もうこない春ーへたくそな絵ですがご容赦ください2/2 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

ずーーーーっと昔に「谷汲」に行きました

昭和58(1983)年7月16日のことであります(その前振りは前回もやったでしょ!!)。

谷汲を訪ねた日は、北海道人の私にとっては、体中の水分が一滴残らず搾り取られるような暑い日で

ありました。(そーそー、やればできるぢゃん)。

 

1/2では揖斐線の、今回は谷汲線のお話を少し・・・

谷汲には「谷汲山華厳寺」とゆー、たいそー高い位の古刹[コサツ=古い名寺、高位の寺]がありまして、

西国三十三所第三十三番札所、満願結願寺院としてコンリューされております。

 

どーゆーことかと申しますと、このお札巡りで、西国以外に所在する寺は当寺のみでありまして、

すなわち、お遍路さんが、西国の1-32番所を廻ってきたとしても、そこからはやや距離のある谷汲まで

到達しなければ、巡礼の満願はジョージュしないという、まことに「最後にしんどいトラップ・・・

もうひと修行」が待ち構えているという、開闢延暦17(798)年以来、御本尊は十一面観音、脇侍として

不動明王と毘沙門天を従えているという実に堂々たる大寺であるものの、その割に最後は

比較的意地悪な修行の終わり方をキョーヨーさせるといった一面を持った寺院でもありました。

 

***<へたくそぎゃらりー>廃止迫る谷汲駅と750形、2001年春***

現役のお勤めの最後の春、2001年の谷汲駅であります。ここは桜の名所として、華厳寺と並んで

有名でした。

しかし廃線となった今、さくらは咲き続けますが、「人々が集い季節を愛でる場所」がまた一つ

忘れ去られようとしているのでありましょーか??

黒野方面に発車する750形単行の姿ももこれまたしかり・・・

***

その「華厳寺」への参詣客輸送を主眼に黒野ー谷汲11.2km(公差15-20mでほとんど平坦線)に軌道を

敷設したのが「谷汲鐡道」で、谷汲から美濃電、黒野ー本巣北方の全通に合わせて工事を完成させて,岐阜に直接出るルートを築きました。「参詣客が歩く距離」は、谷汲駅ー華厳寺山門、わずか1400mと

なりました。

 

しかし、建設期間が大正11[(1922)年、関東大震災前年]から昭和初期にかかり、震災後景気低迷に

よる交通機関乗り控え、帝都を中心とした再建用材料費、諸経費の意外なほどの高騰、

昭和4(1929)年に始まった世界恐慌と、その後も続く不安定な経済事情、等々が、開業時の

準備資金を圧迫、開業2期線である揖斐川架橋を阻み、谷汲鐡道を全くの局地的ローカル

交通機関に押し込めてしまいました。

また実際の収支においても、華厳寺の大祭(=御開帳、戦前は昭和2.8.11年が盛大、現在も続いて

おります)年度の輸送成績は大黒字ですが、もとより、岐阜県北西部の人口稀薄地帯に敷設された

鉄道ですから、御寺のイベント年度以外、普段の成績は苦戦の連続だったようです。

最後は昭和19(1944)年2代目名古屋鉄道(=現・名古屋鉄道)に合併されます。

 

戦後はー駆け足になりますがー

昭和43(1968)年、新岐阜駅前から直通急行電車が運転されるようになり

一時期盛り上がりましたが、1984年廃止(そ~でしたかね~??)、

さらに平成の世に下り、名鉄内で閑散路線に指定され、平成13(2001)年廃線となりました。

それ以上に驚くべきは、廃線代替バスが、わずか3-4年の稼働に過ぎず<平成17年、樽見鉄道、

近鉄養老線(→伊賀鉄道)>の存在を理由にやめてしまったことです

旧・鉄道路線をほぼトレースして走るところに、代替バスの意義があると思うのですが?

それを短期間でやめてしまうということは、それほど存在意義がなかったのかと悲しくなります。

 

しかし、ここは、そーゆーショボクレタ話はやめにして、そんな沿線人口にもめげず、鉄道車輌を

ギリギリまで走らせていた谷汲線に喝采を送ろうではありませんか!!

 

<写真ー1>

訪問時・谷汲駅

今時駅前広場が舗装されていないターミナル駅は珍しいと思いました
倹約しているということでしょうか?

また植込みの松が三者三様の高さ。駅舎の方角は忘れてしまいましたが

写真向かって左手が、植込みの成長が速いので、左手がより南側に

近い方角ということになりますか?

最後にモー一つ、入母屋の上の屋根はトタン張り替えたばかりですが、

下はまだでしたか?・・・いちどにやってしまう資金はなかったのかも?

訪問日:昭和58(1983)年7月16日、撮影機種:canon自動焦点カメラ(以下同じです)

**********

●「愛すべき「600V車たち」

モ700:初代名古屋鉄道(神宮前ー豊橋、のちの東部本線)・デボ700、昭和2年製

モ750:初代名古屋鉄道デボ750、昭和3-4年製、名鉄で初の自動扉車。

            2300/2320整備終了(シート:転換クロス化、ミュージックホーン取り付け)まで瀬戸線特急車

ク2320:旧・愛知電鉄(東部線合併直前の社名)の電7形、昭和2年製

以上の車たちは、はじめ、600Vだった各務原線、瀬戸線にもいました、次第にそれらの線区が

昇圧されていくと、最期の砦として、揖斐・谷汲線が残りました。、

****<愛すべき600V車>たち***
<写真ー2>ク2320

谷汲駅

###############

<写真ー3>

モ750

黒野区

########

<写真ー4>

前回1/2でご紹介いたしました、旧・美濃電の510形

晩年は赤一色でスマートさも失われていました。

忠節駅

*******

現在福井鉄道で活躍中の770形を揖斐・谷汲線に投入しようという

プランもあったようですが、本揖斐、谷汲に至ると電圧降下時に300-400Vまで

下がることが知られており、「カルダン車の小型高速回転モータは対応できず」、

ということで旧形車続投が決まったようですが(昔の車は汎用性がたかいですねー・・・)、

もし新系列車が入っていたら??

 

でもやはり大勢を覆すには至らなかったでしょう・・・

 

私の世迷いごとを言わせていただければ、600/1500V複電圧車を作って

中部空港まで行けていたらひょっとして何かあったかもしれませんが?

 

 

もうこない春ーへたくそな絵ですがご容赦ください2/2 (シリーズ完)   了

 

 

 

最後までお読みくださいましてありがとう存じます。

特に見るに見かねる絵も、見て見ぬふりしてご覧いただいたこと

感謝に堪えません。

 

  カラスのクンセイ 拝