松尾芭蕉 VS 4代目服部半蔵正重 その3<最終回> | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

河合組の7人と芭蕉は象潟から館林まで急いだ。


「一度は私の年齢から、陸奥・出羽探索をはずしてくださるよう御配慮いただいた方に災難が降りかかってはいかん。」


とはいえ、象潟ー館林、途中しばしば道路が潮に冠水する新潟の府屋ー村上(約9里)の海岸線、越後・上野の山道等など難所少なからず、旅程の約110里、一朝一夕に移動できそうにもなかった。


そこで「象潟ー新潟、40里」を海路とし、漁船を買い取り、雑賀衆から会得した2枚帆船を2時間で組み立て、この間を8時間で横断。

残る、陸路70里のうち、比較的平坦な新潟ー長岡15里は、購入交渉の時間など含めた乗馬時間(個々が馬に乗り)約2時間、1日目の行程計12時間はそこで終了した。


2日目は大八車を2台調達、越後ー上野国境を始めとして、前日使った8頭の馬を2分して4頭立ての馬車をもってして難所を越え、陸路の残り55里を5時間で走破。


象潟を出立してから翌日の午後には館林に到着していた。


芭蕉一行は、早速館林城に入城。綱吉公に拝謁を求めた。


「これは芭蕉殿、思わぬお早いお着きで・・・」

「一体何事です。」

「ま、この書状を呼んでくださいませ。」

そこには、「綱吉公、お命頂戴する。館林城、および江戸城の一部に<釣り天井>を仕掛けた。

御覚悟召されよ」

とあった。

「はて、将軍様。これは異なこと。江戸城はほとんど不夜城の如きにて、警戒は万全のはず。細工のしようがありません。

それは、ここ館林とて同じでありましょう。


四六時中明かりがともっている江戸城と同様の守備、というほどには参らねども、確かここのお城は、江戸開府(1604年)の15年ほど前に榊原康政様が<中世の「立林城」を時代に合わせた攻防の名城>に縄張りを引きなおして、全くの新しいお城を築いたと伺っておりますが・・・・


そこに手を加えて、釣り天井の細工などできようはずもなかろうさ、なァ、半蔵よ。

手紙の内容は、嘘八百。どーせ、元和の宇都宮城の釣り天井事件から、何事か思いついて、我らを出羽、陸奥とひっぱりまわしてからここに導く方策を思案していたのだろう。


綱吉公には、芭蕉が旅の句を書きたいと申しておりますので、お上から直々に(通行)手形を出していただくことはできましょうか、とでもいったのだろうよ。


あの方のように、教養高い方は恐らく喜んで手形をだして下さったろーさ。でも、敵情視察は是非松尾に、などといった始めの頃の内容は、全部お主の作り話であろうが。いや、綱吉公はこの件については一切無関係、御存じないと見た。」

一様に驚く河合組の面々・・・


「さすがよ。」

鬘を取って、顔を丁寧に拭き取ると見慣れた(といっても芭蕉にだけだが)、半蔵の顔が出てきた。

「さて、手練の名も高き河合組の衆、お初にお目にかかる、4代目服部半蔵正重じゃ。

どの辺で分かった?」

「はじめからだ」

「まさか・・・」

「いや、うぬぼれるわけではないが、綱吉公は文化人を大変大切に扱ってくださる。ましてや私のようなあと何年生きるかわからない人間に、北方の敵情視察などといった、チョット間違えば、自分の命が危ないような大役を仰せつけるであろうか。百歩譲って、何かの手違いで自分だけ死ぬのならまだ許せる。しかし、とんでもない、役にも立たない情報を綱吉公に持って帰れば、下手をすれば幕府転覆じゃ。


どーせ、おぬしが何事か考えた浅知恵だと思うとったら、秋田のいつも何かと噂の多い外様の佐竹殿を調べもせず、象潟で反転して帰って来いと。ここで自分の考えが正しいことを確信した。」


「おぬしはいつもそーだ。したり顔でこの半蔵を馬鹿にしてきていたな。それがおもしろーなかった。いつか葬ってやろうと機会を狙っていたわけよ・・・」

「つまらん。私などおぬしよりはるかに早くお迎えが来るというのに、ただ待てばいいだけではないか?

それに、私は剣術の天賦の才人といったことこそあれ、おぬしを馬鹿にしたことなど一度たりとてないぞ。」


「いや、待っているだけでは飽き足らん。それに、伊賀に帰れば、服部は渡来人だから俳句・短歌のこころがわからないのだ(血縁関係の方々、ストーリー上の設定で他意はありません、御容赦ください)とふれまわっているそうではないか。」

「チ、だれがもらした。お前らの中にはよもやおるまいな?」

一同顔を横に振る河合組・・


「やはりそうであったか。われら血脈のどこが渡来人じゃ。我が服部家には清和源氏(室町時代)以来連綿と続く系図もあるわ」

「そんなことで決まるものではない。

渡来人とは姓の中に職制・職能の部署を表す<部>の文字が入って、その上にどんな技術を我が国にもたらしてくれたかを示す文字が入る。そして、おおむね読みは難しく、<部>の字は読まぬかいつの間にか消え落ちていることもある。たとえば、弓矢を作っていた集団の<弓削部・ゆげべ>は現在弓削氏を名乗ることが多い。

おぬしの場合も、<服部半蔵>なかりせば<服部>などおそらく通常の教養の持ち主程度では、難しくて読めはしまい・・・」

「その程度のことが服部の一族が渡来人という根拠か。つまらん。」


「しかし、<はっとり>は<はたおり=機織り>がつまった読み。<服>は<はたおり>の結果<服>を作っていましたという結果を表した、いわば当て字じゃ。

これを、職能集団と呼ばずして何とする?」

「何とでもいうがよい。とにかく、今回の目的はおぬしの抹殺よ」


「お頭、ここは我々が食い止めますゆえ、そのすきに・・・」

「いーや、あやつはあーみえても、おぬしらが束になっても恐らく勝てん。余計な犠牲者を出したくない。

だが、ひょっとして曽良なら相討ちででも・・・」

「念仏でも唱えておったか。覚悟はできたか?」

「まて。一つだけ聞きたい。おぬし、今回の計画を作るのに根来衆の力を借りたか?」

「なぜその必要がある?」

「では、そこまでは、宇都宮城の事件の真似はしなかったということか・・・」

「なんのことだ?」

「おぬしには関係ないことよ」

「またそれだ、わしは、おぬしのそーいった、うっ・・・」


「河合曽良見参。お頭、間にあって何よりでございました。」

半蔵の胸には曽良の太刀が深々と刺さっていた。

「芭蕉、またわしをたばかったか・・・」

「いや、私とて全く・・・曽良、説明しろ。」

「は。では、お頭、後ろをご覧になって・・・」

「お、6人しかおらんではないか?」

「そーです。ひとりが、伝令として私の許にきました。

越後の長岡からお頭と分かれたと申しておりました。

失礼ながら・・・お頭があまりにも、半蔵が腕の立つ男であること、お頭と、河合組7人一緒に戦っても勝てぬかもしれない・・・と、象潟からずーとお話になっておられたとか。


そこで、お頭の護衛7人のうちから、荷駄車に変わった長岡から一人抜けて、我々も館林に向かったほうがよいのでは、と相談に来たのです。荷駄車に乗ってしまえば、全員で動いているかどうかわかりづらいものです。

この者はその瞬間をねらって、抜けたのでした。


もちろん、お頭の不安を取り除くには味方の手勢が多いほうがいいに決まっております。

その時、我々は市振(越中・越後国境)におりました。館林までは約80里。

我々が館林に着いてもお頭がおいでになるかどうかは<かけ>でした。」


「そーだったか。半蔵、今回は私もすっかりだまされ・・・?」

下忍が、半蔵の頸動脈を触り、

「こと切れております」

と報告した。


「半蔵よ。おぬしも、その狭量さが命取りになったなー。

剣は柳生殿をはるかに凌ぐ腕であったのに・・・もう少し、人心を信じ、ヒトの優れたところを素直にほめる心があればの・・・かえすがえすもおしい男よ・・・」


「お頭。今まで隠していましたが。実は私、根来衆なのです。」

「しってるさ」

「え?」

「恐らく士分であろうが、河合は本名であるまい。

河と川で、よく3本川となって寝るという表現を使うが、それを別な字で置き換えたもの。そこでおぬしの姓の先頭の文字は「寝るのね」、そして、合うを音読みにしてゴウ、で二文字目は「ゴ」、曽良=そらは入れ物の空(カラ)の状態を絵にかいてみると「空虚すなわち=□」で、ね・ゴ・□・・・どうじゃな?」


「さすがお頭。見破られてしまっていた以上、もうお頭の好きにしていただくしかありません。

切腹でも討ち首でも何でもお申し付けください。」

「いや、こちらこそおぬしには20年以上世話になっている。昔、伊賀と根来が敵対していたのは確かじゃが、おぬしは一度も裏切ったこともなければ、今日のように<武>で、またあるときは、頭に句の印象・景色が浮かばないときは<文>で幾度となく助けてくれた」

「おそれいります」


「しかし、おぬしの正体がわかってしまった以上、伊賀にも、根来にも安住の地はあるまい。

まずはおぬしの望みを申してみよ。」

「まず半蔵になり済まし幕政に参画してみようと思います。」

「ほーそれはおもしろい。」


「ところで、次の組頭に、今の副組頭の乙訓(おとくに)を推挙したいと思うのですがいかがでしょうか。皆の賛成も取り付けております。

「おぬしの好きにしてみよ。それに、乙訓なら文武両道、私も組頭としてふさわしい人物と考える。

それから、江戸での暮らしが、うまくいかずば助けはいつでも出す故、遠慮なく申せよ。」

「身にあまるおことば」

「ところで、宇都宮城の釣り天井疑惑の時に、本多正純氏の築城命令に従わなかった、将軍家直属の根来組同心がいたそうだが後に本多殿に人知れず葬り去られている。

さらに、伊賀組にこのゆかりに者がもぐりこんだという話を聞いたが、おぬしは何か関係があるのか?」

「御想像ににおまかせいたします。」

「そうか。話したくなくば、やむをえまい。いや、つまらぬことを尋ねた。許せ。」

「いえ。」


そのころ、伊賀上野では、何も知らぬ退屈し切った去来が、

「お頭達まだかなー。お伊勢さんの赤福(文献上の創業年は1707年ですが、少しオマケしてください)でも買ってきてくんないかなー。便所そーじしたくねー」

「組頭。きょーの便所そーじとー番、あなたさまですよッ!」

と下忍から一喝。

「るせー。ゆーな!!」


  <fin>


<ふろく>

 ところで、貴方の直上司で最近やたらと優しくなった人はいませんか?

 以前と、絶対同一人物ですか?