夢、どうや?② | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

ー夢を見た(出だしだけでも夏目漱石調です)

ーおい、カラス、お前、体と影離れてないか?
ーーえ?ほんとだ!!気味悪いやっちゃな!!!!

夢から醒めると体が変に重たい・・・
+こーゆー時はばあちゃんだな!!
  ねえーーーー!!!

婆 あんたいつから・・・
  ちょっと来なさい!!
+だってこれからガッコいくんだよ
婆 そんなことしてたら死んでしまうよ!
   それでも、いーのかい?

御坊 ん?確かにな!
    坊や、いー婆ちゃんをもったねぇー・・・
    ところでHさん(祖母の名)、娘さんご夫妻(私の両親)は?
H婆 然るべき御仁のところにあずかっていただきました
御坊 どこまでもスキのない お方じゃ
    じゃ、坊やの祈祷を始めようか?
+ きとー って?
H婆 イーから坊様のユーことをよく聞いて

30分もたったころ、山津波(当時は<土石流>という言葉はありませんでした)でもおきたと
疑うような大地を揺るがす轟音・・・

御坊 Hさん、残念ぢゃが御祈祷やめますよ
H婆 はい、ありがとう存じました、孫を助けていただきまして・・・
御坊 いやさ、夢を聞いて、お孫さんの命が今日限りだと判断なさったのはさすがですな!!
    
    でも、それが、まさか、連合軍の石狩沖からの艦砲射撃でお宅が吹っ飛んで
    しまったとは・・・

+ でもお坊様、ボク、小学校いっていたから無事だったでしょ?
御坊 Hさん話してもいーね?坊や、坊やが通っている学校にも砲弾が落ちて、校舎はほぼ全焼
    生徒さんはほとんどなくなったのだそうだよ?
    だから、坊やがここにこーやっていられるのも、ぜーんぶお婆ちゃんが助けてくれたからなんだよ

北海道空襲があった昭和20年7月14-15日の翌日の16日のことであった・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・了

どこまでも与太で通しました。
最後までおつきあい下しましてありがとうございました。

実は札幌市は、県庁所在地の中で、戦争末期、サンドバッグのように空襲または艦砲射撃を
受けなかった数少ない都市のひとつです。

北海道空襲のあった翌日16日、艦砲射撃にあった北海道の都市は、製鉄所+製油所がある室蘭市が
第3艦隊第38任務部隊、戦艦ウィンスコシン(45000ton,40.6cm砲x9)ほか多数の艦艇から、民家の
あるところまで(私は平成2-10年まで室蘭市民でした)テンコ盛り爆弾をもらい、その地響きは札幌の
北海道大学の校舎のガラス窓を揺らせたといわれております。