<割り込み短報>H30.5.20,北海道新聞・朝刊、第一面より | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

 

皆さん、こんばんは。

今日(もう次の日になっちゃった)は、私の住む地域の地方紙で、最有力紙の

「北海道新聞」にのった「歴史研究」もなんでもありか?

を感じさせる広告を見つけましたので、ご高覧賜りたくこの場に載せてみました。

*********「北海道新聞、H30.5.20/朝刊、1面広告***

 

****

出版社も「河出書房」さんですのでオチャラケとは思えません・・・

 

高校卒業以来(S50=1975)、日本史の新発見には目を見張るものがあります

 

・三内丸山遺跡・・・太古のことだからそのころ(縄文) から計画的農産物栽培を

             一部の地域で行っていたなんて、誰も思わないよね。

                          紀元前3500-2000年ころのお話だそーで、以前から存在が

            ささやかれていたそうですが、2次大戦などでの資料の焼失トカ

            不運もありやっと環濠型遺跡が、学問的に、一般的に認められました。

            このころ、計画生産で増収が見込まれる栗の北限が、この地でした。

            現在の、北限は小樽市・手宮公園とされております。

            両者の緯度は各々北緯40.8度、43.2度。約270km離れています。

            ぢゃ、4-5000年の間に「クリの北限」は270kmホクジョーしたかといえば、

            最近の日本の最温暖期は西暦1000年頃と言われておりますので

            (私は源氏物語や枕草子、トンボ日記=え?蜻蛉カゲロウ日記って読むだか?は、

            夜通し暑くてどーしよーもなくなった女官殿たちのウサバラシと考えておりますが

            いかがなもんでしょ?)

            結局、北限距離は約1000年で270km,または2.4度/1000年詰まりました

            (270/1000=0.27km/年 or 0.0024度/年北限上昇)

                       

                          この調子で参りますと、北極点までの(90-43.2=46.8)度は

            46.8÷0/0024=19500年後には地球温暖化で

            「ついに<栗の北限が北極に!!>」・・・・という事にはなりません

 

            ⓵約2万年も離れていれば、今の寒冷期が、温暖期に折り返しが来る。

            ⓶北極は「南極大陸」と違って大地がありません。だから「北極大陸」と

              いいませんでしょ?植物が育つ場がないんです

              え?浮島型のプランターならもんくはないだろうって??

              本文の論旨とずれるのでキャッカします。

 

・「聖徳太子」と呼ばれるお方・・・574年生まれ?

              小学生のころまでは、教科書に、「一万円札」に「聖徳太子様・・・と

              あるいは、我々の世代は

              「周囲の10人の話を聞いて、それぞれにたいして

              平等で適切な意見を述べ慰撫したと伺っておりました・・・が!??

              それが、次第に、「伝・聖徳太子」

              ⇒正倉院の「聖徳太子」とされる人物像の「ひげ」の部分は後世

              書き加えられたと「このたびレントゲン検査で判明」

              「科学的検査は古代ロマンを打ち砕く」とは

          「広辞苑・新編第7版」にも載っておりませんでした

              その後も「厩戸皇子様とかいろいろ              

 

・大化の改新 645年 今の教科書はなかったとになっているんでしょ?

 

ーーーーーこの辺までは、1490-1500年前の事ですもの。たくさんのひと眼 があっても

       じょうずの手からなんとやらで、たまにはおちるでしょうね

 

*1192作れなかった鎌倉幕府開府・・・1185ねんになりましたっけ

      ナニヤラ 1185年は、政庁を開いてジジツジョー幕府を始めちゃったぞ!

      とゆー年で・・・最近の受験の語呂合わせは「イイハコ作った鎌倉幕府」

      なんだそーで。

      たしかに、まず新しい政治をするにあたっては、「新しいハコモノ=ある程度の

      建物」が必要でありましょうからなかなかいい語呂合わせかと?

      しかし、そこは、用心深い「ヨリトモ」さんのことでありますから、

      小高い丘の上、しかも上り口は決まっている「鎌倉八口」のてっぺんに幕府を

      開設します。

      どこでどー覚えたのか知りませんが、布陣は「朝鮮式山城」であります。

      また「鎌倉」は、一説によりますと

      アイヌ語で「桜咲く・丘」とか?

      侍の心の片隅に、どこか休息を求めていたのでしょうか??

 

      鳩サブレーもおいしーよね!!

 

まー、この辺だって、1000年も昔ですし、ヨリトモさんの秘密主義のおかげで、

鎌倉幕府開府が1185年、征夷大将軍任命が1192年と分かったのはつい最近のことです。

 

 

しかし、しかし、ですね、「関ケ原はなかった」といわれましても・・・

 

そーいえば、関ケ原の合戦図の配置表・・・あれが書かれたのは、

関ヶ原の戦後百年ほどたってからではないのかい?

という意見が平成28年頃出ていましたですね???

 

するとやはり「関ケ原の戦さ」はなしですか?

それはいいとして、、

あの辺に立っている石碑:康さん桃配山の戦捷品分配所跡(戦いの中でも臆せず敏捷に

                 動けるようまじない物を配ったそうです「一種のマインドコントロール」

地方の上田城関連史跡

これらはどのようにして合理的に説明するのでしょう 

 

何か嫌な予感が・・・あと10年くらいすると

 太平洋戦争はなかった・・・なんてよたはやめてくださよ!!

 

<割り込み短報>H30.5.20,北海道新聞・朝刊、第一面より・・・了

 

 

いつものあることないこと、へ理屈の記事にお付き合いくださいまして

ありがとうございました                                      

 

  カラスのクンセイ 拝