東北本線・栗原電鉄:石越駅
まず、レンタカーを借りるのですが・・・
当時は一番安いクラスで1200-1400cc車を6時間借りて、5800円だったと思います。
では、東北本線・石越駅からスタートです。
栗原電鉄の起点が、もっと大きな基幹駅であったら、細倉の鉄道の運命もかわっていたのかもしれませんが、付近で一番大きな駅といえば、16km南に瀬峰、22km北側に一ノ関になります。さすがにそこまでの、路線延長は厳しかったでしょうね。
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若柳駅、栗駒に向かって最初の駅員配置駅です。
東北新幹線の盛岡以北への北進の時「くりこま高原」駅が、当駅か次の沢辺駅に併設されることを、切望されることを関係者の方々は最後の活性剤にと、先にも書きましたが・・・
多分・・・いくらかの収入増になったかと思われますが、鉄道の存続に役に立ったかどうかは、甚だ疑問です。
施設などは、昭和30年代の物がそのまま使われておりましたが、更新できるほどの余裕はすでに当鉄道にはなかったはずですし、「石越」駅には申し訳ないのですが、そこに、従来線で新幹線利用の乗降客の鉄道シャトル便をはしらせても、JRが協力してくれなければ、輸送力増強に意味がありません。
結局、「新幹線駅に併設された、従来型のローカル私鉄+強化されたバス便」の方がエネルギー効率上優れていて、行き先の選択権も広がるのではと思われるからです。
現在、系列のバス会社が、新幹線の発着に合わせて、石越駅までのバス便を出しています。
2012年の乗降客は新幹線片道23本に約1200人。乗り降り半分ずつとして、1本当たり26人平均。日中はもう少し乗りましょうから、30-35人/回といったところでしょうか。
この降車客を、中型バスに素っ気なくギリギリ詰め込んで、石越までの往復便のみの運輸に徹して経費を削るか、作並、秋保などの有名観光地までのバスも一緒に出しちゃうか・・・
よけーなおせわだろーって?
ハイハイ、では次ね・・・
ここで、私はあまり時間がなく、レンタカーを飛ばして、沢辺の手前で国道と二股に分かれるところで、違う道に入ってしまい、40km制限のところ、54km/hrとかで捕まりまして、国家に¥14000お納め奉ったのでありました(罰点1)。
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沢辺駅です。第1期工区の終点で、栗原電鉄はここから始まりました。
車庫所在地で、当鉄道の中枢駅であります。
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沢辺車庫です。留置中の電車は床下艤装がほとんど無く、制御車と思われます。
C15または、C17ということになりますが・・・C15はこの時期引退していますので
元西武鉄道・375系改造C17(171)と考えてよさそうです。
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*西武鉄道375系:西武鉄道375系こと元・鉄道省モハ50形ですが、もっとさかのぼれば、
大正12(1923)年製木造省線電車、デハ63100形の機器と16m級
省電を組み合わせ、17m級半鋼製電車を昭和7-18(1932-43)年まで長期にわたり作り
続けられ、形態もさまざまでありましたが、便宜上、「モハ50、クハ65、サハ75」の三系式に
まとめられた一部でありました。
C17-171は昭和62(1987)年、この訪問の2年後あまり活躍もせず、引退してしまいます。
種車が古すぎて老朽化が進行していたのか、沿線人口がもう2輌連結の運行を必要と
しなかったのか・・・
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栗駒駅です。沢辺駅と並んで当鉄道にはなくてはならない中枢駅であります。
若柳・沢辺が木造駅舎でしたが、当駅は沿線で最も大きく立派!!モルタル2階建てであります。駅舎内には売店、バス案内所、待合室もあって、この写真からは想像もつかないほど、建物の中は賑やかでした。
駅前は近隣への観光名所へのバスターミナルになっていました。
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細倉駅です。当駅も平屋ながら、モルタル塗りでありました。
旅客扱いは当駅までです。
鉱山が現役の時は、さらに700m山側に細倉鉱山駅があり、
第3セクター後の「くりはら田園鉄道」への転換後は200m山側に「細倉マインパパーク前」が平成2(1990)年6月16日開業しています。
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細倉駅の貨物ホームと側線には余裕が感じられます。停車中のM151型。
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当鉄道は、平成9(2007)年4月1日万策尽きて鉄道部門が廃されました。
大正10(1921)年12月20日の栗原軌道創業以来、86年目の出来事でありました。
第3セクター化や、観光鉄道への脱皮の難しさ、過疎への支援と口で言うのは簡単ですが・・・
何でも現在の特別出生率でずーーーーーっとこのまま行きますと、日本の人口は、早くて西暦3000年には「1人」遅くとも3300年には「0人」になるのだそーで・・・
これは、「我々はかんけーない」ではなく・・・
あ、探訪記でしたね、そーいえば!!!
こういうことを申し上げると、関係者の方にお叱りを受けるかもしれませんが、「田園鉄道」の経営が軌道に乗り「細倉マインパーク」への足として定着したのちに、東北の震災が来なかったことは本当によかったなと、心から思います。
栗原電気鉄道 完