<倶知安の人口の推移:鉄道十字路が崩壊した後は?>
北海道は、全道を以前、14の支庁に、そして現在は管轄地域をそのままに14の振興局制と
なりましたが、その中で、局所在地が「市制」をとっていないところが3か所あります。
ここ、後志・倶知安町、太平洋岸、日高・浦河町と日本海側、桧山・江差町であります。
ところで、後志には、振興局所在地を倶知安町におかなくとも、「小樽市」あるいは
「町制自治体」ながら、倶知安より人口が多く、気候温暖な余市町があります。
倶知安町の気温年較差は、最近20年の夏季最高の平均と冬季最低の平均を比べますと、
35℃、夏季最高ー冬季最低の年較差は「+34.4-(-35.7)=70.1℃」、また降雪量も10m/年、
一日降雪量30-60cm、積雪2m/年[最高記録は、1日降雪量69cm('94/11/14)、
1ヵ月降雪量601cm(''69/1)、年降雪量20m19cm('70)、最深積雪312cm('70/3/25)]と、
道内でも指折りの厳しい気象条件の町であります。
人口の推移は両自治体とも減少傾向でありますが、昭和45年を100%としますと
人口減少は下記のとおりですが、倶知安と同じ境遇?にありました、鉄道十字路を崩された
名寄駅がある名寄市の人口を合わせ載せてみます。
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<図ー14'>変形気味の鉄道十字路の中心倶知安
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鉄道十字路を壊された、倶知安駅・倶知安町[倶](厳密に言いますとヒトエキずれていますが)
および名寄駅名寄市[名],と余市駅・余市町[余]の比較を載せます。
昭和45(1970)年ー[倶] 19146(100%) - [余] 25399(100%) - [名] 43874(100%)
昭和50(1975)年 - [倶] 18668( 98%) - [余] 25816(101%) - [名] 42732( 97%)
昭和55(1980)年ー[倶] 18893( 99%) - [余] 26632(105%) - [名] 42222( 96%)
昭和60(1985)年ー[倶] 18892( 99%) - [余] 26213(104%) - [名] 41069( 94%)
平成2(1990)年ー[倶] 18030( 94%) - [余] 25226( 99%) - [名] 37194( 85%)
平成7(1995)年ー[倶] 17078( 89%) - [余] 24485( 96%) - [名] 34664( 79%)
平成12(2000)年ー[倶] 16184( 85%) - [余] 23685( 93%) - [名] 33328( 76%)
平成17(2005)年ー[倶] 16176( 84%) - [余] 22734( 90%) - [名] 31628( 72%)
平成22(2010)年ー[倶] 15570( 81%) - [余] 21264( 84%) - [名] 30582( 70%)
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ゴシック体で十字路:十字路の中心自治体は必然的に、ヒト・物資の集散地となり
それが崩れると単なる通過点となりますので、ヒト・モノが留まらなくなり、商業なども
下降線となります。
◆倶知安地区鉄道十字路の形成と衰退
・函館線上下線
・(省)岩内軽便線・・・実はここで駅一つずれており正確な十字路では
ありませんが・・・
⇒岩内線の廃止昭和60(1985)年
・(省)京極軽便線:倶知安ー京極
胆膽鉄道:京極ー喜茂別
胆膽縦貫鉄道:伊達紋別ー徳舜瞥
喜茂別ー徳舜瞥間は胆膽鉄道と胆膽縦貫鉄道合併後全通、その後国有化。
⇒胆振線の廃止昭和61(1986)年
◆名寄地区鉄道十字路の衰退(十字路=宗谷線上下線+名寄線+深名線)
⇒名寄本線の廃止平成1(1989)年
深名線の廃止平成7(1995)年
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他に鉄道十字路を廃された自治体・駅は
栗山町栗山駅:国鉄・室蘭線と夕張鉄道線の交叉していたものが、夕鉄線が廃止。
帯広市帯広駅:東西に現役の根室本線、北向きと南向きとに廃止の士幌線と広尾線。
湧別町中湧別駅:東へ網走まで湧網線、西から来た名寄線が中湧別で方向を変え
南下、中湧別からは名寄線の支線が北上。以上の鉄道網は全廃
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といった例があります。
帯広市のように北海道の中では「大都市」ともなりますと、士幌線、広尾線廃止(1987年)
など、どこ吹く風といわんばかりに、その後2000年まで人口が増えておりました。
一つには何といっても駅勢人口が多いこと。
次に、移動手段を鉄道・バス・マイカーとお揃いでありますが、幹線道路の信号の連動を
悪くして、渋滞を作ったり、バスの本数を減らしたりして、移動客を鉄道に誘導するのは
お手のものです。
しかし、これも、ある程度、「鉄道の本数がある程度確保されている=本数を増やしても
乗ってくれる乗客がいる線区」ではないとちょっと無理でしょうけれど・・・
結局、駅勢人口が過疎により「運輸実績の絶対数が減って」鉄道の輸送手段の必要性が
さがり、廃線にまで追い込まれたのか、「道路整備の進捗が進み」鉄道の輸送手段の
相対的地位が極端(回復不能なほど)にさがり廃線に追い込まれたのか、いずれか、
あるいはその両方が、廃線の原因となるのでしょうけれど、十字路の中心駅が基幹駅
(機関区、運転所などの所在駅)であれば、当然それらの組織は減員ないしは廃止となって、
家族ごといずれかの基地に移動しますので、おのずと人口減につながります。
名寄駅ー名寄市の場合は'85-90と'90-95にかけてそれぞれ、前年比10%と9%という大幅な
人口減少がみられており、これは、それぞれ、名寄線、深名線の廃止と無関係とは言えない
でしょう。
しかし、結局、人口減少も最終段階を迎えますと、何が結果で原因であったか分からなく
なってしまいます。
たとえば宗谷振興局管内・音威子府村音威子府駅は「特急が停まる日本一人口が少ない
自治体駅」をキャッチフレーズに売り出し中ですが、いくら限界集落(住民台帳の50%以上が
65歳以上の住民)を逆手に取っているからといっても、
ジンジョーな考え方とはもはやいえないでしょー(本年6/30現在住民台帳:817人)。
役場の方?/音威子府駅の駅員氏?に猛省を促したいと思います。
ギョーセーはおもちゃではありませんし、もし、「人がそれしか住んでないなら、トッキュー
とめるのも、1日3往復から1往復にして、駅員1人減らすべ」とでもなったら、
先ほどのキャッチを考えた方、「切腹」くらいではすまないですよ・・・
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<陸上自衛隊倶知安駐屯地>
冷戦終結後、自衛隊の部隊削減方針に従って、それまで駐屯していた11師団(現・11旅団)
29普通科連隊が引き上げ、駐屯地も店じまいする予定でしたが、地元住民のキョーレツ?、
モーレツ??な反対があり、
真駒内駐屯地から28普通科連隊第4中隊と第11対戦車隊が分派されて廃止を
免れました。
さらに、となり蘭越町には「ニセコ演習場」があり、冬季訓練が盛んで、スキーを始めとする
冬季レンジャー教育もここで行われています。
28普連4中隊は平成20(2008)年3月、第11対戦車隊と合併、北部方面対舟艇対戦車隊として
改編、再出発しました。この部隊を中心として各種支援部隊がつきます。
駐屯地司令は、この新たにできた「北部方面対舟艇対戦車隊」の隊長(2佐)が兼務、
上級部隊は11旅団。
あくまでも私見ですが、倶知安町の方々は、人口減のことが気になり、陸自にとどまって
ほしいとメディアでは流しておりました。
ホントーにそーでしょーか?これほど厳しい自然条件の町ですから、急な積雪でもあれば
261平方km(倶知安町面積)X60cm(1日降雪量最高記録)=0.1566立方km(東京ドーム
126杯分・・・計算には自信ありません)の除雪は?
陸自の隊員さんは、不本意ながらも除雪、家から出られなくなたり、急病になったりした、
特にご高齢の方のサポートをしないわけにはいかないでしょう。
その、雪害は気象庁データによりますと、5-6年に1回程度に様です。
しかし、10cmの除雪ができない方もおいでになりましょー。
え?そんなのはチョーナイカイでなんとかしなさい・・・確かにね・・・一理あります。
でも、日本橋、霞が関、新橋のようにお隣さんが常にひさし触れあうところに
建っているとは限りません。
ホッカイドーだけ特別扱いするわけにいかん!
そーきましたか・・・すべての自治体に配置してくださいとお願いしているわけ
ではないのですけれどね~。
要所要所に少数配備はダメですか?
この場合も「ランチェスターの第二法則(☆)」が効いてきますか?あ?関係ない??
だったら、もーしょーがないべか?・・・
でも、お役人様!たとえ、自然災害のでかいのが数年に一度しか来なくとも、
土地の古老を救い出すのは、土地の人間だけでは手に負えないことも
ありうるってことわかってホシーベ!!
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☆ランチェスターの第二法則
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%
82%BF%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87#.E3.83.A9.E3.83.B3.E3.83.81.E3.82.A7.
E3.82.B9.E3.82.BF.E3.83.BC.E3.81.AE.E6.B3.95.E5.89.87
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皆さま、小沢発車でございます。
次は倶知安でございます。
倶知安と申しますと、我々の世代では、思い入れが、ありすぎることばかりでございますので
簡単なことから参りましょう。
●昭和42(1967)年、NHK、朝の連続ドラマは「旅路」という、塩谷に「横内 正 さん」一家が住む
俳優さんたちが演じるドラマでした。
私は、ドラマの中盤以降で、倶知安駅で列車がトラブル?で進めなくて、英国人が怒っている
ときに「松山 英太郎 さん?」(もうお二人とも御存じの方は少なくなりましたでしょう)が、
「ここの駅はgood chance倶知安という駅だから待っていればいいことあるよ」とでもなだめて
いたと思ったのですが、やっぱり無理あるよなー似てなくもないけれど・・・と今あらためて
思います。
●小樽から上目名までは、オタモイー稲穂ーこれから挑む倶知安ー最後の上目名峠が
ございます。いずれも20‰を越えております。
●お、雲間からお山が見えてまいりましたので、そちらからお話しいたしましょう。
皆さまの、進行方向、向かって左手、「蝦夷富士こと羊蹄山」でございます。
古来、それぞれのお国ごとに、御自慢の「**フジ」があると思いますが、
中でも羊蹄山は円錐形の成層火山の美しさのなかでも特筆もので、
容姿端麗の部類に入るのではないかと思われます。
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<図ー17>羊蹄山です。にせの百見は本物一見に如かず。
そりゃーね、直接比べられちゃうと、ボロも出ますよ!!
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標高は1898mと、大雪山系の山々(2290mの旭岳、2141mのトムラウシなど)、石狩山系
などなどには劣りますが、やはり山容が補って余りあります。
動植物にも恵まれており、寒暖の差が激しい土地でありますので、そばもいいのが
採れますよ!!
駅そばの道内覇者を音威子府と争った時期もありましたが、残念ながら、駅そばは
平成22(2010)年に、閉店しております。
●また名水の地として知られ、付近の湧水のみならず、15kmほど東の町、京極町に伏流水が
日産8万tonと大量に湧出しており、吹き出し公園として道民には広く知られるところで
あります。
付近一帯は環境緑地保護地区 (5.72ha) として指定されました。
京極町では、公園の湧水が昭和60(1985)年3月に環境庁(⇒現・環境省)より
「羊蹄のふきだし湧水」として名水百選の指定を受け、続けて平成8(1996)年に
国土庁(⇒現・国土交通省)より「名水の里きょうごく」として「水の郷百選」にも
選定されました。
■話は小沢ー倶知安の倶知安峠に戻します。
距離は9kmたらず、しかし、ここもこう配は20‰ありました。
旧世代の急行用ディーゼルキハ58系の一党であります北海道仕様の、キハ56/27
(本州仕様より窓が小さく二重)では最短で、小沢(標高(49m)⇒倶知安(同174m)間は
15分かかりましたが、現行の新系列のディーゼルカーは各駅停車用でも8-10分と、
約60km/hrを維持しております。
昭和44(1964)年の「上り・ニセコ4号、札幌⇒函館の編成をお示しいたします。
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<図ー13’>当列車の小樽ー倶知安間時刻表(抄)
<図ー17>昭和44(1969)年、上りニセコ4号函館行きの編成
①自・キハ56②普指・キハ27③指自G・キロ26④普指・キハ56⑤自・キハ27⑥自・キハ56
上記編成総出力は、1台機関27、2台は56、1台機関あたり180PS
180x2x3(①、④、⑥)+180x3(②、③、⑤)=1620PS
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●倶知安駅到着まで今しばらくお待ちください。
倶知安駅は駅舎が建ってございます片式1線ホームと、そこから跨線橋で渡って行く
函館本線上下線用島式ホームの2面3線式でしたが、駅舎側の線を胆振線廃線
(☆歴史モドキ?については、最後にまとめてみました)とともに塞いでしまいましたので、
現在は函館本線用の2線分だけが有用です。
倶知安到着でございます。
駅前から2つの温泉郷への路線バスが出ております。
ワイス・昆布方面と五色温泉郷方面。
どうぞお乗り間違いのないよう、お願いいたします。
車内でお食事をお楽しみになれなかったお客様、お弁当のお持ち帰りをお忘れなく。
さて、そろそろ倶知安、出発でございます。
小樽方面から参りまして、1970年代C62さえ苦しめ、撮り鉄さんたちを熱狂させた、
山線最後の4つ目の20‰勾配は上目名峠でございます。
お近くになりましたら、またご案内させていただきます。
間もなくドアが閉まります、お近くのお客様、ご注意くださいませ。
次は比羅夫にとまります。
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☆胆膽鉄道、胆膽縦貫鉄道⇒胆膽線の国家戦時買収の件
<概要>
胆膽線は昭和19(1944)年に、胆膽縦貫鉄道(京極ー伊達紋別)を沿線の鉄鉱物の輸送及び
函館、室蘭本線を結ぶ重要な線路である理由により、国家(戦時体制に伴う省庁統廃合の
一環として、昭和18年11月、鉄道省は逓信省と合併、運輸通信省と改編されておりました)
が戦時買収し、既設の京極線(倶知安ー脇方)と連絡する事により、伊達紋別ー倶知安間を
胆振線、京極ー脇方間を脇方支線としました。
戦後は循環準急(後急行)いぶりが走ったり一時的には盛況でありましたが、次第に車に押され、
昭和61(1986)年国鉄赤字路線の対象となり廃止されました。
更に現在、倶知安、伊達両地点を直通する代替バスはありません。
1
●京極軽便線
倶知安停車場から六郷、寒別停車場を経て京極にいたりました。大正8(1919)年。
北海道では、開拓地の集落の境界線の端から約100mくらいずつ0,1,2,3・・・線または
号と住所をつけたりいたしますが、倶知安の東はずれにも、明治以降の新規開拓地があり
「六郷駅」は実は「6号」で、寒別との間に、後(昭和35:1960年)参郷(3号)駅もできました。
軽便線とはいっても軌道敷(バラストが薄く、枕木間隔が広い)と軌道の太さが脆弱な
だけで、軌間は1067mmでありました。
なお、京極の更に東方の脇方では鉄山が開発され、室蘭に送られ、「苫小牧ー東室蘭」の
ところでご紹介させて頂きました、ニセコ鋼を開発した、日本製鋼が(京極ー脇方間)鉄道を
作って後鉄道院に無償で寄付しております。
脇方駅の開業時の駅名を「鉄山」とする文献もあります。
また、京極ー脇方間は胆振線全通後は脇方(支)線と呼ばれる事が多かったと思うの
ですが・・・
●胆膽鉄道
北海道の国の鉄道建設予定線に京極から紋瞥(現伊達紋別)へ至る鉄道がありましたが、
財政困難の折、なかなか着工出来ず、当初、胆膽鉄道(株)が全線建設を考えておりました。
これまた難航、とりあえず、鉱山、農業、林業の中心であり物資集散地でもある喜茂別から
京極へ免許を申請、大正13(1924)年許可、昭和2年着工、同3年喜茂別に到達いたしました
(京極ー喜茂別間11km)。
●胆膽縦貫鉄道
喜茂別ー伊達紋別間57.6Kmは脇方からの鉄鉱石の輪西への輸送短縮、沿線の埋蔵物
(鉄鉱、硫黄)や豊富な農産物、林産物の輸送を目的とし、胆膽鉄道とは別会社が、伊達側
から昭和12年より着工。
昭和15年、胆膽鉄道が解散、胆膽縦貫鉄道を存続会社にする対等合併が行われ、未成
区間の敷設が昭和16年に終了。旧胆膽鉄道の西喜茂別停車場まで開業しました。
これにより伊達紋別ー京極間が胆膽縦貫鉄道として繋がったのでありました。
●国有化
昭和19(1944)年2月15日公布の「鉄道敷設法戦時特例」により、沿線の埋蔵鉱物、産業が
戦争遂行に不可欠にして、交通網にても函館、室蘭本線を短絡する重要な線路という理由で
7月1日に買収され、伊達紋別ー倶知安間が胆振線となりました。
尚、買収により旧・胆膽鉄道の西喜茂別ー喜茂別間0.6kmは廃止、西喜茂別が喜茂別に改称。
●昭和新山隆起(そばには「明治新山、通称四十三山」もあります。明治43年噴火)
こちらは1943年(昭和18年)12月末、洞爺湖、壮瞥村にかけて鳴動を伴った地震が発生。
それが日ごとに数を増し、同時に壮瞥周辺で線路もろとも地盤が隆起し、胆振線の路盤付け替えを
2回行っております。隆起の刻々たる変化をたどりたいかたは、当時、地元の、郵便局長をして
おいでだった、三松正夫氏の「ミマツダイアグラム」をご覧ください。
●戦後の胆振線
戦後も沿線の鉱産物、農産物、林産物の輸送は続き、1960年代が列車本数的からして盛況で
札幌ー倶知安ー伊達紋別ー札幌間の循環準急「いぶり」の運転もありましたが、鉱山の閉山により
支線だった京極ー脇方間が昭和45(1970)年に廃止。その後は過疎化、モータリゼーションの発展に
より輸送量が激減して昭和61年廃止、バス転換されました。
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皆さま、大変お疲れ様でございました。
倶知安までのシリーズは今回で終了でございます。
次回からは、昭和40年代中盤、「撮り鉄さん」たちを熱狂させた区間のお話です。
「かつての栄光区間を行く」にお付き合いくださいましてありがとうございました。




