当時、この春休みが明けると、大学四年生になる「予定」だった私は(大学4年生と言っても
常にサイシュウ年度とは限りません・・・つぎいこか・・・)、
在来線特急も道をあけるという、キョーイのイダテン急行「下り・くりこま1号」にのり、
なおかつ、野辺地駅で、南部縦貫の様子のわずかなフンイキイでもとらえられないものかと
カクサクしていたのでありました。
*くりこま1号にお目にかかる・・・前に・・・・、
前日、20系客車「新星」に乗って、3月25日、朝07:01仙台駅に降り立ちました。
******************<写真ー1>仙台駅に到着した「急行・新星」
すっかり夜が明け、北海道とは違った春の陽光がコートの上に乗っかり
ポカポカ感じられます。
この日の仙台の日の出は、AM05:32:37(*A)。
朝の最低気温は4.8℃(*B)。
好天がこれからの旅路の好結果を予感させます。
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参考
*A:計算.com 「日の出日の入り時刻、日本各地」http://keisan.casio.jp/has10/SpecExec.cgi?path=05000000%2e%95%a8%97%9d%8c%f6%8e%ae%8fW%2f02000100%2e%93V%95%b6%2f12100400%2e%93%fa%82%cc%8fo%93%fa%82%cc%93%fc%82%e8%81i%93%fa%96%7b%92n%96%bc%91I%91%f0%81j%2fdefault%2exml
*B:気象庁過去のデータ「日ごと」
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[急行新星のこと]
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<南部縦貫鉄道の件> 諸賢もご存知のごとく、同鉄道は東北地方の砂鉄を利用する国策会社「むつ製鉄」が 沿線の天間林村(当時)から南部縦貫鉄道で砂鉄輸送を行う構想が持ち上がり、 むつ製鉄の事業主体である「東北開発」という怪しげな会社(鉄道自体のことを 申し上げているのではありません)が南部縦貫鉄道に出資し、 昭和37(1962)年にようやく開通にこぎつけるといった、早くも暗雲立ち込める出だしと 相成りました。 すると、やはり・・・というべきか・・・トーゼン予想できたはずと申し上げるべきか・・・ 輸入鉄鉱石の価格下落により1965年にむつ製鉄の計画は頓挫。 天間林からの砂鉄輸送もほとんど行われないまま中止されます。 並行道路にバスが走っていることから旅客も見込めず、1966年には会社更生法の適用を 申請することとなり倒産、以後「更生会社」の肩書をもつ鉄道会社となったのでした。
*ここまでお読みになって、皆さん、「後出しじゃんけん」ではなく、おかしいと思いませんか? *太平洋戦争中、鉄・石油資源で苦労した日本に戦後約15年で有力な鉄鉱脈が見つかったこと。 しかし、結局安価な外国産鉄鉱原石が入ってくるとすぐ立ちゆきいかなくなる。。。 確かに天間林から八戸にかけては砂鉄、黄鉄鉱鉱山が多く開かれていた時期もありましたが 長くて15-20年間です。 *また、どうして、当時の輸送のかなめ天間林から、北東の「国鉄・千曳駅」に鉄路を 敷いたのでしょうか。 私なら、南東に、急行停車駅である「上北駅」がありますので、ここまでトラック輸送にします。 そして、駅二つ分南側の三沢で精錬をやってもらう(当時から三沢には、鉄山、砂鉄山があり 精錬所が操業していました) (天間林駅ー七戸町役場ー国鉄・上北駅:約15㎞、ただし道路は未発達、冬季の使用は厳しい?) 北東に積み出し、港湾工業地帯を形成、陸奥湾から、船で荷出しする予定だったのでしょうか? でもそうとなると。野辺地に精錬所を作るか、港湾整備をしなければなりません。
トコロデ・・・特大磁石をぶら下げて砂浜海岸を走ったことのある方ならご理解いただけるかと 思いますが、磁石が真っ黒になるほど砂鉄はついてきません。 砂鉄山なら含有量が違うべ?とお考えかもしれませんが、「鉄分が少しでもあれば 磁石には着いちゃいますのです つまり砂鉄=鉄100%ではありません。チタンなど結構夾雑物が混ざっております。 普通の黄鉄鉱当たりよりは純度が高いのですが、チタンとの分離が手間!とゆー 問題もあります。 元々、七戸ー天間付近(天間はこの地区独特の地名・人名さんで、「天間」「天間林」 「天間舘(館)」などがしられています)の埋蔵量としては少なかったと思われます。 「国策会社」としてはあまりにもずさんな計画・・・実際国の地質担当官は現場に出かけたのか? せめて机上の検討だけでも議会にかけているのか? 大いに疑問を感じます。
その後も、この鉄道は、踏んだり蹴ったり、けったり、殴られたりが続くのですが・・・ 国有地である旧東北本線の路盤(*C)を借用して運行してきた野辺地 - 千曳間について、
***<図ー1>南部縦貫鉄道と東北本線、旧・千曳駅⇒南部・西千曳、国鉄・新 千曳駅 位置関係 参考:日本鉄道旅行地図帳⓶東北 今尾恵介氏監修 新潮社 平成20年6月18日 ***************************************** 昭和30年代から始まった東北本線・輸送力増強計画もいよいよ大詰め 石文・信ー乙供が別線複線で開業しますと、それまでわずかに先行完成していた 野辺地ー新・千曳ー石文・信とドッキング。それが、東北線、最後の単線区間の消滅でした。 国鉄は、野辺地ー旧・千曳ー石文・信の路線を廃線にします。 南部縦貫鉄道は今までの出発点、千曳駅に国鉄列車が来なくなったため、野辺地ー千曳の旧線を 借り受けます。南部縦貫鉄道・野辺地駅の誕生でした
東北本線、全線複線電化は昭和43(1968)年7月に完成したのでありました・・・だったかい?
?なんだかさ、青森ー青森(信)の間で、奥羽線と東北線の列車のニアミスが11月頃にあって、 複線を方向別単線x2にして使ってなかったかい?・・・そんで、東北線の列車が海側の軌道を またいで青森駅さはいろーとしたときに奥羽線の貨物きてさ、ぶっかりそーになったんで なかったかい?国鉄さんが運輸省のお役人に大目玉食らうわ、青森の人たちは、全線複線だなんて ほらふくのもたいがいにせー、とかいってよー!! あんま、この話題、この記事とかんけーないからそろそろやめっぺ んっだな (オンセーに一部不具合がありました。お詫びいたします)
日本国有鉄道清算事業団から買い取りを要請され、その資金が捻出できないことから 平成9(1997)年に一旦全線廃止の宣言を行ったのち、東北新幹線が「七戸」付近を通ることに 夢をかけ、その後、休止願を1年ごと延長します。 沿線自治体も先の路線買い取りを引き受けるというコンジョーを見せるのですが、 休止中の鉄道施設の荒廃が予想以上にすすみ、これらの惨状の回復は財政的・精神的・ マンパワー的にもはや絶望的であり、結局2002年、今度は、正式に廃止届を提出するに 至りました。。 なお東北新幹線の2010年に開業した「八戸ー青森」の区間か南部縦貫鉄道線跡と交差して おります。
****<図ー2>南部縦貫路線図;主要駅のみ |
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野辺地ー(5.6km)-< |
旧国鉄千曳⇒西千曳>ー(4.9km)ー■坪-(4.0km)- ■天間林(当時天間林村、ゲン・七戸町)-(6,4,20.9km)-七戸 ■開業時は交換駅 #### 以下南部縦貫に関する私見を二つほど ⓵南部には45トンディーゼル機関車が開業時に準備されましたが、 開業昭和37年ー昭和55年は動いていましたが、後は冬眠。実働17-18年 ほどで使われなくなりました。250PSです。早いうちに政府が購入時の価格で 引き取って(あとはどーとでも)誠意を見せるべきではなかったかと思われます。 ⓶南部縦貫と同じくらい東北新幹線の駅が、自分たちの鉄道の駅と共同液とならないだろうか?と夢見ていた鉄道があります。 栗原電鉄⇒平成5.12.15-平19.4.1,第3セク+内燃化:くりはら田園鉄道 東北新幹線が、当時の栗原電鉄の基幹駅・沢辺付近を通るといううわさ でしたので大いに期待していたようでしたが、現実は厳しく、駅はできず、 新幹線は沢辺の一駅海側の無人駅(大岡)の頭上を通過するのみでありました。 沢辺駅ー平成2年にできた新幹線新駅・くりこま高原駅間の連絡バスの業績も イマイチでした。 電鉄の幹部さんたちは、新幹線が沢辺近くに駅を作ってくれなかったときに 「ウチの将来は見えたね」と思ったそうです。 ひょっとして、政府が両鉄道にに少しずつでもこっそり援助していたら・・・ ありえないか・・・でも南部にはその義務を多少感じてもらわないと困りますね
ごねるときりがなくなるので、この話題はそろそろおひらききです
字数もう後がないのですって くりこまもう少し書きたいことあります
いつも勝手な文にお付き合いくださって深謝しております
この上まだあるのかよ~なんておっしゃらないで続編もみてね すぐ終わります
カラスのクンセイ 拝 |
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