近鉄雑感ー志摩電氣鐡道の「垂直カルダン」は「なぜ必殺の近代兵器となりえなかったか??」3/2 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

ご一読していただくたびに、諸賢を裏切ってばかりで申しワケありません。

ちょっと興味があるところにぶつかると「記事の内容が、本題から外れてそちらに曲がっていく」と

いった悪い癖がついつい出てしまい、本シリーズも3回目にトツニュー致しました。

今回で絶対終わりにしようと思っております・・・

++++++++++++さて、前回までのところ、垂直カルダンが普及しなかった理由がかききれなくて終わって

しまいましたが、今回は、その辺を一部重ねて書き進めてまいります、

<以下、#☆☆までが前回掲載分です>

□□垂直カルダン機構がしりすぼみに終わった原因と申しますか、

    屁理屈のよーな、私の独りよがり解釈のマトメ

その前に「Wikipedia垂直カルダン方式」が衰え、ついえた原因を正統派分析で書いてあります。

是非そちらの方↓をご一読ください確かにこれをご一読いただくと後何もお読みいただかなくとも

十分と思われま↓す。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%82%E7%9B%B4%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%B3%E9%A7%86%E5%8B%95%E6%96%B9%E5%BC%8F

①新興メーカーの参入困難

②外来方式(平行・直角)カルダン方式の適応が意外と容易だったこと

③技術自体の問題

#☆☆#☆☆#☆☆#☆☆・・・ここまでが、前回掲載分「垂直カルダン」は・・・2/2

以下から今回の新編です

私は、それ以外の

要因がなかったか?とあらさがしをやり、少し斜めに見た視点から原因を考えてみたいと思います。

(イヤナ奴だよね・・・)

 

1:淡路鉄道→淡路交通鉄道線の場合

◆2:(栃尾鉄道→)栃尾電鉄→越後交通・栃尾線の場合

◆3:近鉄①モ5401の場合②モ4400連接車の場合

・・・とまぁ、こーゆーふーに分けますと、それぞれの会社にそれぞれのジジョーがあるよーに

思えますが・・・

 

このようにも考えられますか?・・・

垂直カルダン車が少数派の鉄道会社であったグループ

淡路鐡道2008、近鉄5401と4400x3連接車は1形式1輌、ゆーなれば、現場では異端児

しかも淡路の2008の場合はお役所から研究補助金が出ていたようです・・・

◇3.まず簡単な方から、モ5401とモ4400はシマデン・ミエデンのメカさんがきちんと面倒を見てくだされば

長持ちはするでしょう。でも、大近鉄の中の1輌ともなると整備は大変だったと思います。それこそ、

いろんな車種を扱ってきた、近鉄の整備士さんには知らない人はいなかったと思いますが、大量

生産品の電車に囲まれての「異色の1輌」・・・いっそ電装解除して、付随車にしたほうがツカイデが

広がるのでは??と一人くらい考えないべか?転用先は選ぶのに困るほどある沢山の線区を持って

いる近鉄さん・・・・結局5401,4400は電装解除して、オリジナルの線区から引っ越しちゃった・・・

 

◇1.次に淡路交通鉄道線

ここの運輸成績を見る度に、「あり?ドーシテてつどーやめたの?」とゆー程の実績を上げていました。

旅客輸送密度(人/日):昭和25年から5年毎

 昭和25年(2178)-30年(2562)-35年(3370)-41年(4960)この年廃線

ね?まだまだこれから行けそうでしょ?

実は、昭和40年に、大型台風で全線至る所、路盤に損害を受け、やっと直したと思ったら、次の年度は

バス輸送に乗り換えた乗客が鉄道に戻って来てくれなかったんですって。

で、ある程度それ以前から、「福良ー洲本」間に鉄道とバスを走らせる二重投資は会社をクキョーに

陥れることになるだろうと会社では「あとは鉄道線をどこでやめるか」を決めればイーだけという

あまり芳しくない状況であったようです。

ところで、この淡路交通は、技術面、安全保守面にはヒジョーに高い興味・向上心があるらしく、

戦前の昭和13(1938)年海岸を埋め立て営業キロ延長、福良駅移転、港に近づけたり、まだ完全に

「シューセン」とはいいがたい時期の昭和24(1948)年、バスターミナルと鉄道駅の統合駅(これがまた

テッキンのド迫力の立派なヤツ!!)を作ったと思ったら(*)

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(*)「地方私鉄1960年代の回想」様http://umemado.blogspot.jp/2015/02/45.html

  淡路交通 昭和40年の洲本1

  ⑥が鉄道駅であります

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昭和27(1952)年に、単線自動閉塞化を

成し遂げ、列車本数を倍増化させたり、「いつも利用客のために何かを実行する+常に躍進」を

目指しているような会社でありました。

そこが評価されたのかもしれませんが?運輸省から「垂直カルダン車」走行試験のオハナシ。

むろんただでは来ませんでしょ?昭和28年・・・本稿の始めのほう御覧ください・・・

淡路交通さんは前年設備投資したばっかりで、オウチの金庫はすっからかん・・・

そこに運輸省の方々の御登場!もちろん菓子折り付き!!か?

「君たちのセンロで今度<垂直カルダン>とゆーシステムの電車を走らせてくれんかね?

もちろんただでとは言わん・・・」

で、淡路交通の社長他ご重役連は、菓子折りのふたを「ちょろ」とあけて・・・

「えーえー、それはもーお役人様の御意のままに・・・」

「淡路屋もワルよのー」

「いーえ、お役人様ほどでは・・・」

 

・・・「淡路交通関係者の皆様」失礼申し上げました・・・

でもあんまりタイミングが良すぎたものですから、つい・・・

 

2008号は廃線まで走って、廃車・解体されています。

運輸省から「ポン」と持ってこられた電車、つまり、自分たちの意思で購入したのではない車を

扱ったのは淡路交通鉄道線だけなのです。

しかも、自社が鐡道部門から撤退する13年間、購入予定ではなかった、たった1輌の異端の

メカニズムの車の面倒を引き受け、最期まで見届けました。

宇山工場のジンジョーではない努力と、優秀さを感じさせる話題かと思われます。

 

■垂直カルダン車は当時会社の多数派(主力)であった

◇最後に、栃尾線の場合、<垂直カルダン車が最大数在籍=8輌>いた時には、栃尾線の全電動車

の輌数は10輌でした。

昭和28年当時、地方のローカル私鉄には新性能電車なんてありませんでした。

でわ、昭和30-40(1955-65)年にちょっとだけ時代を繰り下げてみれば、

☆昭和31年、富士山麓電気鉄道(⇒昭和35年改称し、現・富士急)、3100形(日本初の狭軌用WN駆動、

昭和33年に第2編成いずれもMM55kwx2/輌

☆秩父鉄道、昭和34年、デハ300-(のちサハ350、昭和41年)-デハ300、WN75x4kw/輌、編成

☆福井鉄道 昭和35年 モハ200形連接車、昭和35年MM2編成(75x2KW後96x2KW 80x2kw)/輌

●ほか富山地方鉄道にも新性能電車があるのですが「俺たちはローカル私鉄ではない」とおしかりを

受けるやもしれず、ご提示はやめておきます。

 

上記のように、「新性能電車」は地方私鉄の中でも有力な会社が、威信をかけて1-3編成を10年間の

間に看板電車として「やっと」とりそろえました。

一方、栃尾線では、垂直カルダン車は、新車4、換装4輌で、ま、MM2輌編成4本相当になりましょうか?

しかも路線の一部とはいえCTCまでつけて・・・

ここからででくる結論は

①これだけ早くからまとまった輌数をそろえられたのは、いかに「垂直カルダン」がお手ごろ価格で

  あったかの証左にはなりませんでしょうか?

  つまり、「垂直カルダン」なるものが、高価な物であれば、北陸の1私鉄に、失礼ながら

  10年ほどの間にですが、8輌もそろえられたでしょうか?

②次に、システム(車輌代の)維持費にかかっても、バネ下重量の軽減になれば軌道の損傷は少なくて

   済むのではないかと思った、というのはどうでしょうか?

   極寒多雪の地ではレールは傷みやすいので、軌条交換を強いられますと、運休での減収と信頼の

   低下に影響が出てきましょう。

③またある程度の広い地域に力を持った交通会社であれば、比較的自由に(と言ったら言い過ぎ

    かもしれませんが)自分たちが理想とするところ?の構想の車輛を走らせることが、競合交通機関を

   抑えてできたのでは?とも思います。、

  たとえば、かつての、最盛期延長32.2kmを誇った、御役所をまったく無視して無認可の仕業を

   やり放題し続けた「朝倉軌道」の

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「スタイリッシュな<ちょーりゅーせんけーがそりんかー、N.o.3>」

「weblio辞書」様、Wikipedia,朝倉軌道

http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E6%9C%9D%E5%80%89%E8%BB%8C%E9%81%93_%E8%BB%8A%E4%B8%A1#.E5.AE.A2.E8.BB.8A.E3.83.BB.E3.82.AC.E3.82.BD.E3.83.AA.E3.83.B3.E3.82.AB.E3.83.BC

 - - - - - - - - -

ですとか・・・

しかしそれにはまた、優秀な自社工場もなくてはならない存在になってくるとは思います。

そういった「優秀な自社工場」の一番手には、やはり、あの「大軽便線」を支えた、静岡鉄道の駿遠線

関係の工場群で、「蒙古の戦車」という一台一台形状が異なる、ディーゼル機関車を作り続けたほか、

客車のスクラップ & ビルトはお手の物、単車のガソリンカーを半ボギー車に作り直すなどして脱線率

を大幅に低下させるなど半永久的に技術の冴えを「後輩に伝承?」し続けた功績は得難いものと

特にここに取り上げたいと思います。

次には、客車にディーゼル・エンジンを搭載、片ボギー車だったのを、完全ボギー車に改良、

ロッドもつけて、外見は全く元の客車(ハ6号)そのものですが、機関車として活躍させた

「赤穂鐡道工場」の大胆かつ繊細な技術、また、機を見るタイミングの良さが秀逸と思われます。

 

トモカク

#ある程度力のある、地方の中堅以上(戦時統合がおこなわれた場合に中心となる企業・・・死語か?)

  の会社で、↓

#付近の、交通統制も可能な会社(「ここのルートにバス走らせないよーにね」とか・・・命令調ですと

   違法ですが)

#自社工場のレベルも高く、

と、以上の「最低条件」いったことなどから、さらに下にお示しする結論となりました。

 

①垂直カルダンは、自社工場がしっかりしている中小の鉄道会社であれば、お値段手ごろで、特に

  軌道の脆弱性といった欠点を持っていることが多い「軽便線の使用」には、バネ下重量の

  軽減などを加味するとコストパフォーマンス的には悪くなかった。

②ところが、平行・垂直カルダンが導入され安定期をむかえると、垂直カルダンは長年使っている

   うちに、システムの欠点が致命的な物と思えるようになってき始めていた。

    762mm軌道は撤退が始まり、1067mm軌道でも垂直カルダンは、保守管理が容易な平行・直角

  カルダンにとって変わられた。

  ただし、垂直・平行カルダンの、減価償却が終了してから順次換装していった可能性はあると

   思います。

 

   なんだ、あまり従来の考察とかわらんぢゃないか!!とお叱りを受けるかもしれませんが、

  ①一応価格が安いから早くから中手企業でも買えた、という点と、

 ②自社工場が優秀であればまとまった数を運用して、軌道損傷を防いでいた可能性があった。

 ③直角・平行カルダンまでの移行期までには、垂直カルダンの減価償却費が終了するまでの期間

   目いっぱい使ったのでは?という、

 

①-③のどちらかというと、ビンボー人の考えを3つくらい考察に加えて見ました。

 

垂直カルダンのオハナシはこれにて終了ですが
(その他にも610mm=2フィート鉱山用ELに使われた形跡があるとのうわさもありますが、情報
不確かなため省略させていただきます)。
 
最後になりますが、この垂直カルダンの生みの親、「神鋼電機」さんは現在鉄道業から離れ、
「 シンフォニア テクノロジー」という社名となって盛業中とのことであります
 
車体装架カルダン駆動方式

A .すでに絶滅してしまった駆動方式・・・ですが・・・現世に突然よみがえりました・・・

 ◆1.乗りこしカルダン駆動方式:「名古屋市交通局800形市電」  

   主電動機:両軸構造のトロリーバス用100kW級モーターを車体中央の床下に吊り下げ、そこから

    ユニバーサルジョイントによる駆動軸を介して第1・4軸をウォームギヤで駆動させる

    乗越カルダン駆動方式(多くの鉄道模型で用いられているのと同様の方式)が採用されました。

台車はこれも野心的な軽量設計で弾性車輪を採用しています。

制御器は間接自動制御ワンハンドルマスコンを用いる意欲作となりました。

上記の軽量設計は通常同級の車体であれば16ton前後のところ、11トンに収めました。

ところが、終点などの自動発条(スプリングポイント)では車体が浮き上がり脱線が頻発。

意外に早く過去帳入りとなりました。

 
それもそのはず、元々、性能から言えば、当時の技術では、通常の吊り掛け駆動を用いる方が
安定した性能が得られ、理想的であり、車体装架カルダンの採用は、「緊急性を要し、吊り掛け
駆動装置の機械生産などの工場の当てがない場合ですとか(800形の場合は確信犯で最初から、
耐用年数が短くとも思い切った軽量・快速・・・実際に100km/hrで走っていたこともあるようです・・・
狙いで製作した野心作と伺っておりますが?)技術者を集められなかった(終戦直後みたいな
時期でしたから)、「費用の関係で、十分な個数の吊り掛けモーターを載せられないので、
トロリーバス用モータ1個が故のイレギュラーなものでしかありませんでした。
 
また

「技術的進歩・発展を意図して開発されたシステム」ではなく、「応急措置的に用いられた手法」で

あって、偶然にカルダン駆動方式となったに過ぎませんので、時間が経っても本手技が主流となる

こともありませんでした。

 

当然消える運命にありましたが・・・
最近は動装置のスペースに制約の多い超低床形路面電車の床下艤装に、
「ユニバーサルジョイント・逆転機・最終減速機といった動力伝達部のコンポーネント」という
組み合わせが採用例が増えつつあるのはまさに歴史は繰り返されるということでありましょうか?
 
 
近鉄雑感ー志摩電氣鐡道の「垂直カルダン」は「なぜ必殺の近代兵器となりえなかったか??」3/2
 
いつものようにだらだらと、興味があればあちこち寄り道して参りました、垂直カルダンのオハナシも
最終回であります。
最後までおつきあいくださいました方(あきれてほとんどおいでにならないと思いますが)・・・
いつものように深謝申し上げます。
 
次の話の構想もできておりますが、構して想なり、upするのはいつになるやら自分にもわかりません。
アホナやつだと思いながらも、お待ちいただければ、これほどうれしいことはありません・・・
 
 カラスのクンセイ 拝