ラフカディオ・ハーン=小泉八雲さん,1850-1904(明34)年、享年54歳 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

まー、私がヘタクソなご紹介をするより、皆さんのほうがよくご存知の方でありましょう。


ギリシア生まれのイギリス人。しかも、「ラフカディオ」はミドルネームです。


八雲さんのファーストネーム<パトリック>が彼の宗教上の教義にあわなくて、いつの間にか、自らもラフカディオと名乗っていたそうです。


成人後渡米、通信出版社に勤務、先輩記者の影響もあって、日本への思情が募ります。


1890(明20)年来日、島根・松江旧制中学英語教師に着任。同年結婚。

1891年、熊本第五高等学校講師、1896-1900(明33)年、東京大学文学部講師、このあと早稲田の講師を経て、日本中を横断するかのごとく旅行して廻ります。


ドキュメンタリーと申しますか、日本の風土をたくさん著作にあらわし、一方で「Kwaidan,1904」などストーリーテーラーとしての才能も発揮してゆきます。


八雲さんが思慕の念を抱き続けるほどの日本というのは、儒教的礼節、神道的先祖崇拝の残る日本でしたが、もはや彼が来日する頃には、半ば形骸化しておりました。


しかし出雲地方にはまだまだ、彼が愛して止まない、古来の日本があったのかもしれません。

そーいった、日本をセッセと欧米に紹介し続けていた八雲さんでした。


この間、「小泉セツ」さんとの結婚を折に日本に帰化されますが「八雲」は「出雲立つ」の枕詞であります。



子供の頃から、ずーーーーーーーっと疑問に思っていたことが、一つありまして、八雲さんは、ご自宅ではともかく、アメリカからヒョイと日本においでになって、難解な出雲弁・熊本弁をどーやって理解しえたのだろーか?????といまでも不思議でたまりません?????


その難解な言葉の翻訳しすぎた過労でしょうか?54歳という若さでお亡くなりになっています。

死因は「狭心症」ということだそうで、今の世でしたら助かっていたかもしれませんですね。