福井から東古市に至る、北陸の鉄道②-1、前半:京福越前本線、昭和58(1983).4.24. | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

昭和58(1983)年より私は身辺が一段落し、旅行を再開し始めました。


この3月22日、旅行の御報告の一部として、当時、「福井県・丸岡町(現・坂井市丸岡)」に
丸岡鉄道の遺構として残っておりました、本丸岡駅がバスターミナルに使われている様子を
御紹介したのですが、書いてみるとあまりにも小ネタすぎまして・・・
はじめに、マクロ的にでかく周辺地理なり御説明すべきだったかなーと(言葉・文章では
書きましたが)反省している次第で・・・

これから、福井から永平寺にいたる道のりを、途中の東古市(現・永平寺口)で
きって2回に分けてご紹介していきたいと存じます。

*前半:福井から東古市まで
◇福井駅に降り立つと・・・海側の立派な改札口(西口)からすぐ見えたのが、
ずらっと海産物が並んだ対面商売の大きな市場・・・鮮魚類の両脇には「越前竹人形」・・・
えらい高価なんですわ、これがまた・・・見栄張って武者人形風のものを買いましたが・・・
それらをはじめとする民芸品を扱う土産物店。

でも高価なだけあって、
俗っぽく言うと「竹人形はカッコイイ」のです、乗馬姿、深編み笠、箙から矢を一本とって、弓に
番える途中といった格好で・・・動きも伝わってきますし・・・


くるっと振り返れば、堀が・・・あったかどうか記憶がないのですぅぅぅぅぅぅぅ・・・
とても立派な「北の庄跡」という格調高き造作の、扁額と顕彰碑を足して2で割ったような、
輝緑蛇紋岩?(オイオイ、あんまりヨタかくなよ!!)を用いた表門札。


向かって右手の交差点の信号機の住所には「三の丸」。
城跡縄張り向かって左手後方にはちょっとこんもりした、木立があって、寺社が数棟
建っているようで、ここも、城から打って出れば、前線基地として使えそうだなと、
さすが、秀吉に敗れたといっても、柴田勝家が総曲輪、並以上の出来栄え・・・
(京福電鉄の事やるんじゃなかったのカイ?)

・・・・・・・シ~ン・・・・
そこで、私は思い立ちまして、ここにいても埒が開かんと。国鉄線を挟んで反対側の
改札口の方に、京福と共同の「東口」が見えていましたので、行ってみようということに
なりました。

北陸の私鉄は戦時統合が思いっきり進みましたので、鉄軌道がカバーしている範囲が
大きいのに、過疎・モータリゼーションが進んで、どんどん鉄道部門から撤退している
企業が多いということは、皆様よくご存じのことと思います。


終戦後の好景気を現在に至るまで比較的、そこそこ形を残し得ているというのは、
富山地鉄
くらいなもので、石川県の交通網をまとめた北陸鉄道は、最盛期
122.4km(金沢市内線など軌道を含めると144.1km)でしたが、現在の石川線+
浅野川線では20.6kmの鉄道線のみ(最盛期の16.8%距離、全体では14.3%)
となってしまい、福井県の合同を進める柱になった京福電鉄福井支社は、
94.2kmから、えちぜん鉄道が引き継いだ路線は53.0km(同56.3%距離)にすぎません。


◇それでは、早速、先日の本丸岡の出発前のところまで遡ることができるように、
  福井から、永平寺に向けて出発したいと思います。

東口に参りますと、南海電鉄からやってきた電車が多数たむろしておりました。
<写真ー1>の京福3000形は、南海初の高性能車、昭和29(1954)年製、平行カルダン車
11001形を昭和48--49(193-74)年にかけて、8輌の譲渡を受けたものであります。
この内、6輌が正面2枚の湘南電車型の二次車、2輌が正面3枚窓貫通扉付き一次車
でしたが、他の譲渡車と同様、正面2枚の二次車並みに改造されての出場となっています。
この改造の2輌のみ、中心線の隆起がやや平面的感じがいたしました。
また、3000形は、当社初の高性能車となりました。


他にも阪神ジェットカーの皮をかぶった旧性能車がおりました。
京福・福井では、これから申し上げる240と250形(<写真-2>に
登場いたします)などの観光客対象の各4輌が自社工場製の
最終作品で、以後は他社からのオネダリ・・・譲渡によって賄われる
ようになりました。


福井は、雪は深く、雪質も湿潤で重いともなれば、毎年車体の
外板他各所にガタが来る。一々細かいところまで付き合ってシューリ
していてもキリがないのですが、事故の素かと思えば放ってはおけず。
全員がコツコツやると、人件費・材料費がかさむ→、新車はまず無理と
ユーことになるそーです。キビシーですね。

***************************************************************************************************
<写真ー1>京福福井駅の京福3000形

元・南海電気鉄道の11001形で、手前は湘南型の3005編成(11001形二次車)、奥は平面的な感じが
しますので、おそらく、正面3枚窓、貫通扉付きであった3007編成(11001形一次車)を、自社工場で
湘南型に模したものと思われます。
***************************************************************************************************

当時[昭和48--49(193-74)年にかけて]南海では、600から1500Vへの昇圧、
また11001形については昇圧対応工事、冷改、6から4連への短編成化など、
工事が真っ盛りで、その経過中、余剰車が出た時に、「京福電鉄様へ8輌」などと、
契約が成立していったのでしょう。
一方で、南海電鉄ではすでに車齢20年たった車がまた急行用1001系(初代)としてよみがえった
ことに大いに高揚感でわきあがっていた事かと思います。

この3000形が加わったので、急行列車運用は、ほとんどこの3000形が一手に引き受けること
になります。


地方の中堅私鉄の事ですから、必ずしも100%明確に分かっているとは言い難い面もありますが、
定期優等列車運転について、判明している範囲で集めて書いてみました。
<福井ー東古市間路線図>と合わせての記載ですので少しわかりづらいかもしれません。

*永平寺線は「後半戦」で書きます。
また、三国芦原線は省いてあります。
*************************************************************
<図ー1>越前本線(福井ー東古市)の路線図と沿線状況;訪問時を中心に

  ●訪問時
     ○運転は、福井・勝山間が朝夕30分、日中60分の25往復。
     ○福井・永平寺は日中のみ直通があって60分毎です。1日5.5往復になります。
       (車輌を必ず電留線のある福井までもどしておかなければならず、
        第一便が福井を出ると、第5.5便が永平寺から福井に帰ってくるという意味です)
      ☆急行は福井ー勝山が朝上り:1、夕下り:1。所要44分(各停55-56分)
      ☆朝ラッシュに福井から東古市に2本、東古市から福井口行き1本
############################################################################
    ◎定期優等列車の歴史(越前本線・永平寺線のみ)
   ☆急行・福井ー京福大野:昭和10(1935)年以降
     ・停車駅:福井、新福井、福井口、松岡、東古市、山王、小舟渡、発坂、勝山、京福大野
   ☆急行・福井ー永平寺:昭和32(1957)年~平成14(2002)年
     ・停車駅:福井、新福井、福井口、松岡、東古市、永平寺
   ☆特急・福井ー勝山:平成10(1998)-平成12
          ・停車駅:不明
          ☆☆:停車駅はいずれも昭和46(1971)年実績
############################################################################

    # 新福井ー福井口間は新幹線工事のため単線化されました。

*****************************************************************************

<写真ー2>福井ー新福井のモハ250形2連

手前は自社工場製の最終グループ250形4輌の内の2輌。カチカチ音を立てながら走っていたので、
電磁カム制御か?と思いまして、帰宅後、雑誌(ピクトリアル誌)を調べたらあたっていましたので
少しうれしくなりました。
モハ240形は昭和28(1953)年、250形は昭和32年製で出力は各々75KWx2=150、45KWx4=180で
2形式とも16m級の車
です。配線は本線の複線のほかに側線が少しあるように見えます。
後ろは元々南海1201形の譲渡を受け、モハ2101形として就役させていたものを、外板の腐食・
痛みが著しく阪神・ジェットカーの外板のみ載せ換え、足回りはそのままに形式番号もそのままで
活躍しておりました。

*****************************************************************************************************
<写真ー3>新福井駅。


実は<写真ー4>の拡大図ですが、「路端の交番?」といったいでたちであまり「鉄道駅
らしい形・雰囲気はないように思いますが如何でしょう??
************************************************************************************************
<写真ー4>新福井駅界隈はこんなところ


交番?町内会集会所?
*****************************************************************************************************
<写真ー5>福井口駅、以下三葉同様


◆片式1面、島式2面4線(三国方面と勝山方面で各1面ずつ使用)と構内自体も広く、車輌区、
工場も取り込んだ、本鉄道の中枢駅。
◆北陸の鉄道は大駅前の中堅クラスの駅名に「XX口・くち」と名付けた駅名が他の地方より
多いかもしれません。
福武口(南越鉄道→福井鉄道南越線:すでに廃線)、上市口→上市(富山電鉄→富山地方鉄道)
北陸地方外:一畑口(一畑電車・島根)、吉野口(吉野鉄道→近鉄・奈良)etc.
◆越前本線(右へカーブしている線)は、次の「越前開発・えちぜんかいほつ」まで複線です。
  「発=ほつ」の発音も
  この付近独特のもので苗字にも「発田・ほった」さんがいらっしゃいます。

****************************************************************************************************
<写真ー6>福井口での三国芦原線と越前本線との分岐の様子


全線右へカーブしておりますが、
右へのカーブがきついのが越前本線
すこし直進して、路線が写真奥では向かって左手になり、右へのカーブがきつくない方が三国芦原線。

****************************************************************************************************
<写真ー7>珍しく片式ホームに電車が入ってきました。


当時は島式2面のホームで電車を方向別に使っていたようでして、1番線は当駅発着列車の
区間便と言うお約束と伺っておりました(現在のホームの運用とは異なるようです)。

3扉車のモハ271形(元・相模鉄道モハ1000形)かモハ281形(元・東急デハ3300)だと思います。
私自身は、ここまでは、近いと思ったので徒歩で来たんですよ。実際にも1.5kmでした。
*****************************************************************************************************
福井口から・・・本日の第一目標永平寺までは・・・

勝山行きにのって、東古市乗換えで永平寺線内乗り換え便を使うか、
面白さはありませんが、復路のみ鉄道を使い、行きはバスにしてもいいわけです、

ひょっとして、遅い午前便だから、♪永平寺直通便も期待できるかも???・・・♪?
でも、
勝山行きの電車が来ました。デハ?モハ??やっぱり、では、さっそくみてみましょー。


車番までは思い出せませんが240番台の窓が大きく軽快な感じの車!
なかなかいーぢゃないですか!!


 正面三枚窓非貫通。2連で連結面が貫通扉付き。
両運車で、ノーシル、ノーヘッダ、バス窓風3段窓、全金製ですってよ。
車内はクッションがややお疲れですが、片側7脚の扉間転換クロスシート。
内部のフンイキ、採光、現代でも充分通用すると思います。
小細工しないで、ドンドン光を入れちゃっておうという考えデスネ?

窓は位置はd2D7D2d。

昭和28年、永平寺、芦原温泉、東尋坊が「国鉄周遊地に指定
された機会に、旧形電車をカッコヨク、全金化し、観光客輸送に
ふさわしい車輌にしちゃおう!という一石二鳥を狙ったクルマらしいの
ですが、見事に、両方とも目的を達成しています。


南海から3000形が来る前は看板電車だったといいますけれど、
当然の出来栄えですね。

走り始めると、モーター音が「ゴロゴロッ」とつりかけ音・・・ご愛嬌ご愛嬌・・・・
**************************************************************************************************

<写真ー8>京福初乗り、発券機から

このとき、国鉄初乗りは120円でしたが、翌年130円になりました。
その国鉄と全く同程度の運賃でしたから、地方私鉄の運賃としては驚異的低額といえましょーか?

.****************************************************************************************************
とりあえず、私は、福井で「越前竹人形」を買い・・・騎馬武者風、16-17cmで¥8000くらい
だったと思います・・・
福井口で勝山行き「240形」にのって永平寺線の乗換駅東古市駅に向かいます。

福井から東古市に至る、北陸の鉄道②-1、前半:京福越前本線、昭和58(1983).4.24   了

後半に続く!!
********************************************************************************************
<参考図書>
・日本鉄道旅行歴史地図帳 6 北信越 今尾恵介・原武史 監修 新潮旅ムック 新潮社 
  平成22年10月1日
・鉄道ピクトリアル 1986.3臨時増刊号 <特集>中京・北陸地方のローカル私鉄 Vol36 No.3
  通巻No.461  鉄道図書刊行会
・The rail '80 summer とれいん増刊 小田急ロマンスカー/北陸の私鉄/アメリカの蒸機保存鉄道
  黒岩 保美 編集、エリエイ出版部/プレス・アイゼンバーン 出版、昭和55/1980年9月10日発行
・The rail No.17 京福電車の歴史と現況
  黒岩 保美 編集、エリエイ出版部/プレス・アイゼンバーン 出版、昭和61/1986年2月28日発行