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<その1のダイジ>
●昭和19(1944)年春、ミッドウェーで沈められた空母群を含めた聨合艦隊を再建しようと、帝国海軍は必死でした。
●海軍では2次ソロモン沖海戦、マリアナ沖海戦、陸軍ではガダルカナル島争奪戦以後攻守が逆転。
●昭和19(1944)年、陸軍はビルマ・インド方面で、「ミッドウェイとソロモン(海軍)の仇は陸軍がとってやるぞ!」とばかりに、オトボケ出撃した(こんな負けが込んできてから反撃できるとでも思ったのだろーか)、MぐちRや軍司令官率いる3個歩兵師団基幹の1個軍が、巧妙な英印軍の作戦と折からの雨季で、損耗率60%というミゾーユーの損害を出して、1個軍は壊滅、全ビルマ戦線で、日本軍の壊滅のきっかけになりました。
●一方、そんな中、陸軍がへまをすれば、何とかしようと使用と海軍だって焦りは出ます。
●「不沈空母」と呼び声が高かった「大鳳」が米潜水艦アルバコアの6発はなった魚雷の一本が右舷前方に命中・・・大型戦闘艦の傷口としては「蚊にさされたようなもの」でしたが、仕上げの点検不足と乗務員の短期養成がたたって、戦わずして海の藻屑とあいなりました(就役:昭和19年3月7日-沈没:同6月19日)。
●末期になると悪循環が続くという見本のような話+よたがそろそろ・・・
そして悪いことに
海軍省と海軍軍令部は、次期大和型大型戦闘艦をどのような扱いにするか迷っていました。
一つには、設計上船長266mの船体を持つフネを造るのであれば横須賀しかない。
「その1」で大和3番艦をどのような型式の船にするか、「タラタラそーだん・・・真剣に熟慮している間に
大和型戦艦の象徴でもある46cm砲を呉工廠から横須賀工廠へ運搬するために必要な専用輸送船「給兵艦・樫野」が9月4日に米潜水艦によって撃沈され、本艦を大和型戦艦として建造することも難しくなりました。
そこで、最終決定は
「日本海軍は「大和型戦艦」を航空母艦 へ設計変更したとしても、対潜円陣形は雑木型駆逐艦(正しくは「松型および改・松型」)で目処が立ったが、将来的には、航空消耗戦で空からの援護が得られる保証がまるでないので、伊勢・日向型を大幅スケールアップした、航空戦艦を建造することとしました。
特に昭和20(1945)年8月12日の日ソ不可侵条約切れ以降、USSRがどのような行動に出てくるか全く予測困難であるので、万が一、宗谷海峡、間宮海峡を機雷封鎖されても、樺太、およびウラジオストックを航空機または艦載砲(射程100-150km)で攻撃できるよう、長距離砲の研究からはじめられました。
すなわち、艦載砲でいかなる砲撃もアウトレンジしてしまう、時代と逆行する大鑑巨砲主義の復活ともいえます。
注目の、
艦載砲(今回は主砲の話に絞ります)の研究対象になったのは、
①ドイツ帝国列車砲:通称パリ砲の二次世界大戦製2代目
②ドイツ対空12.8cm砲flak40
③帝国陸軍試製155mm高射砲(のちの5式15センチ高射砲
④帝国海軍65口径98式10センチ高角砲
⑤帝国海軍65口径5式12センチ高角砲<実在しません>
以上の5種で時間も限られていることから、砲身長が90m(艦艇長の1/3)を越えることがあれば2門のみの装備とし、他の長距離砲は別途考えることにしました。
また、機雷・魚雷対策も新機軸の導入を時間が許す限り考慮してみることになるのですが・・・
・・・それは、秘中の秘、巌谷英一中佐が持ち込んだロケット戦闘機「Me163B」の設計図が終戦に間に合わなかった局地戦闘機「秋水」の元になったのは有名な話ですが、実は彼が日本にもたらしたのはそれ以上に破壊力に富む兵器の、こちらは設計図と製造過程一切を掲載してある資料であり、全く別の形で開花したのでありました。
それはまた後ほど・・・
###### 全くの新品はここからです・・・ ######
☆ヨタバナシヲする前に少し駒を動かさないとやりづらいですね。
当時北海道、千島列島+北方領土、樺太を守備しておりましたのが。北海道を含めて陸軍第五方面軍(樋口季一郎中将)という組織でした。
事実は昭和19-20年、一旦対ソ連線に舞台は増強されていくのですが、20年になるとやはり南方重視の方針は変わらず、南へ兵力はドンドン抽出されていきました。
■◎印は昭和19年中に北方で編成されましたが、昭和20年南方転属となった部隊です。
◆千島方面防衛のため、陸軍は第27軍司令部を択捉島に新設し、
◇新たに、中部千島:温禰古丹島に海上機動第3旅団(◎)を編成。
◇択捉島:海上機動第4旅団(◎)を編成。
※海上機動旅団:3こ大隊+支援部隊からなり通常の旅団よりかなり小ぶり。しかし聨隊よりは装備充実
■昭和20年
◎2個の海上機動旅団、陸軍航空部隊と海軍部隊のほとんどが内地に転用されます。
しかし、 この転用での海上移動中に多くの部隊が、米軍による空襲、潜水艦の魚雷攻撃、艦砲射撃等で損 害を受けました。
■終戦時
◇占守島及び幌筵島に第91師団、
◇松輪島に独立混成第41連隊、
◇得撫島 に独立混成第129旅団、
◇北方四島 (択捉島、国後島、色丹島 、歯舞群島 )に第89師団 が配置されていました。
□昭和20年5月29日以後のお話
<ソ連第一極東軍>
☆1945年(昭和 20年)8月11日 - 北緯50度線を越えソ連 の赤軍 ・第一極東軍が南樺太に侵攻。
<ソ連第二極東軍>
☆8月18日 にはカムチャツカ半島のロパトカ岬 から砲撃が開始され、同時に、ペトロパブロフスク・カムチャツキー から出撃した赤軍・第二極東軍が占守島に上陸、日本軍・第五方面軍 第91師団 と交戦し、8月21日 に停戦 。
☆スターリン は占守島を1日で占領し、余勢を駆って北海道の東半分(留萌 から釧路 を結ぶ線)を占領する予定であったが、予想外の抵抗を受けました(日本降伏直後、スターリンはトルーマン への電報 の中で、ソ連軍による千島列島と北海道北半分の占領作戦準備を始めたが、北海道に関してはヤルタ協定に含めていなかったため、トルーマンに拒否されたよーです・・・あたりまえぢゃ)。
☆占守島の日本軍武装解除は8月23日 と24日に行われ、千島の攻略は樺太を見ながら行い、8月26日 に松輪島を、8月28日 から8月31日 に得撫島を占領しました。しかし、第二極東軍は択捉島に一度近づきながら、その先に進めませんでした(将兵のウォッカの飲み過ぎか?)。
<転用・再使用された、ソ連第一極東軍>
☆択捉島以南(南千島)の占領は、8月28日 に樺太制圧が終了した第一極東軍を転用しました。南千島占領部隊は8月26日に大泊 を出航し8月29日 に択捉島を占領、9月1日 に国後島と色丹島に上陸し、9月2日 に日本が正式に降伏する間も軍を進めましたが、両島の制圧には9月4日 まで費やしました(将兵のキャビアの・・・)。
9月5日 に歯舞群島 を占領して一連の計画は完了しましたが、占守島侵攻で時間を費やさなかったら北海道本島も侵略されていたと見る関係者の方もおいでになるようです。 ソ連占領地域は北海道本島との交通を遮断され、千島列島住民は本土への帰還ができなくなり、駐屯していた日本軍は武装解除の上、スターリンの指示でシベリア の収容所に連行されました(シベリア抑留)。
%%%%% さて %%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%
●●8/15以降の戦いの中で、もっとも大事な点は、ソ連軍に、決まった島嶼群に上陸させて、そこにアウトレンジから、艦砲射撃を行い、殲滅させれば、旧軍の損害はもっと減ったでしょうというお話です。
□当時どこにそんなに弾丸があったかって?
あるわけないじゃありませんか
それに沖縄戦も終わって、日本国内どこ探しても丸裸なんですから・・・一部をのぞいては・・・
それを、与太話にしてどれだけもっともらしく、話を作れるか?というのが今回の「遊び」の主眼で
す。
## 実際の日本軍の動き ############
・・・ところで、第五方面軍樋口司令官は、ソ連軍に本格的に攻め込まれた場合とてもではないが、今の手勢でで防ぎきれるものではないということをよく知っていました。
●樺太方面:巌谷英一中佐が持ち込んだ秘密兵器を使うことにしよう。
●樺太から北方4島に至るソ連側のシーレーン:航空戦艦「信濃」+北方軍残存飛行機を空母と美幌基地程度に分けて集中運用してみるか?
●占守島守備隊+戦車連隊:逃げ遅れたら全員玉砕は必至、時間的にあとがない。
攻撃するのであれば、野付半島~占守島間約200km。
対応しうる武器はあれしかあるまい。
・・・とここまで考えると、「島に自軍がいるのは、ソ連軍を一気に殲滅するには不都合だ。」
●●何事か思いついた樋口司令官、いそいそと海軍軍令部に連絡を取ります。何せ、この樋口閣下、「キスカ島撤退作戦<ケ号作戦>・・・7/29もみてね・・・」を成功させた陸軍側の責任者であり、大胆不敵かつ明晰緻密なる将軍で通っておりました。
「小澤長官(小沢治三郎聯合艦隊司令長官=帝国海軍最後の聯合艦隊司令長官)でありますか?
第五方面軍の樋口であります。
お願いしてありました件ですが・・・
は!望外の喜びであります。感謝申し上げます。」
ここで樋口閣下、再度電話を・・・それは千歳航空隊(千歳市)と美幌航空隊(網走管内・美幌町)と・・・
それがおわると、再び海軍軍令部に電話する、樋口司令官。先にお示ししましたが、「主砲がいかな形式になるやら」で今後の作戦の立案が気になる樋口司令官でありました。
●まずは艦載砲です。
◆①「パリ砲」の発想は「空気が薄い上空(成層圏)まで打ち上げると、射程が驚異的に伸びることに着目して開発がはじまりました。が、弾丸発射の磨耗から砲身を定期的に交換する必要があり、精度も、都市のどこかを狙えるという程度で、戦術的には有効なものではなかったよーです。
ところで、パリ砲の諸元ですが、自重は21センチ砲としては驚異的な256トン(同世代の21cm重榴弾砲の重量が17トン)に及び、砲の高さは28mもあって、約94kgの砲弾を発射し、弾道は高度40kmに達したとされ、80マイル(約130km)という信じられないような射程を実現しました。
人類が作った物体で、初めて「成層圏」に届いたものと評価されております。今まで書いてきたことは、すべて、第一次大戦の時のことで、今次の大戦も同じ規格の列車砲をやはり2門作りました。
今回は砲身寿命を考えたのか116kmと射程距離が、やや縮小されておりました。
パリに発射された砲弾は、320~367発とされ、家屋などに相当な被害をもたらし、250名が亡くなったそうです。
◆②の12.8cm対空砲は有効射程と初速[10700m,880m/sec]から計算される射程距離(射出角度45度)では、19741m打ち上げられ、射程距離78967mでありました。
重量17トン。長さ9.1m。発射速度10-12/分。
◆③は別名「久我山の高射砲」 重量9.2トン。砲身長90m。最大射高19000m最大射程26000m
発射速度と初速:6秒/発、初速930m/sec
同様に射出角と打ち上げ高、射出距離は45度射出でー88195m距離。
「ここで
有効射程:直撃弾があたる最大高度
最大射程:当たる当たらない関係なくどこまとばせるかをいいます。」
◆④は海軍「秋月型」防空駆逐艦用に開発された高射砲であります。 重量20.4トン。砲身長65m。最大射高13300m最大射程18700m 15-19発/分
秒/発、初速1000m/sec
同様に射出角と打ち上げ高、射出距離は45度m高ー101972m距離。
◆⑤は④のスケールアップ版。 重量24.6トン。砲身長78m。最大射高16000m最大射程22500m 15-19発/分
秒/発、初速を単純に砲身長に比例とする。1200m/secとなります。
。同様に射出角と打ち上げ高、射出距離は45度m高ー14700m距離。
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ここで樋口司令官
①は主砲として絶対ほしい・・・驚異的な射程距離なので
②は砲身重量、射程距離などくらべると、③のほうが優れているし、国産というのが何よりよい。
①と②は対空・対地としてほしいが⑤は対空専用としてぜひほしい・・・
と考えるのでありました。
その2 終了 続く