<写真>大阪駅上り2番ホームに停車中の関空・紀州路快速「223系4連x2」
環状線をグルッと廻って天王寺まで行きます。17:48発。2013(平成25)年10月5日。
今年、2度目になります本州出張です・・・ヒトヅカイアライ・・・
***旅程***年寄りにはきつい***10/4、仕事が終わってから出発・・・
10/4 往路
千歳19:35発ーー→関空21:45着 ANA 1720便(737-800型)
JR西日本:関空ー21:56発→→大阪:23:05着 225系 関空快速
10/5 会議 9:00-17:30(昼休み1時間)
復路
JR西日本:大阪ー17:52発→→関空:18:58着 235系 関空快速
関空19:50発ーー→千歳21:45着 ANA 1719便(737-800型)
JR北海道・新千歳空港22:00発ー→手稲23:06(札幌まで快速エアポート)
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0/4、10/5とも:東岸和田から着席、乗客の大半が入れ替わるようでした。
<大阪>--(37.6km、A)ーー<東岸和田>--(19.4km、B)ーー<関空>
A:約50分、B:13-16分→表定速度A:約45km/hr,B:約70km/hr
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●使用車輌について:225系0番台
オール電動車編成。加速度2.5km/hr/sec。最高速:130km/hr。歯車比:6.53
編成重量:316.8ton/8輌編成時=39.6ton / 1輌当
☆気のせいか発進時、モーターの反応(たちあがり)がややゆっくり目でしょうか?
●●「阪和線」
******夜、疲れて、立ち席乗車すると「阪和線のすごさ」がよくわかります。
特に、私のような膝が悪い人間にとっては・・・******
知る人ぞ知る阪和線は昭和4(1929)年世界恐慌の年になんとかかんとか、ゴーインに間に合わせて全通させました。
何が知る人ぞ知るですって? どこが「すごいか」ですって?・・・・まーそれは、オイオイ・・・
ところで、京阪神の私鉄には「ふたつのタイプ」があります。
①ひとつは、阪神本線、京阪本線のように、以前は半分道路に随伴するような形で、主な集落を丁寧に縫って線路を敷設したタイプです。
将来的には、高速電車線を目指しながらも、関係省庁の目を気にして律義に「軌道法に準拠した方法で軌道を敷いた」グループで、後年その軌道トレースが、「京阪カーブ式会社・阪神カーブ式会社」などとスピードアップのネックになってしまいますが、さらに時代が進むと、「京阪」は日本一の複々線鉄道を作りましたし、「阪神」は優等列車逃げ切り用に「ジェットカー」という高加減速車(起動時加速度:5.0km/hr/sec,を作り(1954初年) 日本の私鉄界をキョーガクさせました。
後、JR東日本がE223(1994年初年)でジェットカーとタイ記録となる加減速の車輌を作ることで、長~い空白はやっと埋まりました。確かに、同様のコンセプトを打ち出して走っている線区が少ないことも事実でありましたが、後継車?誕生まで半世紀かかってしまうほどの、素晴らしい車でした。
もうひとつ②は、始めからある程度、人家が少ないところを通り、地価の安価なことに任せて、コースはなるべく直線、大鉄橋・大トンネル以外の大土木工事箇所をのぞいては距離が長くても一日で出来上がってしまう、小田急本線(小田原ー新宿間、82.5km)などは歌になっているくらいゆーめーですね。
でもこれにはある程度覚悟が必要です。人家がまばらなところに線路計画ですから、せめて始発・終点の街くらいは大きくないと、集客に失敗すると「儲け」が全くなくなってしまいます。
では上記のような鉄道にはどんなものがあったかと申しますと、淀川左岸にできました、「新京阪鉄道」(名前からお分かり頂けるよう100%出資の京阪電鉄の子会社です。
京阪カーブ式会社が、心血を注いで敷設した線形良好な高速電車線でありましたが、結局、戦争が進むにつれて輸送力増強と国家命令が下り、一旦新京阪は京阪に合併されます。
しかし、この後財産集中排除命令が出て、元の新京阪鉄道は、阪神急行電鉄(=阪急)に合併され会社名も京阪神急行電鉄と名を変え(略称は阪急のまま、意外と知られていませんんが、「京阪神急行電鉄」は昭和48[1973]年まで会社の正式名称で以後晴れて「阪急」となりました、ここの電鉄会社は人家がまばらのところを走ることを逆手にとって、「不動産業」にも力を入れ、付近の土地を買い占め、「XX駅前タウン」を一生懸命造成、成功しました(のちの阪急神戸線)。
1日ではありませんが、相当長距離をほぼ大きな曲線を作らないで路線を敷ききった会社としては、千葉ニュータウンで延伸を一休みした「北総鉄道」がそれに当たるでしょうか。
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<阪和電気鉄道と阪和線>
これからご紹介する「阪和電気鉄道」は
昭和4(1929)年、阪和天王寺(現・天王寺)ー東和歌山(現・和歌山)間61.2kmを2期工期で全通させました。
並行路線としては南海鉄道(現・南海電鉄、純民間資本鉄道としては日本最古)がありました。こちらは、織豊時代から急速に発展を遂げた堺市をはじめ、それぞれの地域ごとに中心となる小さいながらもまとめ役の自治体があって、堺以南では、羽衣・泉大津・春木・岸和田・貝塚・泉佐野・・・・といった都市群が延々和歌山まで続いており、文字通り成熟した線区でありました。
そこに、全く正反対の土地、すなわち沿線人口が大阪・和歌山の中では低いところをことさら選択し、その代わり和歌山までのコースは阪和県境の分水嶺であります山中渓(やまなかだに、雄ノ山峠から四石山のサミット近傍)駅付近以外はほぼ平坦・直線で占められ、なおかつ線路規格は、東海道・山陽路に匹敵する50-60kgレールを使い、電動車は一見、重戦車の如きいかつい鋼鉄の塊、約50トン)といった重さの車体を200PSx4という電動機出力で強引に引っ張り上げるといったやり方で、昭和8(1933)年には国内の私鉄ではおそらく初めての「超特急」を創設、両駅間ノンストップで疾駆することになるのです。
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この辺のお話の参考文献
20世紀 時刻表歴史舘 様
*展示室◎戦前黄金時代●都市と地方
私鉄黄金時代-南海電車との激闘
http://www.tt-museum.jp/golden_0090_han1932.html
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この阪和電鉄の天王寺ー和歌山間超特急の表定速度61.2km/hrは、昭和33(1959)年、電車特急「こだま」の東京ー大阪間を83.5km/hrで走るまでの26年間、定期列車の最高峰として君臨し続けました。
さらに阪和間に限れば、昭和47(1972)年新快速が45分と「超特急」とタイ記録でならび、特急「くろしお」の最速列車が昭和51(1976)年、41分とやっと戦前のレベルを53年ぶりに更新しましたが、後者は特急料金が発生しておりますので、やはりこの段階でも「阪和電鉄」の勝ちだな・・と思いました。
*****南海鉄道 VS 阪和電鉄 と南海鉄道山手線など
--ーいつもマエフリ長くてスイマセン、やっと、本題の「手前」まできました
鉄道省は紀勢本線の全通はいましばらくかかると考えてはいました(実際に昭和33[1959]年までかかってしまいます)が、多数の観光地に恵まれている「紀勢西線」の東和歌山ー新宮間が京阪神の省線と連絡していず、宙釣りであることに非常に不便を感じておりました。
「何としても、大阪地区と和歌山を結ぶ路線を国有鉄道に組み込みたい」と動き始めます。
鉄道省は最初、昭和13(1938)年、南海鉄道の買収を試みますが、あえなくけられてしまいます。途中いくつかの鉄道会社を合併、いよいよ昭和15(1940)年、戦時交通統制のため阪和鉄道と合併します。元・阪和の路線は「南海・山手線」と呼ばれることになります。
交通統制法の実施命令は鉄道省と逓信省から出るものでありますが、この法律ができた時、鉄道省は「ヤッタぁー」と思ったに違いありません。
と申しますのも、昭和19(1944)年、戦時買収で運輸通信省(昭和18年、鉄道省と逓信省が合併して誕生)に南海・山手線(=元・阪和鉄道線)から譲渡を受けたのですから。
そして、残った南海鉄道は、それまで縁もゆかりもなかった「上本町ー伊勢中川ー伊勢地区など」を運営していた「関西急行鉄道」と合併して「近畿日本鉄道」が誕生します。
この段階までは、一番得をしたのは鉄道省→運輸通信省だろうと思うのですが、今になって、阪和線を私鉄に戻せ、といった声も聞こえるとか?
**********阪和線訪問記その①、昭和54(1979)年
私は、阪和線を2回訪れています。どちらも、自慢するような「乗ってきた!!」といった「ノリテツ(モチロン当時はそんな言葉なんかありませんでしたが)」をしてくるほどのモノでもありませんが。
1回目は、昭和54年の夏休み、フリコ特急、381系2シーズン目のことです。
ふとしたことから、時間があいて、もったいないと思った私は、
(こーゆー時に限ってカメラをもっていません)・・・
大阪環状線で天王寺に行き、南海電車の一般特急(7101系?でしたか?)で和歌山へ。
帰りは、阪和線で、「くろしお」を待って乗って帰ってきました。
最高速度(120km/hr)までださないせいなのか、線形良好のためか、フリコのためか揺れらしい揺れは阪和県境でやや感じた程度でした。
真剣に国鉄が戦ったら南海は負けるかな?と思うほどの乗り心地でした。
このときは、進行方向右側に陣取り、駅舎といきかう車輌に注目しておりました。
途中、東岸和田、和泉府中、堺市など街並みは相当大きそうでしたが、駅は、それに見あうだけの大きさがなかったような気がいたしました。
その他にも、私鉄から出発した鉄道ですから、在京・在阪の現在でもみられるようなポピュラーな中型、小型、超コンパクト駅が沢山出てきました。
小さい駅は、大阪寄りの方が駅間距離が詰まっていて、そのためか多かったように思います。
****************阪和線訪問記② 今年の分です。
行きも帰りも関西空港ー大阪間で、乗った阪和線区間は「日根野ー大阪」です。
真っ暗で、外の景色を見ることができるわけでもなし、さぞかし、おもしろくないだろーなーと思っておりましたら!・・・!!・・・行きの東岸和田までの立ち席乗車分、帰りの東岸和田までの立ち席乗車分、往復でちょうど片道立って乗ったことになりましたが、全く揺れません・・・というべきなのでしょうか?ポイントや天王寺駅などでの転線以外では、左右に振られませんでした。
意外なことに、ロングレールを使っている個所が少ないので、30秒間に聞えるジョイント音の3倍が時速なのだそうで、それを信じるのであれば、私に乗っていた電車は、一度も80km/hrを越えませんでしたが、それにしても「阪和電鉄は昭和の始めにこんな贅沢な路線を作ったんだ!!・・・という表現が正しいのか、来るべき時代を予測して、こんな素晴らしい路線を今生きる我々にプレゼントしてくれたのか不明ですが、トニカクカンドーモンの乗り心地でした。
帰路の大阪→東岸和田間約50分立って参りましたが、古傷の右ひざが段々痛くなってくることはついにありませんでした。トリモナオサズ、なめらか軌道のタマモノと感謝しております。
次は、本文からはみ出た、小さな話題をネチッコク拾ってみたいと思います。
大阪出張 その1 おしまい・・・その2に続きます・・・多分?