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大分交通、耶馬渓線残存区間:中津ー野路10.4kmのおわかれ列車で
あります。あらゆる交通機関は乗客で一杯々々、下りのさよなら列車(野路行き)は終点に
近づくほど人が乗ってきて、いけそうなところまで乗車しましたが、次第に体が
上下別れちゃったaaaaaa?位気分が悪くなり、終点から二つ目の「諫山駅」であまりにも
悲惨な状況となり下車、あとは徒歩となりました。
場所は短縮後の終点となっていた野路と一つ手前の真坂の中間より少し野路寄りのところです。
撮影日:昭和50(1975)年9月30日午前11時前。

いわゆる「かぶりつき特等席」のしかもテッペンまで一杯々々の先頭車、キハ602右と
左後続のキハ603。上り「中津」行き。右が進行方向。
横断幕は「さよなら、やばけい線」
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この年私は浪人生となっており、興味があった大分交通線は、周囲に異様・怪異な
石仏群が半島に散在している、元国東鉄道の国東線を石仏群見学の足に
できたらいーな?と思っていたことや、杵築町駅(→杵築市駅)の構内配線が、
名鉄新名古屋駅風の中線が両方のホームに降り立つことができる、地方私鉄には
珍しい変則3面4線のレイアウトでしたから、是非見参に及びたいところでありましたが、
国東線は昭和41(1966)年に集中豪雨の影響とはいえ、早々に廃線となっておりました。
実は、耶馬渓線はあまり収穫はないものと、遊び半分できました。
でも来てよかったと思っています。「百聞は一見に如かず」とはまさにこれだ!!!
「野路駅」は棒線構造の無人駅で、なぜここが路線短縮の際終点になったのか
それだけが気になっていました。過去に基幹駅だった時代や大きな市街地があった
形跡もありませんでした。
実際「野路」まで行ってみますと、それより山側のルートは輸送実績が落ちるので
しょうけれど、トンネルと橋梁が急に増えるのです。
これは国東線で橋梁流失で路線を失うことになった教訓から、鉄道の人工建造物が
ほとんどなく、天災の影響を受けづらい中津ー野路に限ってもう少しやってみようという
ことだったと思います。
しかし結果は残念ながらモータリゼーションと過疎には勝てず、また中津駅の
国鉄高架事業が完成したときに、大分交通も、軌道を続けるのなら高架にすべし、
というお達しが出ていたようです。
資金的に無理と思われた同社は、耶馬渓線を店じまいしてしまいます。
●大分交通線のこと
やや合同に終盤もめましたので遅くなりましたが、戦時合併の一つになっているようです。
昭和20(1945)年4月 別府大分電鉄・国東鉄道・耶馬渓鉄道・宇佐参宮鉄道・豊州鉄道
(もとの日出生鉄道)・別杵自動車が合併し、大分交通発足しました。。
■別府大分電鉄→大分交通別大線、以下大分交通は省略します
!!明治29(1896)年8月5日設立、歴史ある会社です。
別府マラソンの時、よくTVにうつっているのをご覧になったことをありませんか?
(ってなくなってからもー40年経つんですねー)
- 豊州電気鉄道設立、日本で5番目の市内電車。 大分ー亀川18.4km
昭和47(1972)年4月5日、全線営業廃止
大正3(1914)年3月30日 国東鉄道株式会社設立
昭和36(1961)年10月
集中豪雨による鉄橋流失のため、安岐 - 武蔵間休止(中間の5.2km)
昭和39(1964)年9月1日 安岐 - 国東間廃止12.2km
昭和41(1966)年4月1日 全線30.3km廃止・・・
この一月後大分空港の市内から安岐地区への移転が決定
■耶馬渓鉄道→耶馬渓線
大正2(1913)年12月26日 耶馬渓鉄道株式会社設立
昭和46(1971)年10月1日 野路 - 守実温泉間 (25.7km) が廃止
昭和50(1975)年10月1日 中津 - 野路間 (10.4km) が廃止=全線廃止
■宇佐参宮鉄道→宇佐参宮線
大正3(1914)年3月25日 宇佐参宮鉄道株式会社設立
昭和40(1965)年8月21日、全線廃止
豊後高田ー宇佐4.0km(国鉄連絡)-宇佐八幡8.8km
■豊州鉄道(もとの日出生鉄道)→豊州線
明治45(1912)年5月28日日出生鉄道設立
昭和4(1929)年4月24日豊州鉄道に改称
昭和26(1951)年8月14日貨物はトラック便代行となる
昭和26(1951)年10月14日ルース台風で橋梁の橋脚が倒壊、全線運休
昭和28(1953)年9月30日全線廃止 豊前善光寺ー豊前二日市15.5km
●キハ600のこと
もと大分交通キハ600型601-604
- →紀州鉄道 形式-キハ600 603.4 計2両
製造初年(製造所) 昭和35(1960)年 新潟鐵工所(現・新トランシス) 日本車両
18.5m、26ton、両運転台車、湘南型
定員(座席数) 120 76 サイドシート
エンジン(出力ps:回転数rpm) DMH17C 160*1 1500 クーラー なし
参考文献
「js3vxw.cocolog-nifty.com>L3紀州鉄道 キテツー1形 キハ600形」様
http://js3vxw.cocolog-nifty.com/photos/befu/gobo_r_603.html
●<キハ600形 603・604>の紀州鉄道移籍後の動き
603+604を昭和50年(1975年)に購入、平成21年(2009年)に定期運行を終了している。
足回りは軸ばね式コイルばね台車ND-26で、西御坊側を駆動台車としている。
エンジンはDMH-17B 160HP、変速機はTC-2である。内装は鋼板張り+ペイント塗装、床は木造防腐剤塗布。車内灯は白熱灯。
座席配置はセミクロスシートとし、固定シート12脚、扉付近はロングシート。
*上記とはシートとエンジンの種類が違っていますね。
更新時変更があったのでしょうか?
☆大分交通の塗装・番号のまま入線。昭和59年(1984年)にドアエンジンを取り付け。
フロントガラスはHゴム支持であったが、留め金に変更。
平成元年(1989年)にワンマン運転の開始に伴い、ワンマン機器の
取付工事を施工。
☆大分交通キハ601・603(国東線用)、602・604(耶馬渓線用)に配置。
国東線は昭和41年(1966年)に廃止となってキハ601・603は耶馬渓線に移った。
耶馬渓線も昭和50年(1975年)に廃止、キハ603・604のみ紀州鉄道に移った。
キハ600他大分交通内燃車には、全車「固有名詞」がついていました。
●キハ601「やまびこ」・キハ602「しおかぜ」- ●キハ603「かじか」・キハ604「なぎさ」
- 譲渡後。
キハ603は2012年除籍後、紀伊御坊駅後、紀伊御坊駅にて動態保存。
キハ604は2010年解体。
参考文献
「とりぬまぐみの車両台帳」様
http://blogs.yahoo.co.jp/railfantorinumagumi/27145943.html
受験とテツドーを天秤にかけていた怖いもの知らずだった時代 了