40年ほど前は地元の方々だけのお散歩コースでした。
そのころの動物園の経営状態も、後で知ったところでは、
いつ閉鎖しよーか?といったどん底の時期だったよーです。
私は、そんなこととはつゆ知らず、ノー天気に、「1訪問箇所1写真の撮り逃げ主義」を
つらぬきとおしておりまして、とゆーと、いかにもがくせーらしい、「イー加減な大義名分」が
漂ってきそうですが、早い話が、時間も、金もなく、当時36枚撮りのカラーフィルムが
1本880円もしましたから(町の中心の喫茶店のコーヒーが1杯200-250円ほど)、
「学生の大義名分」とやらも、態の良いイーワケであることは皆様にはもーバレバレで
ありましょー。
モチロン、こんなところにサンジョーしましたのも、私には動物園などさして興味など
あるわけもなく、「鉄」にとって、「キドー」が「ふーぜんのトモシビ」であると伺えば
何はさておき「天下の一大事」、高校1年の夏休みに行ってまいりました。
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旭山公園駅、昭和47(1972)年7月?日、,キャノネットQL17,F:11、ss:1/63sec,Canon

3輌のモハ100形(101-103)は 廃線の日まで東旭川線の主力としてよく働いてくれました。
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旭川電気軌道線には東川町からコメの積み出しも行っていた、昭和2(1927)年3分割で全通した
東川線、15.5kmと、その途中、「旭川追分」から分岐して写真の「旭山公園」まで到達しておりました、
東旭川線、昭和4年竣工、6.7kmとからなっておりました。
両線とも輸送のピークは昭和35年ころで、キドーは一部が道路中央を走っている個所もあり、
40年代中盤からは、どこの都市交通網でも一度は話題になることですが、旭川でも御多分に漏れず
邪魔者扱いにされ、結局最後は、東川町農協が「コメ輸送」をトラックに切り替えたのでとどめを刺されて
軌道部門は廃止となりました。
写真の駅舎は「主要駅?」には同様のかっこうの物が置かれていました。ココと、旭川追分、旭川四条。
写真の出来自体はお恥ずかしいもので、やや逆光の条件下、駅舎の妻面を生かそうと思って
シャッタースピード(ss)を遅く設定しましたら、白壁(漆喰?)上の楽書きのような面白い絵?が全部
飛んでしまいました。
軌道架線もしかりで、直架式にパンタですが、この露光量では架線が1本であることがよく表現
できていません。
この電車、ポールも持っていますが、当軌道ではすべての電車が、車庫のある構内ではポール集電と
なりました。
◎モハ101-103
改造車名義の実質新製ボギー電動客車。
定員80名(座席30立席50)。電動機は東洋電機製37.8kW×4。
廃線まで主力として運用され、廃線後はモハ101が東川町郷土館に保存されています。
ついでに当線の緑の海坊主・・・エース
定員120(座席60立席60)。電動機は東洋電機製60kW×4。ツリカケ駆動ですが、
電動カム制御など、当時の在京・在阪の電車と比べても負けません。d2D6D2d。
廃線後、一旦、旭川市立郷土博物館→現在は東旭川農村環境改善センターで保存。
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「失われていくもの」に対する愛情のかけらや価値も感じられないお恥ずかしい訪問の仕方です。
旭川電軌の軌道部門はこの翌年に全廃となりました。
今回も最後までおつきあいくださいましてありがとうございました。
カラスのクンセイ 拝