皆様、明けましておめでとうございます、2021.1.1. | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

皆様、明けましておめでとうございます。

大事ございませんか?

 

昨年 2020年は殺伐とした年でありました。

 

その100年前、「スペイン風邪=当時の新型インフルエンザ」が世界を蹂躙、

世界総人口20億人到達20-30年ほど遅らせたといわれております。

 

さらに、その約100年前、1823年、コレラ(モトモト、インド亜大陸ガンジス流域の風土病)が

日本初上陸。出島から、侵入、一気に東進したものの、、大井川の駿河側で力尽きました

 

病というものは、どこから降ってくるものやら物騒な物でありますね。

 

本年は、皆様によき日が続きますよう、御祈念申し上げます。

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  皆様への、チョット、ウシろめたい 年賀状

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「牛呂宮亭蘭丸」の件:私の世代(昭和30-50年代が高校大学生)の

               辣腕外交官「後宮虎郎/うしろく・とらお」氏がモデルであります。

<御略歴>

1914(なぜか一次世界大戦勃発年、大正3、のお生まれ) -1992、平成4年

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御尊父は後宮淳氏

      東條内閣時代(この時東條氏は首相+参謀総長兼務)の参謀次長(1944..2-

      最終:陸軍大将(1942.-)、

                    第三方面軍司令官,1944.8-

                                   (司令部・奉天、隷下部隊:2個軍[7個師、1個独立戦車旅]+

                                 軍直隊[2個師、3個独混旅、1個独戦車旅]

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虎郎氏の、社会人生活は外務省お役人/軍人さんから出発しています。

東京帝大法科卒後、就職していた外務省から1938年、輜重二等兵として出征。終戦時中尉。

終戦間際のゴタゴタがあったとしても、陸大出身者でないものは<目一杯頑張って>中佐どまりが

慣例とされた軍隊内のしきたりに7年で中尉までの出世は異例*

父上の影響があったか

帝大でが影響したか

復員後、外務間に復帰、1962年、日韓国交正常化に貢献後、66年、オランダ駐在大使、68年タイ

駐在大使。72年韓国駐在大使ー材に人期間中金大中事件に対応。

かくのごとく、戦後も大尉篇だったようです。

 

*陸大を出ていれば、学内成績悲惨+実践センス ゼロ でも 犯罪

(特に軍紀違反・汚職<賄賂>)をやらかさなければ中佐まで行けたようで、

フツーに活躍していれば少将になれたとあります。

 

*私の知る限りでは、「陸大出身者」でないのにもかかわらず

少将まで出世した軍人さんに 千田 貞季 せんだ さだすえ 氏がいます

士官学校は出ており、

同期に小笠原109師団長の栗林中将がいました

栗林中将は、小笠原兵団指揮中に大将となり(帝国軍隊で一番若い大将、50歳ー

ドイツ国防軍では50歳の大将は結構いました、この上に上級大将がいたからだと思います

例えば「マイントイフェル君、「紺碧の艦隊」では<G.F.マインフェル大将>、実在の人物は

47歳で装甲兵科大将に47歳で昇格した<H.E.マイントイフェル大将>」

それはさておき

栗林中将が小笠原防衛に当たり、腕前を見込んで、師団内の歩兵旅団の指揮をとらせるため

内地から読んだ傑出した軍人で、小笠原戦で戦死、この後中将になっています。

 

 

なんだか、年賀状でなくなっちゃったね

 

皆さんすいません。

 

今年もよろしくお願い申し上げます。

 

 カラスのクンセイ 拝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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