満そうにしながらももう一度のぞき込んだ
私は隣のS子さんに小さく言った「聞かせるの、うまいね」
「うまいんじゃなくて、待つ時間そのものが嫌いじゃないだけ」
彼女はそう言って、空を見上げた

その横顔には静かな余裕があった焦らず、追わず、けれど離れない
そういう距離の取り方がいちばん人を惑わせるのかもしれない
Mが突然声を上げた「あっ、見えた!」
「どれどれ」S子さんがすぐに身をかがめる
望遠鏡を覗き込んだMの顔はさっきまでの不満が嘘みたいに
明るくなっていた
「ほんとだ。なんかちっちゃいけど、光ってる」
「それが星だよ」
S子さんはやわらかく言った
「遠くて、ちっちゃく見えても、ちゃんとそこにある。
見つめ方ひとつで、星も少し表情を変えるのかもしれないね」
その言葉を聞いた瞬間私はなぜか息を飲んだ
星の話なのにずいぶん人を試すような言い方をする
いや、試しているのではなく確かめているのかもしれない
Mは首をかしげる
「遠いのに、どうして見えるの?」
「光が届くから」
「えー、それだけ?」
S子さんは少しだけ間を置いた
その沈黙が、やけに長く感じられた
「それだけじゃないよ。見ようとする人がいて
ちゃんと受け止める人が揃うと、星も少しだけ近づいてくる気がするの」
私は思わずS子さんを見た
彼女は空を見たままこちらには気づかないふりをしている
けれど、あの言葉が誰に向いていたのか、わからないほど鈍くはない
Mは「ふーん」と言いながらまた望遠鏡をのぞいた
その無邪気さが今の私たちには少し眩しい
しばらくして、空に一つ、また一つと星が増えていく
S子さんが「あれがベガ」と指をさし
私は「こっちがアルタイルかな」と答える
「それははくちょう座だよ」
「へえ、鳥にはちょっとー」
「空を飛んでるみたいに見えるでしょ!強引にでも無理くりでもー」
「ほんとだ。動きそうと云うことでー」
Mの言葉にS子さんがふっと笑った
「動かないから、余計にきれいなのかもしれないね。
触れられないものって、かえって忘れにくいでしょう?」
その一言が、やけに深く残った

私は彼女の横顔を見ながらこういう人を好きになったんだと、あらためて思う
派手ではない押しつけがましくもない(ことにしておく)
でも、言葉の端々に温度があって気づけばそこに引き寄せられている
「ねえ、S子さん」
Mが望遠鏡から顔を上げて言った
「今度は、もっと星がいっぱい見えるところに行きたい」
「いいね」
「どこ?」
「そうだーなッ八ヶ岳。あそこなら、もっとたくさん見えると思う。
静かで、少しだけ特別で……人の気配も、今よりやわらかく感じられる空だから」
「ほんと?」
「ほんと。あそこなら、今夜よりずっと星が近く感じるはず。
……それに、少しだけ気持ちもほどけるかもしれない」
「みんなで行こうよー?」
私は少しだけ笑った
「わかったーわかったーもちろん行くよ」
「じゃあ、みんなで行けるね」
Mが嬉しそうに言うと、S子さんは私の方を見た
ほんの一瞬だけ、目が合う
「Mの家族も一緒に行けたら、きっと素敵ね。
賑やかでも、あの空ならちゃんと受け止めてくれそう。
……でも、ほんの少しだけ、静かな時間も欲しいかな」
最後の一言だけ少しだけ温度が違った胸の奥がざわつく
「そうだな」
「今度は、ゆっくり星を見よっかー急いでしまうには、少し惜しい夜だから」
その言い方がただの予定ではないことくらい私にはわかった
彼女の距離感やこちらに向ける静かな親しさが全部詰まっている気がした
Mが「いつにする?」と無邪気に言う
S子さんは「じゃあ、ちゃんと計画しないとね」と笑った
私はその横顔を見ながら少しだけ黙っていた
八ヶ岳の夜空の下では、今日よりもっとたくさんの星が見えるだろう
けれど本当に見たいのは星だけではないのかもしれない
彼女がその夜どんな表情で空を見上げるのか
どんな声で「きれいだね」と言うのかその隣でどんなふうにしようか
そんなことを考えながら私は静かにうなずいた
「行こう。みんなで、もっとたくさんの星を見に」
そして
それとなく指輪のサイズを聞いておきましょう






