記念物①:栗原電鉄の記念乗車券 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。


 
  

  

  
 
  
当品は、 昭和60(1980)年7月23日栗原電鉄を訪ねた時に購入したものです。
栗原電鉄の設立は、大正7(1918)年、細倉鉱山から産出される非鉄金属の運搬を目的として特許が出願され、同年「栗原軌道」が設立されました。
最初の開業区間は、東北本線上の石越と沢辺間で、細倉鉱山まで昭和17(1942)年に全通していますが、旅客はその手前の細倉まで、車庫所在地は若柳でした。
過去に鴬沢でも列車交換が行われていましたが、専用線がなくなってから、交換設備を存置したまま、無人化されました。
以後昭和25(1950)年、750V電化、昭和30(1955)年、 762から1067mmに改軌されております。

昭和33(1958)年以後、近隣の交通統合があり、事業主が次々に変わっていきます。
それとは無関係に、昭和45(1970)年ころから、鉱石運送がトラック化され、過疎化も進み、昭和61(1986)年円高の影響で鉱山自体が閉山。
三菱マテリアルが鉱山の事業から手を引き、鉄道の補助も打ち切ったことから、第3セクター「くりはら田園鉄道」として、合理化のため電化鉄道をやめ、内燃鉄道を開業したものの、赤字の累積はとどまらず、平成19(2007)年4月2日廃止となりました。

昭和30年、改軌開業時に準備された15m級電動車151-153は、当時東北一の性能といわれました。

さいごにおまけ。
くりはら鉄道関係者は、東北新幹線が、沢辺か若柳に駅を作ってくれることを、鉄道活性化の最後の望みとしていたようですが、それもかなわず、当鉄道は過去帖入りしてしまいました。