もうこない春ーへたくそな絵ですがご容赦ください1/2 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

ずーーーーっと昔に「谷汲」に行きました。

昭和58(1983)年7月16日のことであります。

存続がそろそろあやしくなってきているなーと感じながら、岐阜市内線との間を往復しました。

私が訪問した時には、岐阜市内線から

揖斐線側が「旧・美濃電コンビ、モ510+モ520」が2連で、新岐阜駅前電停ー黒野まで行き、

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*モ510:旧美濃電、セミボ510形、セミボ=セミスチール(半鋼製)ボギー車

*モ520:旧美濃電、DB505、DB=デッカータイプ・ボギー車

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そこで分割、各々1輌ずつが各々が揖斐と谷汲に向かうといった便利直行便はなくなっていました。

それでも、

新岐阜ー黒野(あるいはー揖斐)までの急行便は健在で、特に黒野までは線路条件が

良いのか結構なスピードが出て居りました(一説によると65km/hrとか?)。

一方、谷汲線のほうは、主に忠節ー黒野の出発・到着に合わせたダイヤが組まれて

おりました。

先にも書きましたが、谷汲線はもーそろそろ「店じまい?」

でも「忠節ー黒野」は道路渋滞もありしばらく安泰かなと思っていました。

 

まさか、岐阜の軌道線がネコソギ廃止になるとは、その時思ってもいませんでした。

 

忠節ー黒野間は列車頻度を上げるには、行き違い設備ができる駅がいまいち足りず・・・

それでも朝夕はその線路容量で15分間j隔といった、頻繁運転も限界に近いほど行っておりました。

自家用車が王様の名岐地区にあっては大健闘してたと思いますよ?!せめて、10分間隔運転が

できれば車に勝てたかな?

 

えー?10分おきも15分おきもかわらんべさ?

さて???こーゆーときは平均待ち時間は運転間隔の半分と見ます。つまり、15分間隔では7分半。

10分間隔では5分。朝の2分半は大きくありませんか?

それとね、駅表示の時刻表の迫力も結構違うもんですよ・・・

 

たとえば

8 | 00  15  30  45

9 | 00  15  30  45

8 |    00  10  20  30  40  50

9 |    00  10  20  30  40  50 

 

ね!?4本/hrと6本/hrだと何となく信頼感というのか、安心感が違いますでしょ?

こんだけ走ってんのなら鉄道使っちゃおーかなー、という気分にさせられる・・・

 

***<図ー揖斐線各駅と急行停車駅>***

 

☆諸賢はご存知と思いますが、誤解のないよう

  黒野から先、黒野・揖斐と黒野・谷汲間の廃止は2001年

  上記表区間の廃止は2005年であります。

■難読:近ノ島ごんのしま、旦ノ島だんのしま、尻毛しっけ

***

岐北軽便鉄道と美濃電が明治45(1912)年から作り上げた路線は、初代・名古屋鉄道が昭和5(1930)年

合併します。

戦後、忠節橋が完成、揖斐線と岐阜市内線の直通運転が始まり、昭和47(1972)年、自動信号化と

ゆっくりですが、近代化の努力は絶え間なく続きます。

 

しかし・・・しかし!!

ややもすると経年的に老朽化していく施設には、長い目で見ますと根本的手が打たれておらず、

大正ー戦中・戦後のダメージも少なからず残っていたはず・・・それをそのまま

走らせていたあたりが、将来的に勝負あったか?といったところでありましょうか?

 

<晩年の時刻表について>

*黒野より末端の区間が廃止される直前(2001年)の時刻表では、

  9:30までが朝ラッシュ、16:30以降が退勤ラッシュと、日中閑散時間帯と区別していたようです。

  9:30までと、16:30以降が15分毎各駅停車のみ。

  9:45-16:15の間は急行だけが、30分間隔で走っておりました。

  その急行便は「尻毛」までは速達ですが、あとは乗車機会確保のため、各駅停車を混ぜたような

  列車で、無停車区間は、その間の各駅の管理を簡単にするための「合理化のための通過」

  とでもいえましょうか

 

 ついに「揖斐線もアウトかぁ~」と思いました。

 

もうこない春ーへたくそな絵ですがご容赦ください1/2  了

 

久々に書きましたのに暗い話題で恐縮です。

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

 

 カラスのクンセイ 拝